身体的な悩みの一つについて、今の行き着いた考え

服難民な私は、身体に身につける物難民だった。過去では無い部分もあるけど、過去になったこともある。

身体のサイズが平均的でなければ、そこには普及の流れに乗れない事が多々ある。

服しかり、靴しかり、鞄(ショルダータイプの肩紐の長さとか)しかり。

芸能人のバービーさんが企業とコラボして下着をプロデュースされた時にニッチかと思われる市場だが、その層を取り込んだ時の効果の大きさがわかる。本当に一部の人間たちにとっては切実な願い。

私もその層に含まれ、難民を長い間続けていた。小学生の頃から悩んでいたこと。自分が望む時って、切実な分だけ情報の理解度が高い。

でも、バービーさんの物を手にしなかった。何故か?層に当てはなっているが、優先順位的に他の要素が勝ったから。時期的なものもあるけれど。

そう考えると、ニッチな層の中のまたまたニッチな層って、いるんだろうなぁと感じる。

母親と話しをしていて、下着の話になった。世代的に体型が崩れるので、難民になっていった部類だ。私の優先順位と母親の優先順位が一致していた。

ニッチな層の中のニッチな層って意外にいるかも?と思った。話してみないとわからないものだなぁと思った。

優先順位は、寒さへの対策。朝着替える時に日本家屋は寒い。そんな中一番肌に触れる部分が冷たいと着替える気分が萎える。それを解消してくれる物が冬から初夏までは欲しい。それを叶えてくれるものは無いのか?ってことだった。因みに売り言葉の中にはそのような要素に関しての記述はない。

私は、難民を卒業したので、経緯と実体験を交えて話をして、結果母親も買うことになった。冬をどう過ごして、その結果どうだったのかについて。

昔、高齢者施設で働いていた時にいつまでブラをつけるんだろう?と疑問におもっていた。入居者の年齢は80後半からが多く、みなつけていない。いつ頃からつけなくなったのかといっても、大正、明治の方々は、着物の時代もあっただろう。付けない事に違和感はさほどないのかもしれない。家族の願いで付けている方もおられた。良い、悪いではない。単なる疑問だ。施設での洗濯は大型洗濯機で一度に大量を洗うのでその洗濯方法では、オシャレ着などのヘタリは早いしね。

働いている間は疑問は解消されなかった。が、今なら、私は自分の意思が通せる間は、付け続ける。それを可能にしてくれるものに出会ったから。ある程度関節が固くなっても着脱の容易さ。洗濯は男性スタッフに見られても他の形状よりは恥ずかしさが少ないのではないかと思えること。付けていることへの違和感のなさ。などを踏まえるとそう、言える。

これって、ブラに限らず、他の事全てに言えること。自分が解決したいと望み、情報を取捨選択して、吟味して、優先順位を付けて、試行錯誤を繰り返す。

まっいっか、と諦めたり、テキトーにしていたらたどり着けなかったこと。今までの私は仕方ない、まっいっかで済ます事が多かった。

今は一つずつ、その時の違和感を大切に考え、自分の中の優先順位を付けて、行動する。それが、きっと、自分軸を作ることに繋がる。

なんて、ことを下着を通して考えるなんて、変人だなぁと我ながら思う。でも、そんな部分にさえ生きづらさを感じて生きているのだ。そんな、身体的特徴だが、今はそれさえも愛おしく、扱いやすいと感じられる物の普及や、世間の変化を感じる。



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