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ただ、わかってほしいだけなんだ。
「いっちゃった!ふねが いっちゃった!!!〇〇ちゃんの ふねーーーーーっ!!!!!」
それはいつものように息子が外で遊んでいた時だった。きのう夫が牛乳パックで作ってあげた手作りの船が、小川に流されてしまったのだ。
切って端っこをテープでとめただけの、ごく簡単なモノ。それでも息子はうれしくてうれしくて、小川のまわりを何度も何度も行ったり来たりして流して遊んでいた。きのうなんて、船を抱っこして一緒に寝ていたくらいだ。それはそれはお気に入りの、父ちゃんが作ってくれた船。それが、流されてしまった。
「ふね!〇〇ちゃんのふね!!!」
そう言いながら全力で船を追いかける息子。その後ろ姿を追って、まだ赤ん坊の娘を背負いながら追いかける私。船はついに、息子の手の届かない遠くの方へ消えてしまった。
「ふねーーーーーーーーーーっ!!!!!」
周りの山々に響き渡るような大きな声で泣き叫ぶ息子。その息子を抱きしめる私。
大粒の涙を流しながら、船が流れていってしまった方をまっすぐに見つめる横顔が、美しいと思った。
* * *
「あなたがあんなとこから流すから行っちゃったんだよ」
「だから言ったじゃん」
「また作ればいいよ」
そんな言葉たちが口元まで出かかったけど、やめた。
こんな時、そういう言葉は何の意味も持たない事に、母ちゃん歴4年目にしてようやく気付いてきた。
こちらの言うことをわかってもらう努力というのは、実はほとんど必要なくて。わかろうとする努力の方がずっとずっと大切なのだということを、子どもから教わった。
そして不思議なことに、そうすることで私自身のこともスッと受け入れられるようになってくるのだ。それはきっと、私が子どもだった頃に受け入れてほしかった色々な気持ちを、今私が代わりに受け入れてあげることなのかもしれない。
ただただ近所の目も気にせずに泣きまくる息子をそうっと抱きしめながら、時々「かなしいね。」「ヤだったね。」と繰り返す。息子の涙は後から後から流れ落ち、ほとんどパニックのように泣き続けていた。
汗もヨダレも鼻水もぜんぶ流しながら泣く姿がなんだかいとおしくて、「うんうん。」と言いながら背中をトントンとする。
私の背中にくっついている娘は、ノンキに寝息を立てている。
野原にはやさしい風が吹いていた。