見出し画像

【ナディアの両親:伝説の音楽教師ナディア・ブーランジェ特集その6】

ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger, 1887-1979)の祖父のFrédéric Boulanger(1777-?)はチェリストで,パリ音楽院の声楽の教授でもあった。

Nadiaの父親エルネスト・ブーランジェ(Ernest Boulanger, 1815-1900)もパリ音楽院で声楽の教授だった。自身もパリ音楽院出身で,アルカン(Charles-Valentin Alkan, 1813-1888)にピアノを学んでいる。アルカンは超絶技巧な曲をたくさん作ったピアニスト/作曲家としてピアノマニアの中ではかなり有名な人物だ。

エルネストは20歳(19歳と書かれていることもあり)でローマ大賞(フランスの若手の登竜門的存在で,かつ大きな名誉となっていた奨学金)を作曲で獲得。初めはピアニストとして活動を始め,アメリカツアーで成功も収めていたが,その後は作曲家/指揮者としても活躍し,当時流行ったコミックオペラをいくつも作曲していた[1]。パリの自宅にはグノーや,マスネ,フォーレ,ヴィドール,サンサーンスらを招待して,よく音楽会を開いていたとのことで,ここに並ぶ名前を見ただけでクラクラする。

ナディアの母親ライサ・ブーランジェ(Raïssa Boulangerr, 1858?-1935)は,wikipediaによると,13世紀にキーフ付近で君主だったMikhail Vsevolodovichをルーツに持つ王女らしい。しかし,別の情報源[2]によると,ライサ本人はサンクトペテルブルクの王子の娘と言っていたが,該当する人物が記録になく,ドイツ系の王女の娘だったようだとか,皇族の隠し子だったと推察している人がいるとかで,なんだかよくわからない。

いずれにしろ貴族の娘たちのための学校に通い,フランス語,ドイツ語,英語,イタリア語を話し,サンクトペテルブルク音楽院で歌を学んでいたとのことで,良い環境で育ったのは間違いない。

で,「ママはね,ロシアに公演に来たパパの歌声に惚れて,パリまで追いかけて結婚したのよ。」と娘のナディアに語っているとのこと。でも,それらしい頃にエルネストがサンクトペテルブルクで公演を行ったという記録がなく,おまけに挙式を挙げたとされるサンクトペテルブルクの教会にもその記録は残っていない[2]とのことで,このありも真相は謎(よくまぁ,ここまで調べている人がいるもんだが)。

ところで,出会った時はライサ16歳,エルネストは59歳で,結婚はその3年後。ナディアが生まれた時は父エルネストは72歳,ナディアの妹リリが生まれたときには78歳。ナディアもリリも実はエルネスの子ではないと,情報源[2]では主張しているが,ナディアとリリの音楽的才能のことを考えるとエルネストの子ということに一票。ゴシップネタはさておき,妹のリリ・プーランジェ(Lili Bouranger)は ナディア の運命を大きく左右した重要人物。その話はまたそのうちに。

エルネストの曲を調べてみたのだが,IMSLPに楽譜はあったものの,音源は見つけられなかった。代わりにナディアの曲"Cantique"(賛美歌)を紹介。静かに少しずつ和声を変化させて美しい色彩を作っている。そういえば,「メロディーは花束,和声はブーケ」って,大好きなピアニストNahre Solが説明していたっけ。

こちらは同じ曲のトランペット+オーケストラ編曲版。

情報源

[1] ジェローム・スピケ著,大西譲訳,"ナディア・ブーランジェ", 彩流社, 2015
[2] "Raïssa Boulanger", https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Raïssa_Boulanger


いいなと思ったら応援しよう!

jun
記事を気に入っていただけたら幸せです🥰 たまにコーヒー代☕️をいただけたら,天に昇るくらい幸せです😍 (本当に天に昇らないように気をつけます)