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天使も悪魔も同時に存在している

男性にとっての家事育児は基本的に加点式で、やればやるだけ点が入るけど、女性にとってのそれは減点状態から少しでもプラマイゼロに近づけるための行為でしかない。

だからこそ、やってもやっても不毛で、どこまでやっても感謝されることはなく、怒鳴ってしまったり、失敗してしまったときだけ責められる。あるいは感謝されることがあっても、自分自身でそれを素直に受け止めることができない。どこまで行っても終わりがなくて、それがゆえに常に罪悪感と自己犠牲がセットになっている。

「子ども」という、この世界で最も尊く大切な存在を育みながらにして、同時にやればやるほど「わたし自身」が限りなく死に近いところに追いやられていくという究極の矛盾。それがわたしにとっての育児だ。

この感覚がすべての人に当てはまるわけではないだろうし、社会的に作られた固定概念や生い立ち、そしてわたし自身が持って生まれた性格など様々な要素があるのだろうけれど、少なくともわたしにとっての育児に対するこの感覚は、その歴史が始まって9年目の今でもずっと変わらない。

この感覚を、「自己肯定感が低い」とか「もっと自信を持つべき」とか言うなら、その通りなのだろう。自己肯定感なんて生まれてこの方高かったこともないし、自信があるっていったいどういう状態なのか、41歳の今でもよくわからない。

つい数週間前に見た、NHKの『ダーウィンが来た!』でやっていたキツネの特集が印象に残っている。
母ギツネは、命をかけて育ててきた子ギツネを、ある程度大きくなると突然キバを剥き出しにして強制的に巣から追い出し、無理矢理独り立ちさせる。それは、子ギツネが近い将来、母ギツネにとってのライバルになってしまうからなのだそうだ。同じような行動は、クマなどの他の動物でも見られるという。
その行動は、母ギツネにとって自身自身を守るための行動であり、同時に子どもを守るための行動でもあるのだろう。動物はきっと、子どもが自らの命をも脅かす存在であるということを、本能的にわかっているのかもしれない。

「愛おしい」という気持ちも、「世界でいちばん大切」という気持ちも、ウソじゃない。これほど大切な存在に出会えたのは、わたしの人生のなかで最も幸福なことであり、それだけのためでも、わたし自身もこの世に生まれてきてよかったとさえ思っている。

でも同時にそれとは全く別次元のところで、その命を育みながらにして、その存在によって自分自身の命が危うくなることを感じ、それが故に子どもの存在を危うくしてしまいそうな感情になることが多々あるのも、正直な気持ちだ。

正解も不正解もない。

ただ、母が育児に関してするひとつひとつの小さな選択や行動に対して、批判の目を向けたり否定的に見るのではなく、「がんばってるね」「いつもありがとう」という目を向けたい。

例え受け入れられなくても、それでも何度でもそう自分に言ってあげられたらいいなと思う。

そしてなにより、今日まで無事に子どもと自分自身を生き延びさせるという大役を達成してきたわたしとあなたに、盛大な拍手を贈りたい。


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有料ではあるけれど、去年読んだ小説家の金原ひとみさんの記事が印象に残った。一部を引用します。 

 孤立していた私の産後初めての救いは、保育園だった。0歳児の保育園入所には批判の声もあるようだが、当時も今も、「命が消えるのを防げた」という感想しかない。 「何時から何時まで責任を持って預かってくれる」という保証のある施設に、私は命を救われた。保育士の待遇が悪いことには、憤りを禁じ得ない。人の精神、生活を支える仕事が正当に評価されないことは、「身を粉にして育児をするのが当たり前」という世間から女親に向けられる軽視とよく似ている。

(中略)

 子供は可愛いし後悔はない、しかしそれとは別の次元で、人をあれほどまでに追い詰める育児は、この世にあってはならないと断言できる。保育園に入所できたこと、経済的に困窮していなかったこと、このどちらかが欠けていたとしたら、私はほぼ確実に、育児の季節を生き延びることはできなかっただろう。あれはそれほどまでに、非人道的な生活だった。

 出産を機に、完全に母というペルソナを自分のものとして生きていく人もいる。その方が生きやすい人もいるのだろう。私はあのペルソナについぞ親近感を感じられないまま、いつしかその必要性から解放された。かぶってみたら息ができなくて、張り付いて窒息しそうで、苦しくて仕方なかった仮面が外れた瞬間、自分の本当の顔を思い出した。そんな感じだ。その自分は醜いかもしれないが、窒息する仮面よりはマシだった。

 自分に戻って生きやすくなったわけではない。それでも、あの苦しみよりもこの苦しみ。と思える生きにくさと生きられることにほっとした。どうせ殺されるなら、母としての生きにくさではなく、幼い頃から慣れ親しんだ、どうやっても自分から切り離せなかった生きにくさに殺されたかった。
 
(太字編集、古川)


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