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細胞培養の基本原則の意味

細胞培養について、私が得てきたノウハウをお伝えできればと思い、ゲームを作ったり、本を出版したりしています。こちらでは、本に書けなかったことなどを分かりやすく書いていきたいと思います。
参考になれば幸いです。


細胞培養とはなんでしょうか?

培養細胞は、生体の一部を取り出して、シャーレ等に入れて、栄養を与えながら育てることです。増える場合もありますし、そのまま維持の場合もあります。基礎研究、創薬、化粧品分野での利用だけでなく、細胞治療や食品など、幅広く利用されるようになってきました。

ですが、
基本を守って使用しなければ、間違った結果を排出してしまいます。

 近年は、ジャーナルへの投稿時にマイコプラズマ検査の確認や、その細胞の由来を明らかにするためバンクの認証を提出することが義務付けられたこともあり、培養細胞の汚染や管理については、その考え方がかなり浸透してきたと思います。ですが、いまだに、細胞培養の基本が、十分に浸透していないと思う出来事に遭遇したりもします。不幸な事件が二度と起こらないように、基本を守っていただきたいと思います。

医学生物学論文の70%以上が、再現できない!

2013年にネイチャーに、医学生物論文の70%以上が再現できないという衝撃的な調査結果が発表されています。
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 11 DOI: 10.1038/ndigest.2013.131128

元の論文は、
NIH mulls rules for validating key results Meredith Wadman
Nature (2013-08-01) | DOI: 10.1038/500014a

発表された当時、この調査報告は、衝撃的でした。
70%以上が再現できないというのは、多くのバイオ系の研究者の心をえぐったと思います。

細胞培養の基本原則をまとめることになった経緯

なぜ基本原則をまとめたのか?

「細胞培養の基本原則」としての5か条を、2017年に国内のヒト幹細胞研究や細胞培養を専門とする有識者からなるワーキンググループによりまとめました(1)。

この細胞培養の基本原則が必要と動き始めたのは、2014年STAP細胞騒動の記憶も新しい2015年末でした。細胞培養の基本を守っていていただければ良かったのにと、どれほど思ったことか。それは、ワーキンググループの中でも何度となく話がでました。細胞の取り間違えは、故意かそうでないかにかかわらず、ヒト由来細胞においては25%、今でも起きています。

EUでは、Good Cell Culture Practice (GCCP1.0)が2005年にECVAM(欧州動物実験代替法評価センター)により発表されていました(2)。その後、iPS細胞やオルガンオンチップなど様々な技術が開発され、細胞培養を用いたデータの再現性がより一層必要になってきたため、現状を踏まえてGCCPを更新する必要があるという意見から、GCCP 2.0をまとめる活動が行われているという情報が伝わってきました。そのお話を当時、国衛研にいらしたK先生からお伺いし、日本においては、それを受け入れる土壌を作っておく必要があるのではないか、など、いろいろと意見交換をしました。

予算取りのためか、国際競争のせいなのか、ヒト多能性幹細胞の標準化については盛り上がりました。ですが、いわゆる一般的な細胞培養における標準化というのは、日本ではあまり認識されていませんでした。
日本では、細胞培養の技術は秘儀として伝承されていった経緯があり、詳しいノウハウを共用しようという意識が少なかったという事情があったのではないかと思います。日本に動物細胞の細胞培養を紹介したのは、日本組織培養学会を創設された先生方でしたが、学会の功罪とも言えるかもしれません。

私は、日本組織培養学会で細胞培養コースを立ち上げ、細胞培養士認定コースを作りました。会員の方々は、ご自身の技術に誇りを持ってらして、簡単に認定など与えられないと、幹事会では反対が続き、なんとか皆さんを説得して認定コースを設立することができました。2000年頃から話し合いを始めて、認定コースができたのは2012年でしたので、10年以上かかったわけです。
一方、アメリカの培養学会では、2000年以前にすでに標準化委員会が設置されおり、ボランティアで高校生に細胞培養指導などが行われていました。サマーキャンプなども行われていて、誰もが受講できる技術になっていました。
日本組織培養学会で、培養コースが必要だという私の提言に同意して、一番最初のコース立ち上げを中心的に行ってくださったS先生は、ゴードン・サトーが所長だったニュー. ヨーク州レイクプラシッドのアルトンジョーンズ細胞科学センターで開催されたサマースクール経験者でした。

Good Cell Culture Practice

GCCP1.0 が作られたのは、1999年のボローニャ宣言がきっかけのようです。
イタリアのボローニャで開催された第3回 World Congress on Alternatives and Animal Use in the life Sciences で、「細胞および組織培養における最低限の品質基準を定義するガイドライン"Good Cell Culture Practice"を策定しよう」と科学界によびかけたボローニャ宣言がワークショップで発表され、議論を経て、最終版は会議の閉会式で承認されています(3)。

