夢の叶え方〜家事をしたくない私〜

マレーシアがFMCO(完全ロックダウン)になって1ヶ月が経とうとしています。

まだまだ感染者が多いので、マレーシア政府はFMCOの無期限延期を決めました。

(これまでは日付が決まっていましたが、今後はいつまで延期になるのかわからない状態です。)


今回は、私が「結婚しても料理はしない」という目標を叶えたことについて書いていこうと思います。

私は、10代からずっと結婚しても「料理はしない」という目標を持っていました。

理由は

「女なんだから家事をするのは当たり前」

という私の周りの雰囲気に抗議するためです。

なぜそうなったのか、今はどうなのかというのをこれから書いていこうと思います。

(料理ができるに越したことはありません。現在は、同世代に比べてほとんど料理ができない女に成長しましたので、毎日の献立を考えて、冷蔵庫にあるもので料理ができる人を尊敬しています。)


女が家事をするもの

私が育ったのは昔からある田舎の集落でした。

戦後の大変な時代を生き抜いた祖父母

「男が外で働いて、女が家のことをする」

それが私の祖父母の時代のあたりまえだったようです。

小さい頃から、お盆やお正月、それ以外の行事で祖父母の家に行くと、「男の人は座って酒を飲み、女の人は台所で忙しくする」という光景が当たり前でした。

小学生くらいになると、私も食べ物を運んだり、ビールを取ってきたりとお手伝い程度に動いたことを覚えています。

しかし、弟たちは特に何も言われずに遊んでいます。

もちろん母に抗議をしたことがありますが、

「将来お嫁に行ったときに困らないように」

というようなことをよく言われていた気がします。

やらないと怒られるからお手伝いするけど、なぜ私だけという気持ちが私には強かったです。

その気持を強くしたのは、祖父母宅でご飯を食べている最中に弟にケチャップを頼まれ、女が動きなさいと怒られたことです。

必要な人が取りに行けばいいのに、同じご飯を食べていて、私に必要のないケチャップをなぜ当たり前のように私がご飯を中断して取りに行かなければならないのかと思いましたし、絶対におかしいと感じた出来事でした。


違和感

今でも4年生のときの違和感の記憶がはっきりとあります。

私は4年生になったからと、洗濯物を干すというお手伝いをすることになりました。

両親とも仕事をしているので、洗濯物を干すのは夜でした。

冬に濡れた衣服は冷たかったので、とても嫌な仕事だったことを覚えています。

(食器洗いや洗濯物を畳むなど、他の選択肢はもっと嫌だったからそのときの自分は干すことを選んだんだと思いますが)

そこでも私はなぜ弟たちはしないのに自分だけ?

という疑問が大きく、母に抗議していました。

何度も抗議する私に対して、母の回答は「弟はまだ小さいからできない」だったので、私は弟たちも4年生になったら私のようにお手伝いが始まるということで自分を納得させ、嫌だけど洗濯物を干していました。

(自分の中ではよくやっていた記憶ですが、おそらくよくサボっていたと思います。記憶はすべて当時の子どもだった自分の主観です。)

