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【今日のバッハのカンタータは?】2024/2/11(日) 五旬節 もしくは エストミヒ

WHICH BACH CANTATA TODAY?" (「今日のバッハのカンタータは?」)の 2024年2月11日 の記事の和訳です。以下,一部訳注やリンクの追加と関連動画の紹介をしている以外は,ほぼ直訳です。

五旬節 もしくは エストミヒ

2024年2月11日 - 今日は五旬節(Quinquagesima)またはエストミヒ(Estomihi)または赦罪の主日(Shrove Sunday)です。五旬節は復活祭の50日前、Estomihiは詩篇31:3"Esto mihi in Deum protectorem"(訳註: わたしの守護神となって下さい、の意)に由来する。この日は四旬節(Lent)前の最後の日曜日で、四旬節は(待降節と同じく)自己反省、祈り、懺悔、悔い改めに重点を置く悔悛の期間であるTempus Clausum (訳註: 閉ざされた時)に該当する。盛大な結婚式のような派手なお祝いは許されず、ライプツィヒではミサに音楽もなかった。私たちにとって幸運なことに、ワイマールではそのような規則はなかった。

バッハは私たちに,今日のためのカンタータを4曲も用意してくれている。どれもライプツィヒ時代のものだ。フィリップ・ヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe)とコレギウム・ヴォカーレ(Collegium Vocale)は、これらのカンタータを1枚のCDに録音しているので,今日は例外的にこの一人の演奏者だけ取り上げた。

さらに重要なのは、最初の2つのカンタータBWV22とBWV23は、バッハがライプツィヒのトーマス・カントールの職を得るためのオーディションで作曲した曲ということだ。もともとライプツィヒ市は、当時ドイツで最も高く評価されていた作曲家、ゲオルク・フィリップ・テレマンにこの職をオファーしていたが、彼はハンブルクの宮廷での昇進とより高い賃金を得たため、そのオファーを断った。

その後、市議会はヨハン・フリードリッヒ・ファッシュ(Johann Friedrich Fasch)を含む7人の候補者を選んだが、トーマス教会の優秀な教師が欲しいのか、優秀な音楽監督が欲しいのかという点で意見がまとまらなかった。そこで、彼らはこのポジションを公募した。

そこに2人の作曲家が応募した。 クリストフ・グラウプナー(Christoph Graupner)とバッハだ。四旬節とTempus Clausum(閉ざされた時)が間近に迫っていたため、評議会はグラウプナーを公現祭(Epiphany)後の第2主日に、バッハを3週間後の五旬節に演奏させた。

議会は、おそらくオーディション前からグラウプナーを支持していた。グラウプナーはトマス教会でシェレ(Johann Schelle, 1648-1701)とクーナウ(Johann Kuhnau, 1660-1722)に学んだ元学生で、要求されるあらゆる音楽形式に秀でていた(訳註)。しかし評議会は、彼の当時の雇い主ヘッセ=ダルムシュタット方伯エルンスト・ルートヴィヒが移籍を許可しないことを恐れ、グラウプナーを正式に任命する前(そしてバッハのオーディション前)にエルンストに手紙を書いた。結果は予想通りのものだった。グラウプナーはダルムシュタットに留まるしかなかったが、結果的に,より高報酬での契約を得ることができた。

訳註: グラウプナーのwikipageによると,当時のライプツィヒの新聞での作曲家人気投票によると,1位はテレマン、2位はヘンデル、グラウプナーは3位(バッハは7位)だったらしい。

バッハがオーディションを受けたときにこのことを知っていたかどうかは推測の域を出ないが、グラウプナーが手ごわい競争相手であることは認識していたに違いない。

地元の新聞には、バッハのカンタータが「全ての審査員から高く評価された」と掲載された。バッハのオーディション結果が良く、グラウプナーは移籍できなかったため、バッハにオファーが出され、バッハはこれを受諾した。ケーテンの宮廷から解放されたバッハは、家族と荷物(地元紙によれば、馬車4台と荷馬車2台が必要だった)を連れてライプツィヒに向かい、5月30日にトーマス教会の新装アパートに落ち着いた。その後は、あの素晴らしい音楽の数々が登場する,まさに歴史の始まりた。

私のサイトの登録者,ロビン・クルップ・テイラー(Robin Klupp Taylor)が、この就任にまつわるいくつかの出来事を明らかにしてくれた。感謝!

Music for today

  • Jesus nahm zu sich die Zwölfe, BWV 22
    (first performance 7 February 1723, Leipzig period)

  • Du wahrer Gott und Davids Sohn, BWV 23
    (first performance 7 February 1723, Leipzig period)

  • Herr Jesu Christ, wahr' Mensch und Gott, BWV 127
    (first performance 11 February 1725, Leipzig period)

  • Sehet, wir gehn hinauf gen Jerusalem, BWV 159
    (first performance ? 27 February 1729, Leipzig period)

追加情報

オランダ・バッハ協会のウェブサイトに、BWV22, 23, 159についての詳しい情報と演奏が掲載されています:

https://bachvereniging.nl/en/bwv/bwv-22/
https://bachvereniging.nl/en/bwv/bwv-23/
https://bachvereniging.nl/en/bwv/bwv-159/

今日の画像

ライプツィヒのトーマス教会の隣にあるヨハン・セバスティアン・バッハの像。トマスカントルのオーディションを受けるためにライプツィヒを訪れたバッハは、何世紀も後に教会の外に自分の銅像が建てられることになるとは想像もしていなかっただろう。

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