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冬の風邪

夏に風邪を引くと鬱陶しいとしか思えないのに、冬の風邪はツラい反面、どこか心の奥がホッとした気持ちになる。きっと誰かに「そんなにがんばらなくていいよ」と言われているような気持ちになるからだ。
…なんて言えるほど、普段がんばって生きているわけではないけれど。

そんなことを言っていられるのもきっと今のうちで、明日になればそんな自分のセリフを後悔するのだろう。どうやら、風邪を引いたようだ。 

フとオレンジの香りをかぎたくなって、いつもより熱めにいれた風呂のお湯に、精油を数滴たらす。ふわっと広がる香りと共に、湯気が立ち上る。

その様子を眺めながら、「そういえば最近空を見上げてなかったなあ」なんて思う。
子育て中、特に赤ちゃんのうちは、のんびり空を見上げる余裕なんて皆無と言っていい。

私が風邪を引いたのは、娘の風邪が移ったからだ。ほぼ24時間くっついているようなものなのだから、無理もない。子どもができてからというもの、子どもが風邪を引いて私に移るというパターンは固定化していて、今回も「やっぱり」という感じだ。

0歳の娘は、ただいま絶賛『かあちゃんじゃなきゃダメ期』だ。あのよくある、他の人が抱っこをすると激しく泣くのに、母親に交代するとピタリと泣き止む現象。
上の息子が赤ちゃんだった時は、こういう現象はほぼなかった。私が抱こうと夫が抱こうと、泣く時は泣くし泣かない時は泣かなかった。見た目はそっくりな2人だが、兄妹間でこんなところが違うとは、新鮮な驚きだ。

子どもが風邪を引くと、どんなに周りがフォローしてくれても、どこか心の奥で罪悪感がチクリと痛む。「風邪を引いた」ではなく「引かせてしまった」と思うのだ。

いつもは怪獣みたいな泣き声で力いっぱい泣く娘も、さすがに風邪を引くとその威力がなくなる。か細くふにゃふにゃとした泣き声で、ポロポロと涙を流す姿はかわいそうなのだけど、それがまた愛おしいと感じるのは私が親バカだからなのだろう。

子育て中に風邪を引くとツラいのは、どんなにこちらの具合が悪かろうと子どもの側は容赦ないことだ。私がどんなにグッタリしていようと、抱っこや遊び相手になることをせがんでくる。

社会人の頃は、風邪を引いたと上司に言うと、「お大事に」という言葉とは裏腹に、内面では「とっとと病院行きなさいよ」と思われていることに腹を立てたものである。風邪くらいゆっくり引かせてくれよ、と。

それが今はどうだ。病院に行く余裕すらない時は、リポDと葛根湯を一緒に流し込む。栄養ドリンクと漢方薬って、健康的なんだかジャンクなんだかもはやわからない。しかしそれくらい、こちらがゆっくり風邪を引いている余裕などないのだ。

前にここ(望郷とビスケット)でも書いたが、夫も私も両家ともに実家が遠い私たちは、滅多なことでは親の助けを呼べない。以前私の妊娠中(しかもつわり中)に息子のノロウイルスが移り、一家全滅したことは記憶に新しい。あの経験は我が家の出産を越える危機ベスト3として、これからも語り継がれるだろう。

だからかもしれない。私たち夫婦は結婚6年目だが、今のところ割と仲良くやっている。それはきっとどこか本能的に、私たちが仲良くやれなければすべてが潰れることをわかっているのだ。仲違いしている余裕など、ない。

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冬に風邪を引くとどこかホッとするのは、自分の幼い頃を思い出すからというのもあるかもしれない。

私の実家の『冬の風邪5点セット』と言えば、葛根湯・梅生姜番茶・足湯・湯たんぽ・すりおろしリンゴだった。経験がある人ならこれを聞けばわかるかもしれないが、私の実家はいわゆる『自然派』(とは言ってもガチガチのではなくゆるゆるの。)だった。ちょっとくらいの熱で病院に行くことなどなかったし、私が小学2年生くらいの頃に40℃の熱を出しても、連れていかれることはなかった。『自然派』というのは名ばかりで、本当はただ病院費をケチりたかっただけかもしれない。

今の私がどうかと言えば、必要とあらばすぐ病院に行くけれど、できたら薬に頼りたくないからと先延ばしにしたため症状が悪化し、結局病院のお世話になるという、信念ブレブレの子育てをしている。

とにかく、どういう症状でも冬の風邪は上記の5点セットが恒例だった。それを、父と母が交互に寝ている私の部屋まで運んできてくれる。ケンカばかりの騒がしい家だったけど、私はやっぱりそれなりに愛されていたんだなぁと、こういう時にフと思う。

私は幼い頃学校が大嫌いな子どもで、スキを狙ってはしょっちゅう仮病をひいていた。その嘘を私の親が見抜いていたかは分からないが、とにかく風邪で学校を休めるというのは、天国のようにうれしかった。『ちびまる子ちゃん』の初期の漫画で、『まる子風邪を引く』という回があるが、あの気持ち、非常によくわかる。
冬の風邪、ぬくぬくとあったかい布団、鼻奥のツンとした感じとコタツのミカンの香り、いつもより優しい母と、おでこに当てられる少し冷えた手の感触…

ということをボンヤリと考えていたところで、何も言ってないのに夫が梅生姜番茶を作って来てくれた。ありがたい限りだ。

一気に飲んで体がポカポカしてきたところで、これまた夫が入れてくれた湯たんぽに足を突っ込み、まだほんのり体に残るオレンジの香りに包まれて、布団に入りながら、少しだけノスタルジックな気分に浸る。

さて、寝室の電気が消えたところで、隣に眠る娘が勢いよく泣き出した。母に風邪を移したところで、自分は元気になってきたのだろう。いつも通りの、あの泣き声だ。
「ああ、せめて娘が元気になってよかった」なんてことを思うことは微塵もなく、いよいよダルくなってきた体を引きずり起こして娘を抱く。寝静まったところで、これから3時間置きの夜の授乳だ。ヤレヤレ。
娘にしても息子にしても、子どもたちによる親育ては容赦ない。まあこれも1つの幸せの形ということで。

おやすみなさい。

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