やってしまった過ちを反省させることよりも大切なこと
6才の息子が、幼稚園でおともだちにケガをさせてしまった。お弁当のときにその子にちょっかいを出されたことがイヤで、思わず手を出してしまったらしい。
当たり所が悪くて、相手は出血。幸い病院送りになるほどのケガではなかったらしいのだけど、当たったところがあろうことか口の中で、しかも息子は手にフォークを持っていたらしい。帰るころにはケガをした本人は「もうだいじょうぶ。」と言っていたらしいけれど、あともう少し場所が深かったり、ずれていたりしたら…と思うと、ゾッとする。きのうの送迎は夫が担当してくれていたので、園で直接ではなく家に帰ってきて夫から間接的にその話を聞いたのだけど。
基本的に気が強いタイプではない息子は、しょっちゅう外で派手なケンカをしてくるということはほとんどなく(もちろん大なり小なり、やったりやられたりはしているのだろうけれど)、ケガをさせてしまったという話を聞いたのはこれが初めてだった。きっとちょっかいを出されたことがイヤで、押しのけようとしたその手にフォークを持っていたことをうっかり忘れていたのだろう。子どもがいれば、いずれはこういうことがあるであろうことは予想してはしていたけれど、やはりリアルにその話を聞くと他人事ではなくなるものだ。
息子は果たして、このことがどれだけいけないことだったか、わかっているのだろうか。本当に反省しているのだろうか…。そのことばかりが気になって、はじめのうちは「ちゃんとあやまったの?」「なんでそんなことしちゃったの?」「相手の子がどういう気持ちかわかる?」という問いかけばかりしていた。息子は少し落ち着かない様子で、わざと目をそらしたり、ちょっとおどけてみせたりしつつ、「わかってる。」「ちゃんとあやまる。」と繰り返していた。
(本当にわかってるんだろうか…)。息子に問い詰めるほどに、わたしのなかの鬼がムクムクと芽を出しはじめる。
きっと園でもさまざまな先生に話をしてもらっていて、夫とも帰りの車の中で話をして、さらに家に帰ってからも私が問い詰めて。おそらくは、自分がいけないことをしてしまったということはきっとどこかで感じているのだろう。それでもたいていの大人は、こういうときについ「本当に反省してるの??」という目で子どもを見てしまうものだ。
日常のささいなことでも、そういうことがよくある。子どもがちょっとした悪さ、してほしくないことをしたときに、いかにダメなことをしてしまったのか、そのことによっていかにこちら(わたし)が怒っているか、あるいは悲しんでいるかを知らしめてやりたい、痛感させてやりたいという感情が強く働く。その怒りはどこまでも収まらず、最終的に子どもが泣き出すまで追い詰めることではじめて「やっとわかったか」と安心する。まるで閻魔大王のようだ。
こういうときの大人の行動パターンはだいたいこうだ。
①叱る(それがどれだけダメなことなのか、まずこちらの言い分を伝える)
②話を聞く(なぜそれをやってしまったのか、相手の言い分を聞く)
③許し(まず子どもに「ごめんね」を言わせた上で、こちらの許しを与える)
わたしももれなくこのパターンで育児をしてきたし、余裕がないときは(基本的にない。)今でもこのパターンにはまることがよくあるのだけど。これは産後数年たって、あまりにも感情が不安定だったところから少し落ち着いてきた今だからこそ言えることだけど。こういうときはやっぱり、懲らしめることより、まず抱きしめることなんだろうな。つまりは、さっき書いたパターンの逆。
①許し(まず抱きしめる。息子がどんなに大切な存在かを伝える。)
②話を聞く(どういう状況だったのか。なぜそれをやってしまったのか。どういう気持ちだったのか。)
③叱る(いけないことはいけないと伝える。息子が大切な存在であるように、お友達も大切な存在であることを伝える。)
きのうだって、そうだった。息子が夕飯の時間になっても見ていた動画を止めようとせず、ついに癇癪を起こしてご飯のお茶碗をひっくり返す素振りを見せたとき。わたしは心のなかで、「そのままその茶碗を盛大にひっくり返せばいい。そしてわたしと夫が本気でキレて、めちゃくちゃに怒られればいい。」と、どこかで思っていた。「やれやれ。もっと怒れ。もっと暴れろ。」と。それはわたしのなかの、“怒鳴り散らしたい”、“ダメなことをした息子をコテンパンに打ちのめしてやりたい”という、一瞬の衝動のような感情。
でも、フと冷静な感情に戻ったときに、息子がお茶碗をひっくり返そうとする動きがスローモーションに見えた。大粒の涙を流しながら怒り、その手がお茶碗に触れて、あとちょっとで本当にひっくり返す…というところで、わたしは息子を呼んだ。「こっちおいで。」と。そうして、わたしは息子を抱きしめた。
おとなしくわたしのヒザにうずくまり、しばらく泣きじゃくる息子。その背中をさするわたし。息子が感情を出し切るのを待って、少し落ち着いてから、息子に言った。「一緒にご飯食べよ。一緒に食べないとおいしくないんだよ。」と。
涙で赤くなった目が、しばらく空を見て、そして息子はそのままわたしのヒザの上でモクモクとご飯を食べはじめた。そして、数分後にはいつも通り笑ってた。
あぁ、この地球上のものごとはきっとなんでもそうなんだろうな。きっとなんでも逆なんだ。そのカラクリを自分で解かせるために、わざと見えづらくなっているけれど。
そして結局、ぜんぶ完食して。「さっきはごめんね。」と、ちょっと照れくさそうに言ったのだった。そして翌朝、きのうケガをさせてしまったお友達に、もう一度自分から「ごめんね」と伝えていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?