昔勉強をしなかった私

小学生の頃から勉強をしなかった。知らない事は知りたいから良く親に何で?何で?と聞き、その度に「辞書を読んで」と言われ、国語辞典をひいていた。載ってないことは、親に聞いて、「知らん。先生に聞いて」と言われてた。

学校の勉強はしなかった。なんでしないといけないのかわからなかったから。本を読むの好きで本はめっちゃ読んでた。ジャンルは推理物からその時に興味がでた分野に関しては探して読んでた。年齢の割に難しい本も読んでた。

今はわからないが、私が学生の頃は先生が問題を出し、生徒はわかったら手を挙げるスタイルだった。私は、わかっても手を挙げずにいた。先生によっては、手を挙げない生徒を当てるが、私はその時に答えれる。

答えれるのに何故手を挙げないのか?と言われても、挙げることの重要性が私にはわからないから。って思ってるし、言い回しのよっては、理解されなかったから、なら、言わなくていいやんって思ってた。

今思えば、めっちゃ嫌な子供だ。ひねくれてるし、口答えするし。あの頃の先生方本当にすみませんでした。

学校卒業後の仕事をしてからは進んで学び、本や学びにお金をかけることを厭わないようになり、親から「学生時代勉強せんかったのに、なんで?」と聞かれる。私は、必要だから。学ばないと仕事できないからだ。と答える。必要であれば、やる事はやる。意味を見出せないことを実行することは難しいと若い頃思ってた。

勉強することだけではないが、自分を好きになる事から派生して、一つの考えが浮かんだ。自分が嫌いだと、自分に無頓着になりやすい。見た目も無頓着でファッションや美容に関心無くなる。自分を信用できないし、他者の目を気にしないから、バカだと思われるのは嫌だが、評価の為に頭を良くしたいって気持ちはわかない。が、最低限のことはする。何したいか分からない将来に向けて、選択肢がまだ選べる範囲にいるために、学校であれば普通科に取り敢えず行く。みたいな考えだった。

勉強して、良い学校に進むことで外部評価として良くなる。それは考え方はいろいろあるだろうがその中のひとつとして他者からの好意、賞賛を受けるだろう。

学生の頃、自分さえも嫌っている自分が他人から好評価を貰えると思っていなかった。その為に勉強しなければ、良い学校に進学出来ない。やっぱり私は好評価をもらえない人間だって、考えた事を現実にする為に動いていた部分もあった。

やりたい事をするために、最低限の事で実現すれば良い。だから、資格をとる学校も偏差値の高いとこじゃなくても、低いとかでも資格とれるならそこで良い。って考えて、じゃあ、勉強は必要な時にすればいいやん。って行動してた。

受験期のみ勉強したし、試験の前だけ勉強する。ってスタイルだった。

就職後に勉強するのは、自分の評価ではなく、勉強しないと仕事が出来ないから、仕事をするために勉強するだけ。だから、新人で何も出来ないと申し訳ないから、出来る事をするために勉強するっていう、向上心とか他者評価とかではなく、仕事を続けていくためにすること。つまり、働き続けるために必要な事はするっていう基本的なスタイルは変わって無かったと思う。

自分を深掘りすればするほど、根っこは一つで根本を解決しないと表面的な応急処置では、どーにもならないんだなぁと改めて感じる。

自分を好きになるそれだけだけど、それが一番難しいことだ





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