どう稼ぐか、どう貯めるかを考えるより大切なこと/タネのタネ
ずっといいなぁと思っていたアーティストの友達の絵を買った。
インスタではずっと見てて、いいなぁいいなぁとは思っていたし、以前彼女が個展をしたときも、別の絵ですっごく好みの子がいて。
でも、あのときはとてもじゃないけど買えなかった。
1日たった100円でも出すことを惜しんでいて、300円のポストカードを買うだけで精一杯だった。そのくらい、あのときのわたしはお金がなかったのだ。
その当時参加したとある講座で「あなたは1ヶ月にいくら、自分の楽しみのためにお金を使いますか?」と聞かれて答えたのは「ほとんどない。あっても2,000円くらい」だった。
それは唯一、自分のための楽しみとして「これくらいはいいよね…」と自分に許可していた、コンビニで買う1日2〜300円程度の自分用のおやつ。「だってがんばってるし。だって新しい服も買ってないし、外食だってまったくしてないし。」それでもそんな大義名分が必要で、それでもどこか後ろめたさを感じながら。
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きのうの朝、夫と朝ごはんの準備をしていたときに、サラダにゴマを振りかけながらフと「家にゴマがあるって贅沢なことだよねぇ」という話をした。
え?ゴマ??って思うでしょ?(笑)
たかがゴマくらい、たかがゴマくらいだれの家にもあるっしょ。って、フツーは思うとおもう。でも、わが家はたかがゴマでさえ買うことができなかったのです。そのくらい、生活に困ってた。
フツーに生活しているように見えるすべての人が恨めしくて、全員敵だと思って、誰にも相談できなくて。毎日毎日、地を這うような気持ちで生活していた。
でも、気づかぬうちにいろんな人に助けられていて、そして私自身も少しずつできることから動いて、やっとやっと、ここ数ヶ月で、いろんな不安が消えてきた。
そしてきのう、偶然友達の絵が目の前に来たときに、「これください」って言えた自分がいた。お金を出すときもぜんぜん重い気持ちがなくて、むしろ「いってらっしゃい♪」って思えて。
なによりこの子がうちに来てくれたことがうれしかった。
生活は、全然楽にはなっていません(笑)でもね、気持ちは全然違う。なんか、もう大丈夫な気がする。
貯めなきゃ貯めなきゃって必死になけなしのお金を握りしめて、手元に留めておくんじゃなくて、気持ちよく自分や身近な人が喜ぶように使うことが、循環なんだなって思えたから。
わたしがお金だと思って握りしめていたそれは、ほんとうはお金ではなくてタネだったんだね。
どこにも行かずに留めておけば、そのうちチカラが弱くなって咲かなくなってしまうから、やっぱりタネはちゃんと蒔かなきゃいけない。
バラまけばいいってもんではなくて、それぞれのタネには行くべき場所があって。
適切な時期に適切な場所に蒔けば、ちゃんとキレイに咲いてくれる。
そうしてそこで咲いた花が、その人のチカラになって、実になって、また別の誰かのところに蒔かれる。そうやってめぐってるんだよね。
そうやってめぐりめぐって、わたしのところにきてくれたタネもたくさんあって、今のわたしがあるんだな。この1年は、それを学ぶためにあったんだと思う。
そうしてきのう、わが家にこの絵が来てくれて。
うれしいな、うれしいな、と、心がよろこんでおります。
長い間自分に禁止していた、自分の楽しみや自己研鑽のためにお金を使うことも、少しずつ再開していこう。
あなたの持っているお金
それは種
誰かの為に蒔く種
大丈夫、本気でやればなんとかなるよ
何のためにやっているか忘れずに
今日も出発
本気で作ったモノが誰かの手に渡って
順番に循環
わかってる わかってる
これが綺麗事ってこと
けど ちょっとでも変えなきゃ
種を蒔く場所
ーかむあそうトライブス『タネのタネ』ー
これは友達に教えてもらった、『タネのタネ』という唄の一節。
怖がらないで、独占しないで。
わたしの種が行きたがっている方向は、わたし自身がいちばんよく知っているはずだから。
大丈夫、大丈夫。きっといい方向に行くから。