GCCP2.0のイントロに書いてある経緯をまとめると下記となっています。

  • 1998年 ヒトES細胞の樹立が発表された

  • 1999年 ボローニャ宣言 GCCPの必要性が提言された

  • 2002年    欧州委員会の代替法バリデーションセンター(ECVAM)がタスクフォースを設置し、in vitro(セルベース)アッセイの再現性と品質を保証するために必要な主要原則を扱う「細胞培養法のGood cell culture practice」ガイダンス文書を作成した(4)。

  • 2005年 ECVAMのタスクフォースは、学術研究、産業、安全性試験などの分野から選ばれた細胞生物学者からなり、最初のGCCPベストプラクティスの原則を発表した(2)。

  • 2007年 ヒトiPS細胞が発表された

  • 2007年 GCCPの原則をヒト胚性幹細胞(hESC)に適用する文書を作ることになる(5)。

  • 2013年 OECDの2つのワーキンググループ(医薬品安全性試験実施基準に関するワーキンググループ(WG GLP)および試験ガイドラインプログラムの国内調整者ワーキンググループ(WNT))が ヒトの安全性評価における規制適用のためのin vitro法の開発および実施のためのGIVIMPに関する指針文書の作成に合意。

  • 2017年 GCCPガイダンスの改訂に向けて、多能性幹細胞やMPSについても検討すべきではないかと提案された。(6)

  • 2018年  GIVIMPは欧州委員会共同研究センターの動物実験代替法基準研究所(EURL ECVAM)によって調整され、OECDによって発行された (7)

  • 2020年 ドラフトが発表された。2005年以降に発展した「-omics」技術、幹細胞研究、細胞・組織培養技術の進歩を考慮し、原文(Coecke et al., 2005)の改訂とGCCP 2.0の開発を促した(8)

  • 2022年 改定版が発表された

  このように海外では、ガシガシと培養の標準化について話し合われていたわけです。2017年の論文には、国衛研の先生方のお名前が掲載されていますが、これ以外は日本人の名前はなしです。
 実は、従来より、日本の培養細胞を使った研究は、マイコプラズマの感染が多く、また、細胞の取り間違いも多いという悪いレッテルも貼られているのです。挽回したいですよね。

細胞培養の基本原則の提案

上記のような経緯があり、基本原則をまとめませんかと、お声がけをして、培養の専門家と言える方々にワーキングメンバーとして参加いただきました。とはいえ、基本原則としてまとめるならば、より広く意見をいただいてからにしたという思いがあり、「提案」としています。
これを発表した後、様々な学会に連絡して、情報の共有をお願いしました。多くの学会の事務局が、会員にメールを送っていただき、ホームページに掲載いただきました。今も広く認識いただいており、感謝しています。

基本原則の目的

GCCP2.0について、ドラフトが作成されつつありましたので、同じものを作るわけにはいきません。その当時、私は、厚労省管轄の研究所に所属していた立場もあり、「培養細胞を用いた基礎研究ならびに薬効・安全性評価系構築を行うに当たり、再現性、信頼性、的確性を向上させるため」と記載しました。ですが、GCCP2.0が出る前に、細胞培養の基本を共有しておきたかったというのが本音でした。

細胞培養の基本原則五か条

 あまり項目が多すぎても理解されないだろうからということで、なんとか5つに抑えました。

第一条:培養細胞は生体の一部に由来することを認識すること
第二条:入手先の信頼性、使用方法の妥当性を確認すること
第三条:培養細胞への汚染を防止すること
第四条:培養細胞の管理・取扱い記録を適切に行うこと
第五条:培養作業者の健康と安全、周囲環境への配慮を行うこと

それぞれについて簡単にご説明します。

「培養細胞は生体の一部に由来することを認識すること」

 培養細胞は、ヒトや動物の組織の一部を取り出しています。ヒトや動物の顔が違うように、個体によっても差が出ます。もちろん、どこの組織から取ってきたかにより、その性質も違います。そのため、様々なバリエーションがあります。ストレスを与えると性質も変化してしまうことがあります。ある意味、生き物であることを認識して、取り扱うようにしてほしい、ということを記載しています。

「入手先の信頼性、使用方法の妥当性を確認すること」

培養細胞株の所有権は、実は樹立者にあります。細胞バンクは、樹立者から依頼を受けて、配布をしているという建付けになっています。近年、細胞が突然有料になった、ということが起きてきてます。所有者が代わり、考え方が変わると、そういうことも起きるのです。また、HeLa細胞のご親族の方が、製薬企業を訴えた、というニュースも今年になって報道されています。

また、ヒト由来細胞の場合、組織の提供者が使用する研究に条件を付けていることもあります。以前に、論文査読の依頼を受け、細胞を調べてみたら、その研究に使用してはいけない細胞だったことがあります。
勝手に、隣の部屋の液体窒素タンクから細胞を持ちだしたりすると、使ってはいけない細胞だったということも起こりかねません。
同じ機関であっても、それぞれ使用目的が違えば、再度入手する手続きが必要な場合がほとんどです。細胞の入手にあたっては、慎重に手続きをお願いします。

