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美しさは「なる」ものではなく「ある」もの
「キャラメルもっとほしかった!」
そう言いながら、5才の娘は大粒の涙をポロポロこぼした。
小さな手にはすでに2粒のキャラメルを握りしめている。それなのに、それでは足りないと言うのだ。
「そんなこと言うならそのキャラメル全部返して!」怒ったわたしは、娘に向かってそう言った。
「喜ぶと思ってあげたのに。嬉しがる顔が見れると思ってあげたのに、それでは足りないと彼女は言う。それならば全部返してほしいし、もうなにもあげたくない。」そう思ったのだ。
でもそこでフと思った。
「あぁ、これってわたしのことだな」と。
*
「もっと美しくなりたい」「キレイになりたい」。
それは多くの人が、一度は描いたことがある理想。
けれど美しさとは、「そうなりたい」と願っている間は永遠に訪れない。
それは、「今この瞬間すでに備わっている」と気付いた時に表れるもの。
なぜならすべての望みとは、“現在のその人が思い描いている自分像”についてくるものだから。
そういう意味で、どの瞬間であっても、すべての人は自分自身が思い描いた理想とする自分を生きている。
「美しくなりたい」という願いは、暗に現在の美しさを否定し「今が美しくない」と思っているのと同意義だ。だから「もっとほしい」「これでは足りない」「これではダメだ」と人は言う。
もしもわたしが神様だったら(わたしは無宗教だけど)、そんなふうに言う人がいたらきっとこう言うだろう。
「そんなこと言うなら、あなたにあげた“美しさ”全部返して!」と。
「あなたにぴったりだと思ってあげたのに。あなただからこそ似合うと思ってあげたのに。それなのに、あなたが今すでに持っているその美しさに見向きもせずに、『これじゃダメ』って言うの?それだったら全部返してよ!もうあなたには何もあげないから!」
…これって結局、さっきの娘のキャラメルの話と同じだ。
喜んで受け取ってくれさえすれば、今度はもっとあげよう。そう思うのに。今手にしているキャラメル(美しさ)を「これじゃダメ」と言うのであれば、もうなにもあげないし、むしろ全部返してほしいと思う。これってきっと、すべてのことに言えることなのだろう。
自分を肯定することは、わたしたち日本人が最も苦手とすることかもしれない。だってそうすることが美徳だと教えられてきたから。だって“他の人”はそんなことしてないから。
でも、ほんの少し勇気を出して、鏡に映る自分に言ってあげよう。「今のあなたは美しいよ」と。
そこに条件なんていらないから。たとえ寝起きのボサボサでも、顔はむくんでいても、ちょっと体重が増えても、無条件でそう言ってあげること。
たったそれだけで、見える世界は絶対に変わるから。
Im beautiful this way,
coz God makes no mistakes.
Im on the right track baby, I was born this way.
わたしはこれで美しいの。
だって神様は間違えないでしょ。
わたしは正しい道を進んでいるわ。
わたしはこのままでいいの。
* * *
*𝔽𝕖𝕞𝕚ℝ𝕚𝕤𝕞*古川明美『社会に求められるわたし』ではなく、『わたしがありたいわたし』として生きながらも【わたしらしい美しさに目覚める】ためのコンテンツを配信。✦ダンスインストラクター
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