音楽遍歴のスタートはハーモニカ?縦笛?お琴?
両親がクラシック好きだったからか家ではよくクラシックの曲がかかっていた。おまけに両親は仲良くて、時々タンゴをかけては家でダンスをしていた。
小学校は北海道の美唄炭鉱の常盤台小学校に入学したが、その時住んでいた社宅は4階建て位のアパートでそこにはピアノの先生とお琴の先生が住んでおられた(たぶんご主人が炭鉱でお勤めだったんだろう)ピアノにほぼ興味のなかった私だけどお琴の先生のとこはちょくちょく遊びに行っていた。お琴って漢数字が楽譜で、その番号通り弾くと音がでて、さくらさくらの最初の当たり位はすぐに弾けた。
学校ではハーモニカや縦笛を習っていたのは何年生位だったのか?どれが私のファースト楽器だろう?
小2の頃、母親が「あんたもピアノ習いに行ったら?皆行ってるよ」と。子供の頃からアマノジャクで浅はかな私は「ピアノみたいに押したら音がでるのはいやよ。バイオリンかハープなら習いに行ってもいい」と言った記憶がある。大変なのは母親で、なにせ住んでいたのは北海道の山奥の炭鉱。そんな楽器を教えてくれる先生なんて住んでない。やっと汽車で45分乗った美唄市には札幌から週に何度か教えてきている有名な先生がおられることを誰かから聞いてきた。汽車に乗る最寄りの駅までも山を30分位かけて下がらないといけなかったのかな?時間は覚えてないけど。
最初のレッスンはその偉い先生のお弟子さんが先生だった。子供なんで小さなバイオリンが必要でそのサイズを見てもらい、肩当ては手作りの時代で母親が作ってくれた。私は1/2位から始めたのかな?分数楽器は教室のを使っては次に回すやり方だった。まずは楽器の構え方(あごに挟むやりかた)から弓の持ち方、弓の弾き方なんてのを習ったのかな。子供だったのでたぶん毎週レッスンだったのだろうか?覚えてないけど。
習い始めて割にすんなり音も出せて(ギーギーではない音)、始て2週間で教室の発表会があるけど、キラキラ星で出ませんかと言われて出た。すんなり弾けた記憶がある。子供の頃って人前でもあがらなかったし。大先生からも「2週間にしてはよく弾いてる」と言ってもらえたような
お弟子先生のレッスンをどれ位の期間習っていたのか覚えてないけど、この方はとても丁寧で優しい先生だった。ある程度基礎がついたとこで大先生に見てもらうレッスンにかわった。
「ボクのレッスン受けるなら、家では1時間毎日練習して1週間で弾けるとこまでいって、次の1週間で暗譜してくるように」と言われた記憶が。もと札幌交響楽団奏者だったと思うけど、とても神経質そうな怖い先生だった(たぶん当時の先生は全部そうかも)
それでも何とか素直にレッスン受けてとんとんとスズキの教本は進んでいった気がする。同年齢の生徒たちが結構いて楽しかった。
それにこの先生に習って良かったなと思うのは、子供達に合奏をさせてくれたこと。先生がバイオリン4部にハンガリー舞曲の1番と5番とかの曲を編曲してくれ、習ってすぐの私は4番バイオリンをもう一人の同年の子と弾いた。そしてその先生が力があったからか、うちらはテレビにも出た。4番バイオリンで弾いていた小さな女の子二人は大写しにもなっていた。
これが私の合奏事始めだったかな。
先生は熱心だったから、弾ける子供はコンクールにも出さされた。とっても上手い男の子がまず出て、翌年は合奏で横で弾いてた私より少し前に楽器始めた子が。どちらも1位をとったという噂で、私は次にコンクールにでるという話だったが、、、
父の長崎高島炭鉱への転勤が決まった。
*写真は以前にバイオリンで所属していた弦楽アンサンブル