しかし、4年生になった弟が私と同じようにお手伝いをさせられるようなことはありませんでした。

がっかりしたと同時に男女でなぜお手伝いをする・しないに差があるのか悔しかったのを未だに覚えています。

小学校高学年(2000年代)の社会の授業で男女共同参画社会など男女平等という学習が多かった記憶があります。

学校では男女平等と学習し、夫婦共働きの時代が当たり前だと学習し、家に帰ると女だけが家事をする

小学校の頃から、このことに違和感がありました。

私の母は当時、働いていました。

私は母に対して、自分も働いているのになぜ家のことを自分一人でやろうとするのだろうと思っていたし、声にも出していました。

が、母は家事は女がやるのが当たり前だという考えだったので、私と母がわかり合うことはなかったです。


宣言

高校生になり、好きな人ができたり、友だちとどんな人と結婚したいかという話になることがありました。

好きな人のために何かしたいという気持ちがわかるようになり、だから母や周りの大人の女性は、家事を積極的にするのかとも考え始めました。

そして、専業主婦になりたいという友だちもいて、私の「女が家事をする」という考え方に変化がありました。

「女が家事をする」のではなく、好きな人(夫や子ども、親戚など周りの家族)のために「女が家事をしている」という解釈をし始めました。

しかし、当時私はすでに「女だから家事しなさい」ということばに敏感に反応し抗議する娘に育っていたため、「どうすれば自分が家事をしなくてすむか」という考えになりました。

結果、高校生の頃に「私は結婚しても家事はしない。結婚するなら、家事をしてくれる人と結婚する。」ということを心に決めました。

そして、母に宣言すると呆れられました。


風当たり

高校生のときにした宣言を私は胸に秘めるのではなく、堂々と宣言することにしました。祖父母の家での行事ごとのときも祖母や母、叔母などに宣言し、自主的に手伝うことはあまりなかったです。

(本当に大変そうなときに自主的に手伝うとみんなが驚いた顔をよくしていました。)

高校生なら、「若い子は威勢がいい」で済まされたかもしれませんが、年齢も重ねた大人が未だにこのことを宣言するので、祖母と母とはよく口論になります。

母には、特に大切な行事ごとで祖父母宅へ行く前に「今日は何も言わずに率先して動いてね」と毎回釘を刺されます。

祖母にも「女のくせに何もしないで」とよく言われますが、「時代が違う」ということばで納得してくれるようになりました。

(でも次にあったときには忘れて、同じ会話を何度もしています。)

叔母たちは、どう思っているのでしょう。

肯定的に見ている人もいれば、自分の娘じゃなくてよかったと思っている人もいるかもしれません。

風当たりは決していいとは言えないですし、こんな女を嫁にもらいたくないと思う人は多いのではないかと思っています。


現在

そして、現在私は縁あって外国籍の夫と結婚しました。

夫は、お付き合いを始めた頃から私の宣言を聞いているので、特に何も求めてきません。

思ったことを宣言しておくって大切だなと思いました。

彼の国の習慣は祖母世代の価値観が残っているので、家事をするのは女の役割のようですが、私が義両親にとって外国人&離れて暮らしているため、何かを言われたことはありません。

そして、私にも変化があり、10代は「家事をしない」と宣言していましたが、20代途中から「料理をしない」という宣言になりました。

というのも、家事の中でも私が得意またはこだわりたいものが出てきたからです。

私には、使わないものを持ちたくないというこだわりや、ある程度整然とした環境を好む傾向があるので、それに関係する家事は自分でやるようになりました。

しかし、料理に関しては、どうしても行事ごとで祖父母宅のことを思い出してしまうので、年に数回気が向いたらする程度です。

現在はマレーシアにいるので、朝ごはんは夫が作り、昼や夜はお互い好きなようにしています。

夫は自炊とデリバリー半々、私はほとんどがデリバリーです。


これから

今後のことは、自信を持って言い切れませんが、数年後に日本に戻ったとしても、料理に関してはほとんどしない&できないのではないかと思います。

祖母や母は、栄養バランスを考えて料理を作ることができたかもしれませんが、私は栄養バランスについて知識がないので、自分で作った料理で栄養が取れるという確証もありません。

しかし、現代は生協やOisixなど、家での調理工程が少ないけれど美味しく食べられる宅配システムが提供されています。

自分で料理をしなくてもどうにか生きていけるのではないかと思っています。


まとめ

「家事は女がするもの」という概念が古いとわかっていても、そういう文化が残っているところはまだあります。

その文化ができてきた背景を考えると、「家事は女がするもの」という考え方も理解はできます。

ですので、その人はその人の、私はわたしの考え方を貫くほうがいいと思います。

まとめにはなりませんでしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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