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居場所の必要性

大人になってから新しい人間関係を築くって、とても難しい。ましてやそれが仕事外であれば、なおさらだ。

2年前に前職を退職してからつい数カ月前まで、ずっと孤独な日々を過ごしてきた。どのくらい孤独だったかと言うと、1〜2ヶ月平気でなんの予定もない。スケジュール帳はずーっと真っ白。たまに息子や娘の定期健診や予防接種の予定が入ると、「予定が入った!」と、ちょっとわくわくしてしまうほどだった。

どこに行っても居場所がなくて、ただただ何ヶ所かの子育て支援センターや図書館や公園をマグロのように回遊する日々。そのうち顔見知りのような人は何人かできてくるけれど、深い仲になることはない。

自分たちだけが社会から取り残されているような、そんな日々を、子どもが生まれてから4年近く過ごしてきた。

そんな孤独な状態で、よくこれまで育児してこれたなぁと自分でも思う。育児とはただでさえ孤独な業だ。本来社会全体で行うはずの育児は、現代の日本においてもはやそんな空気感などほとんどなく社会から切り離され、母親だけが一人で抱え込むという現象がむしろ一般的だ。

私たちの場合夫婦の協力関係だけは強いが、夫婦共に県外から移住してきているため頼れる親戚も近くになく、むしろそこだけが唯一の頼みの綱といった感覚だった。

もちろん全くひとりぼっちだったわけではない。ここに来てからも親切にしてくれる人にはたくさん出会った。前職を通して知り合った人が我が家に遊びに来てくれたり、こちらも遊びに行ったり。自分の親と同じくらいの世代の方が時々声を掛けてくれて、子どもを孫のように可愛がってくれたり。その人たちにはとても感謝しているし、その関係性は今後も大切にしていきたい。ただ、そういった『点』でのつながりはあっても、『場』としてのつながりには、ここに来てからずっと出会えずにいたのだ。

「私ってやっぱり人間的に何か問題があるんじゃないだろうか…」と本気で思っていた。

こだわりが強いところとか、物事を考えすぎてしまうところとか。自分でも前から自覚はあったけれど、それでもここまで居場所ができないのは、やはり私に欠陥があるせいなのでは…と、真剣に考えていた。居場所があるかどうかというのは、それだけ大きな問題なのだと思う。

小さい頃から集団行動が苦手だった。特に女性のみの集団というのは経験上アレルギー反応を示してしまうところがあり、意識的に避けていた部分もあった。

私は基本的に一人行動が好きで、人との関わり方はどちらかといえば1対1を好む人間だ。一人一人との関係性を大切にしたいし、広く浅くより狭く深く。それがカッコイイとも思っていたし、今でもその考えは変わっていない部分もある。けれど、ずっと大切にしてきたその考えが、最近良い意味で崩れつつある。「ここは私の居場所だ…」と思えるところに、やっと出会えたのだ。

その場所には、出会った時から不思議な感覚がした。女性ばかりのグループが苦手だったはずなのに、どういうわけかそこはとても居心地がいいのだ。「私はここにいてもいいんだな」と、素直に思えた。

これまで何箇所か他の育児サークル的な場に顔を出してみたことがあるけれど、そのどの場とも空気が違った。そのあたたかさに、感動した。

そして何より、息子が楽しそうなのだ。あんなに場所見知りが強い息子が、その場だけは「いく!」と言って自ら入っていけるほどに。それが一番の決め手だった。それまでずっと居場所がなかった私たち親子に、はじめて居場所ができた。

集団というのは、生き物のようなものだな、といつも思う。会社でも、学校でも、友達グループでも、その他の組織でも。人が集まって集団になると、それ自体が何か1つの大きな生き物のようになる。私がたまたま出会ったその場所は、確実にあたたかいエネルギーが流れている場所だった。

ひとりだった時は「つらい、苦しい、大変」ばかりだった子育てが、居場所ができたとたんに「うれしい、たのしい、おもしろい、幸せ!」に変わった。もちろん今でしんどい時はたくさんあるけれど、どこかで一緒にがんばっている仲間がいると思うだけで、がんばれる自分がいるのだ。

人はいくつになっても居場所が必要なのだと思う。それは時に生死に関わるくらい大きなことだ。

学校に居場所がなくて自殺する子ども。職場で上手くやれなくて心を病む人。「なんでそんなことで…」「どうしてそんなになってまで…」という言葉が思わず出てきそうになるけれど。

自分が必要とされているという実感。ここにいてもいいんだと思える安心感。人と心を通わせることの幸福感。それらは、「生きていていい」ということと同意義なのではないかと私は思う。

大人になってから自分の居場所を見つけるというのは容易ではない。特に仕事をしていなかったり、見知らぬ土地であればなおさらだ。

運良く居場所を見つけることができた私はラッキーだったと言ってしまえばそれまでだが、振り返ってみるとやはり、自分の直感に従って行動したことが大きかった。

人のいる場所に行けばそれだけで人との繋がりができるというものではない。ましてや繋がりを作ろうと必死になっても、いい方向に行くことはまずないだろう。鍵となるのはやはり少しでもピンときたり、ワクワクした気持ちになるかどうかなのだと思う。

「そうは言っても色々な現状のせいで動けない」と思う人もいるだろう。私もまさにそうだったし、今でもそう感じる時がよくある。人にはそれぞれタイミングがあるのだと思う。

あせらず、おじけず。

ただただ、ワクワクと閃きを頼りにして進めばきっと、あなたの居場所にいつか必ず出会えるから。


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