マガジンのカバー画像

子育ちエッセイ

31
たまらなく愛おしいと思うこともあれば、どうしようもなくしんどいと思うこともある育児。その両面をコトバにできたらと思っています。
運営しているクリエイター

#日常

とことん“イヤな奴”になりたくなるとき

とことん“イヤな奴”になりたくなるとき

人はだれしも、『あかるく・たのしく・心豊かに』生きたいと願うものなのだと思う。
でもその反面、自分のなかの糸がフと切れると突然、『くらく・フキゲンに・生きぐるしく』生きたい、と思うときがあるのではないだろうか。

それはほとんど欲に近いような感覚で、いちどそこに落ちると、そこからなかなか抜け出せない。
むしろみずから進んで“イヤな奴”になりに行ってるときが、時々ある。

今日がまさに、そんな日だっ

もっとみる
卵焼きはこころの鏡

卵焼きはこころの鏡

あぁ、今朝も乱れた卵焼きになってしまった…
卵を冷蔵庫から取りだしたそばから下の娘はわたしの太ももにへばりつき、上の息子は「おなかすいた」を連発している。

「おちつけ、おちつけわたし…」
そうどんなにこころの中でとなえても、焦っているとすぐに皮がやぶけてしまう。作っているうしろで子どもたちがケンカでもはじめようものなら、とたんに黒焦げの卵焼きができあがる。

やっぱり、卵焼きは正直だ。

子ども

もっとみる
居場所の必要性

居場所の必要性

大人になってから新しい人間関係を築くって、とても難しい。ましてやそれが仕事外であれば、なおさらだ。

2年前に前職を退職してからつい数カ月前まで、ずっと孤独な日々を過ごしてきた。どのくらい孤独だったかと言うと、1〜2ヶ月平気でなんの予定もない。スケジュール帳はずーっと真っ白。たまに息子や娘の定期健診や予防接種の予定が入ると、「予定が入った!」と、ちょっとわくわくしてしまうほどだった。

どこに行っ

もっとみる
名前を呼ぶというギフト。

名前を呼ぶというギフト。

母になって、人との距離のとり方が劇的に変わった。
なぜそうなってしまったのかが自分でもわからなかった。気がついたら、変わってしまっていたのだ。悪い意味で。

どう変わったかというと、まず母になってから出会った人の事を、下の名前で呼べない。「◯◯ちゃん」とかましてや呼び捨てで「◯◯〜」なんて絶対ムリ。必ず名字に「さん」付け。そしてもちろん、自己紹介をする時もそう。「はじめまして。古川です。」って、自

もっとみる
君との思い出のすべてを記録に残すことはできないけれど

君との思い出のすべてを記録に残すことはできないけれど

写真を撮ることがニガテだ。

もう少し具体的に言うと、写真を撮っている自分の姿を想像すると気恥ずかしいのだ。
単に斜に構えているだけなのかもしれないけれど。

どうせ撮るなら記録的なものではなく、自分なりに狙った構図や色合いで撮りたいというこだわりもあるかもしれない。だから、気軽にどんどん写真を撮れる友人に憧れる。

絵日記ブログとかもいいなぁとは思うけど、私にはとてもできそうにない。

だからせ

もっとみる
雨の日曜日、スーパーの片隅で

雨の日曜日、スーパーの片隅で

ピッ ピッ ピッ
いらっしゃいませー
ありがとうございましたー

高く鳴り響くレジの音と、店員の声。
往来する人のカートを引く音と、チャカチャカと微かに聞こえるBGM。
時折聞こえる子どもの柔らかい声と、大人の話し声。
店内の隅々まで薄白く照らされた照明。

日曜日のスーパーは、色々な音と色で溢れている。

片隅のイートインスペースで、息子とともに店内で買ったメロンパンをかじっている。娘は抱っこ紐

もっとみる
ただ、わかってほしいだけなんだ。

ただ、わかってほしいだけなんだ。

「いっちゃった!ふねが いっちゃった!!!〇〇ちゃんの ふねーーーーーっ!!!!!」

それはいつものように息子が外で遊んでいた時だった。きのう夫が牛乳パックで作ってあげた手作りの船が、小川に流されてしまったのだ。

切って端っこをテープでとめただけの、ごく簡単なモノ。それでも息子はうれしくてうれしくて、小川のまわりを何度も何度も行ったり来たりして流して遊んでいた。きのうなんて、船を抱っこして一緒

もっとみる
手当ての効能。

手当ての効能。

息子と娘が、ダブルで風邪を引いた。
田舎の古民家で暮らす我が家は、朝晩がかなり冷え込むため、もう7月になるというのになかなか長袖が手放せずにいた。日中の暑さとのあまりの差に、衣服調節の難しさに悩む日々の中での子ども達の夏風邪は当然とも言える。

しかしやはり子どもが風邪を引くと、親としてはどうしても自分の中の罪悪感がチクリと痛む。「あぁ、また風邪を引かせてしまった…」という自責の念と共に、「夜冷え

もっとみる
旅するように日常を生きる

旅するように日常を生きる

「この子はすぐつっかかるなあ」

父と私と息子の3人で散歩をしていた時に、そう父が言った。

『この子』とは息子のことだ。父にとっては孫にあたる。

公園に散歩に行こうということになって、外に出た。関東地域はすでに春めいた陽気だ。体を包む空気がやわらかい。梅のツボミも膨らみ、もうすでに咲きはじめているものも少しだけあった。

穏やかな風景に心がゆるみ、のんびりと歩いていた。
3才の息子は、この頃の

もっとみる