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しあわせは、今日、君と笑い合えること。 子育てはきっと何才からでもやり直せると信じたい。

「3歳までに受けた教育によって形成された性質・性格は、100歳になっても根底は変わらない。」

「7歳までの育児環境が、その後のその子の人生に大きな影響を及ぼす。」

「○才まではこう育てよう。」

育児におけるこれらの格言のような言葉たち。
先人から生まれたこれらの言葉には、その叡智がつまっている。

これらの言葉から多くを学ぶし、時に救われることもあるのかもしれない。
けれど同時に、これらの言葉によってくるしい想いをしている親もまた多いのではないだろうか。

親が子どもを傷つけずに子育てをすることなど、不可能なことだとわたしは思っている。

* * *

愛をこめて花束を

おおげさだけど受け取って

理由なんて聞かないでいて

ー Superfly『愛をこめて花束を』ー

きのうは上の息子の5才の誕生日だった。

家族みんなでケーキとごちそうを囲んでいたときに、この曲が不意にスピーカーから流れてきて、なぜだか急に泣けてきた。

スーパーで買ってきたスポンジケーキに生クリームを塗っただけのケーキと、生地からこねて作ったピザ。

手がこんでいるような、こんでいないようなメニューだけれど、息子はニコニコ顔で生クリームの泡立てと味見を手伝ってくれた。

「ろうそくはオレがひとりで消すからね!」と、さいきん幼稚園の影響もあっていっちょ前に自分のことを「〇〇ちゃん」から「オレ」と言うようになった息子が、意気揚々と鼻を膨らませて火が灯ったケーキを爛々とした目で見つめている。

まだまだ舌ったらずでかわいい話し方をするその口調と、「オレ」という響きが不釣り合いで、いつもつい笑ってしまうのだけど。

甘えん坊で、だっこが大好きで、かわいい息子。
心から大切で、大好きで、愛おしい存在だけど、このたった5年間でも、数えきれないくらい傷つけてしまっているのも事実だ。

* * *

「もし育児期に子どもを傷つけてしまっても、○才までにちゃんと癒やしてあげれば大丈夫。」
ということを聞いたことがある。

もしこれがほんとうなら、わたしがこれまで子どもにつけた傷を癒やすために、これからの人生を永遠にまるで神様にお祈りを捧げるように1秒も休まず懺悔し続けなければ、その傷を癒せないかもしれない。

そうホンキで思う。

いやむしろ、親が子どもにつけた傷を癒やすことができるなんて、エゴでしかないのかもしれないとさえ思うのだ。

だって時には、愛さえも傷になることがあるのだから。

わたしは自分の母との間に拭えない傷がある。
それと同時に、母が私を愛していることも知っている。
だからこそ、わたしの中にある傷はより深くなるのだ。

「親にされてイヤだったことは、自分の子にはぜったいにしたくない」
そう頑なに思って、「傷つけまい、傷つけまい」として育児をしていた時期もあった。

けれどそんなことは到底ムリなのだということを、育児をはじめて数年で悟った。

ずっと、親が子どもを傷つけるなんてあってはならないことだと思っていた。けれど、それはもしかしたら「いのちを守る」という、育児をする上で最低のラインを死守するための防衛本能のようなものなのかもしれない、と、最近思うようになった。

ムリに描く理想より、笑い合える今日のほうがずっとしあわせね。

『愛を込めて花束を』のなかのこの一節が、心に染みる。

わたしがこれまでに息子につけてしまった傷を、癒せるなんて到底思えない。
だからといってどうでもいいと思っているわけではない。

「ありがとう」、「大好きだよ」、「ごめんね」。

言葉にできる範囲のことは、これからも可能なかぎり言葉にしていきたいたいと思う。

でもわたしに1番できることは、今日、君と笑い合うこと。
この先子どもが何才になっても、いつもそこに帰ってこれたらいいなと思う。

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