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25/02/14 ケンちゃんの菓子折り

Twitter(X)のトレンドに突然上がってきた言葉。

「平成女児チョコ」。

板チョコをただ溶かし、小さいカップに流して、上からカラースプレーやアラザンを乗っけて固め直しただけのチョコのことだ。我々が小学校低学年だったころ、「手づくりチョコ」といえばコレのことだった。

高学年になると、もう少し凝りたくなる。上のきょうだいがいる子なんかが、レシピを見つけてくるのだ。当時はまだ珍しかった生チョコ、とかね。

小学校6年生のとき、近所に住む子とレシピを持ち寄ってバレンタインの準備をした。生チョコとポッキーと、そしてチョコカップケーキ。

カップケーキはホットケーキミックスを使うレシピで、今じゃ当たり前かもしれないが、当時はホットケーキミックスでケーキがつくれるんだというのは大発見だった。混ぜて焼くだけじゃん。すごい。

すごいのだけれど、小6の私にはやや味気なくも感じていた。混ぜて焼くだけじゃん。『デリシャス!』や『美味しんぼ』を読んでいるとこうなる。

(デリシャスと美味しんぼというまあなさそうな並び)

それらは翌日、クラスで配る(そして平成女児チョコをもらう)。帰り際、カップケーキがひとつ余ったことに気づいた。青字に恐竜の柄が入った、紙コップでつくったケーキ。私は気まぐれに、コレあげるよと、隣の席のケンちゃんにそれをあげた。

少年サッカーをやっていて、茶髪だったケンちゃん。ケンちゃんは、おうーだか、ありがとだか、なんか普通の反応で受け取ったと思う。正直全然覚えていない。全く恋愛対象でもない隣の席の男の子に、在庫処分の気持ちで渡したカップケーキだ。

しかし1ヶ月後。3月14日。ケンちゃんはお返しを持ってきた。ホワイトデーだ。市内では大手のお菓子ブランドの、ちゃんと包装紙に包まれたギフトめいた箱だった。

もちろん(もちろん?)、速攻で断る。

自分でも味気ないと感じている、そして在庫処分のようにふと渡したケーキに、全く見合わないものが返ってくるの、いいわけがないのは小学生の私にもわかった。わらしべ長者でもさすがにもう何ターンかあるだろ。

私が断ったのでケンちゃんは休み時間にこっそり、それを私のロッカーに入れた。私は給食前に気づいて、すぐさまそれをケンちゃんの机の上に戻す。すると掃除の時間には、また私のロッカーに戻ってくる。私は昼休みに戻す。

受け取るわけにはいかない。でも、受け取らない理由を説明もできない。味気ない在庫処分のケーキなんですなんて言ったら、それはそれでケンちゃんは傷つくだろう。

最後は帰りのギリギリ、なんとか受け取ってもらおうと、ケンちゃんは菓子折りを抱えたまま走って私を追いかけてきた。全速力で逃げる。サッカー部から逃げる。必死だ。

「渡さんと!オレが!父さんに怒られるけぇ!!!」

「オレ」の発音は、「ミロ」「ビデ」「パフェ」と同じほうだ。

恋心があったわけでもなく、特別友人として仲がいいわけでもなく。向こうも大して意味を見出していなかったであろうバレンタイン。

本人たちは微塵も望んでいないのに、全力で追うものと追われるものに分かれてしまったホワイトデー。

その背景にいる、ケンちゃんのお父さん。3倍返しが礼儀だと、貫いてくれる人だったのかもしれない。でもすいません、ホントにもらえなかったんすよ。

大人のまともな配慮と、小学生の小さなプライドの闘いである。


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