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【伝説の音楽教師ナディア・ブーランジェ特集その3:ディヌ・リパッティ】

ディヌ・リパッティ(1917-1950)は20世紀の名ピアニストの一人。ルーマニア出身で,父親はサラサーテとカール・フレッシュに師事したヴァイオリニスト。母親はピアニストで,名付け親は伝説的なヴァイオリニストのジョルジェ・エネスク(エネスコ)。

リパッティが1933年にウィーン国際ピアノコンクールで二位になったことに対して,コルトーは一位にすべきだと主張して審査員を辞任した。その翌年の1934年にリパッティはパリに移り,エコールノルマル音楽院(コルトーが創設者の一人)で,ピアノをコルトーに,作曲法をナディア・ブーランジェとポール・デュカス,指揮法をシャルル・ミュンシュに師事した。

リパッティは,ナディア・ブーランジェのレッスンを音楽院で毎週2回受講したほか,彼女の家でも毎週2回受けていたので,週4回ナディアのレッスンを受けていたことになる。以下はリパッティの言葉。

彼女の言葉は一言も聞き漏らさへんようにしたで。その一言一言に痺れたねん。あんな凄い人おらんで。(超訳)
These lessons give me so much pleasure that I don’t miss a word she says.
She is, in everything, extraordinary.

https://www.dinulipatti.org/about-composer-and-professor-nadia-boulanger-in-a-letter-to-mihail-jora-january-26-1936-en-a234

二人の交流はリパッティが33歳の若さで夭折する直前まで続く。以下はリパッティが他界する2ヶ月前にナディアに宛てた手紙から。

この地球上であなたと同じ時代を生きることができたことは幸せでした。あなたがして下さった全てに感謝します。

ジェローム・スピケ著 , 大西譲 訳「ナディア・ブーランジェ」

次は他界する約1週間前にナディアに送った手紙の一部。

ここのところの数週間は,あなたへの想いが大きな支えです。(中略) 私の思いの全てはあなたとともにあります。ベッドの脇に置いてあるあなたの写真のおかげで,困難を乗り越えることができます。抱擁をあなたに。

ジェローム・スピケ著 , 大西譲 訳「ナディア・ブーランジェ」

以下はリパッティとナディア・ブーランジェによるブラームスのワルツの連弾。リパッティを紹介する目的でよく登場する録音で,ナディアについて言及されることは非常に少ない。しかし,リパッティにしてみると師匠に一緒に弾いてもらえるウキウキな企画で,このジャケットのように自分の名前だけが表に出るのは本意ではなかったろうと思う。それはともかく,端正で瑞々しく美しく,また,二人で弾いているとは思えないような演奏だ。この端正でいて表情に富む演奏スタイルはナディアの教育ポリシーだったのだろうと,他の多くの弟子たちの演奏を聴いて感じている。

こちらは,やはり二人の連弾で伴奏をしているブラームスの歌曲集。共演者たちはナディアが毎週自宅で開催していたサロン(勉強会)に参加していた仲間たち。


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jun
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