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24/11/08 ザ・ギースを観ながら20年長ぇって思う

何を隠そう、爆笑オンエアバトル世代である。隠してないけど。ボキャブラでもなく、エンタの神様でもなく、オンエアバトルが好きだった。

実家の自分の部屋にはテレビがなかったため、土曜(金曜の時期もあったね!)の夜中になるとスッと父親の部屋へ行ってオンバトを見せてもらっていた。中学生の娘が父親と話すのなんかこのタイミングくらいしかなかったと思う。

江戸むらさきとかわかる人、仲良くしましょう。いや待て。今日は江戸むらさきの話じゃない。

ザ・ギースの話です。

ザ・ギースの20周年コントセレクション@座・高円寺を観てきました。

20周年を記念した3日間のライブ。1日ずつ、尾関セレクションの日、高佐セレクションの日、お客さんセレクションの日、とあって、過去のコントをやってくれる。3日間全て違うコントをやってくれるというだけですでにアツい。

ザ・ギースを最初に知ったのは、それこそオンバトだったと思う。「歩行者教習所」というコントをやっていた。人が歩くのは免許がないとできないことで、そのためには教習所に通わないといけない世界。設定が変わったコントだ。

セリフは普通なのだ。「S字上手いね」とか「免許とったらどこ行きたいの?」とか。「意味のわからない設定×意味のわかるセリフ」の組み合わせってこんなに変で面白いのかと大発見をくれたのは当時のザ・ギースだった。

(意味のわかる設定×意味のわからないセリフ(ボケ)をやると、王道コントになりますね)

私が行ったのはライブの3日目。お客さんセレクションの日だ。当然(当然?)、歩行者教習所もあった。全8本、2時間。過去のライブで観たことあるやつもあれば、自分は知らなかったやつもあった。

20年間のコントをさらうので、表現が危ういネタもある。観ていてのどがキュッとなる。自分が好きだったもの/人に突然差別表現がパッと混ざると、キラキラの世界が途端に濁るものである。

ちょっとラーメンズを思い出したりした。東京オリンピックのとき、小林賢太郎が炎上した。ラーメンズ時代に、差別的な表現のコントがいくつもあった。ホロコーストや同性愛をネタにするコントは、ギョッとする。

小林賢太郎は「愚かな言葉選びだった」と謝罪コメントを出した。「愚かだった」と認めてもらえたことで、私は些かホッとした。

ザ・ギースも、危ういところはあるけど、「当時のネタをそのままやる」というコンセプトだから敢えてそのままにしたのかなという気もした。あ、20年って結構いろいろ変わるくらいの時間なんですね。…という受け手の心構えな。

(なんとなくだが、ライブは自分で選んで金払って観に行ってるので、ある程度受け手にも心構え求められるよねと思う派)

ライブとしても面白かったが、単純に20年何かを続けるということ自体がすごいなぁとしみじみ思った。私は今年でフリーランス10年で、「10年やったらさすがにもういいだろ」と散々言ってきていたが、10年ごときじゃ甘かった。私はまだ何もやりきっていません。

20年同じ人とコンビを続けられるのもすごいね。

私がオンバトで好きだった人たちは、もう今やほとんどいない。解散したかネタなんてもうやっていないかだ。ますだおかだもハリガネロックもラーメンズももう観られない。

帰り道になぜか、ダンディ坂野が今どうなっているか調べたりした。







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