「培養細胞への汚染を防止すること」

 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の蔓延で、ウィルス等についての知識が深まった方も多いかと思います。先日、天狗熱が発生したかも、というのがニュースになっていました。天候変動により、ウィルスも様々です。細胞は生体から取り出してしまっているため、感染に抵抗力がありません。ウィスル、バクテリア、カビなどが培養している細胞に入らないよう、様々工夫が必要です。 
また、他の細胞が混ざってしまうクロスコンタミネーションしないように操作する必要があります。培地の分取、ベンチに置く細胞は1種類など、工夫することより、クロスコンタミネーションやマイコプラズマの水平感染などは避けることができます。

「培養細胞の管理・取扱い記録を適切に行うこと」

 意外に、実験ノートをちゃんと書いてない人達は多いんですよね。そして、ちゃんと書けないヒト達も多いのです。なので、フォーマットを作って、最低限、記入してほしいことは記入してもらうようにした方が良いと思います。私が使っていたフォーマットは、近くここにも掲載しようと思います。

「培養作業者の健康と安全、周囲環境への配慮を行うこと」

海外では、流してもいい廃液も、日本では絶対に下水に流せない、というものが多くあります。条例、法律は、国により、地方により、かなり違います。ゴミの捨て方一つ違います。海外から帰国したり、異動したりした場合には、必ずその地域の条例、機関の規則を確認しましょう。条例は変更になることも多いので、ラボのローカルルールを教えてもらうだけではなく、自身でも確認しておくことをお薦めします。

まとめ

細胞培養の作業を行う前に、まずは理解しておいていただきたい基本原則、いかがでしたでしょうか?「細胞培養における基本原則」の提案の本文を読んでいただけると、幸いです。

■参考文献

(1) 諫田泰成; 中村和昭; 山崎大樹; 片岡健; 青井貴之; 中川誠人; 藤井万紀子; 阿久津英憲; 末盛博文; 浅香勲; 中村幸夫; 小島肇; 関野祐子; 古江-楠田美保. 「細胞培養における基本原則」の提案. 組織培養研究 2017, 36 (2), 13–19. https://doi.org/10.11418/jtca.36.13.
(2) Coecke S, Balls M, Bowe G, Davis J, Gstraunthaler G, Hartung T, Hay R, Merten OW, Price A, Schechtman L, Stacey G, Stokes W; Second ECVAM Task Force on Good Cell Culture Practice. Guidance on good cell culture practice. a report of the second ECVAM task force on good cell culture practice. Altern Lab Anim. 2005 Jun;33(3):261-87. doi: 10.1177/026119290503300313. PMID: 16180980
(3) Hartung, Thomas, Gerhard Gstraunthaler, Sandra Coecke, David Lewis, Olivier Blanck and Michael Balls. “[Good cell culture practice (GCCP)--an initiative for standardization and quality control of in vitro studies. The establishment of an ECVAM Task Force on GCCP].” ALTEX 18 1 (2001): 75-8
(4) Hartung T, Balls M, Bardouille C, Blanck O, Coecke S, Gstraunthaler G, Lewis D; ECVAM Good Cell Culture Practice Task Force. Good Cell Culture Practice. ECVAM Good Cell Culture Practice Task Force Report 1. Altern Lab Anim. 2002 Jul-Aug;30(4):407-14. doi: 10.1177/026119290203000404. PMID: 12234246.
(5) Adler, S., Allsopp, T., Bremer, S. et al. (2007). hESC technology for toxicology and drug development: Summary of current status and recommendations for best practice and standardization. The Report and Recommendations of an ECVAM Workshop. http://ecvam.jrc.it/publication/hESC_%20010711.pdf
(6)
Pamies D, Bal-Price A, Simeonov A, Tagle D, Allen D, Gerhold D, Yin D, Pistollato F, Inutsuka T, Sullivan K, Stacey G, Salem H, Leist M, Daneshian M, Vemuri MC, McFarland R, Coecke S, Fitzpatrick SC, Lakshmipathy U, Mack A, Wang WB, Yamazaki D, Sekino Y, Kanda Y, Smirnova L, Hartung T. Good Cell Culture Practice for stem cells and stem-cell-derived models. ALTEX. 2017;34(1):95-132. doi: 10.14573/altex.1607121. Epub 2016 Aug 23. PMID: 27554434.
(7) OECD (2018). Guidance Document on Good In Vitro Method Practices (GIVIMP). OECD Series on Testing and Assessment, No. 286. OECD Publishing, Paris. doi:10.1787/9789264304796-en
(8) Pamies, D., Leist, M., Coecke, S. et al. (2020). Good cell and tissue culture practice 2.0 (GCCP 2.0) – Draft for stakeholder discussion and call for action. ALTEX 37, 490-492. doi:10.14573/altex.2007091
(9) 古江美保 -誰でもできる・はじめての細胞培養-第1回 細胞培養の世界を,ちょっと覗いてみませんか? Pharm Tech Japan (Pharm Tech Japan) 38巻 8号 p1193-1195 発行年:2022年
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202202290855401637