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TO THE FUTURE

山野邉 毅と申します。
荒川区東尾久4丁目で生まれ育ち、赤土小学校を卒業しました。
現在は
東京都中央卸売市場北足立市場で 足種未来(アシタネフューチャーズ)という青果卸を営んでます。
時折 あらかわ子供ネットワークに 野菜や果物をお持ちしております。
いつも 沢山の子供たちから お礼の手紙を貰っては喜んでおります。

この度の新型コロナウイルスによる東京都緊急事態宣言により
いつも施設に 食材を取りに来てる 支援が必要な利用者の方々
日々活動されてる 施設の皆様も 自粛で外出を控えなくてはいけない状況で
物資供給の支援はどんなふうにしてるんだろう?と疑問に思い
私個人として 今できることは 何かを考えたときに
外出できない子供たちに直接 野菜 米 花を届けられたら 役に立てるだろう。

少しは安心できるだろうと
ふと 思い立ち
今しかできないことをやろう!と

支援が必要な世帯に直接 物資を運びます。 という ご提案を社協に差し上げました。総件数500世帯 に直接 手渡しさせていただきました。
係わられた全ての方々に とても喜んでいただき 今しかできないことができて感無量です。

私は 荒川区で生まれ 荒川で育ったのですが
幼いころの記憶があまりありませんでした。

現在運営してる 子ども食堂の存在理由 も あまり理解しないまま
食材提供のボランティアを始めたのですが・・・

ボランティアを通じて その真意に触れることになります。

何かをきっかけでボランティアを始めたわけではありません。
私の父親は小さな工場を営んでおりましたが、早くに他界しました。

父親は私が小学校1年から6年生の卒業式の日まで 赤土小学校の横断歩道前で 黄色い帽子と旗を持ち
子供たち全員の安全を見守ってました。 
卒業式の日には 自分が工場で作った ネクタイピンを 友達に付けてたことを思い出します。

父親が生きてれば 私は普通に工場を引き継ぎ、同じように地域社会に貢献してきたと思います

同じく 地域社会活動に貢献し続けてきた母親は認知症になり
周りの温かい人たち 友人の皆さんは 心から母親を心配してくれ助けてくれました。
母親は 『私はもう 人生やり切って 何もできなくなってしまったから 後はあなたが 頑張ってね』と いわんばかり 無言で 私に次のバトンを渡したのだと思います。

ある日 車椅子の母親と 都電に乗ろうとしたとき あいにく満員で  

後方に車いすのスペースがあるから 『後ろのドアから乗ってくださ~い』と
アナウンスがあり、あいにく後ろも満員。 車いすエリアは混雑していて 入れず右往左往して 困っていたら

突然 おばちゃんが 大きな声で

『そこ!車いすスペース ちょっとどいて!空けなさい 』 と言う 

びっくりする程の 大きな声と共に スペースがぽっかり空いた瞬間 

私は小さな 蚊の泣くような とても小さな声で

ポツリ 一言

『 ありがとうございます 』

と 言うと 

うつむいたまま 自然に涙がこぼれ落ちました。

その ひと言は 遠い昔  困ったとき ほんとどうしようもない時 

手を差し伸べてくれた 大人の声でした。

懐かしい その 無偽善の素早い行動と 言葉の温かさは衝撃でした。

お金では交換できない何かがそこにはありました。

荒川区の 代々受け継がれてきた文化を目の当たりにした。

昔は 嫌で仕方なかったけど。

現代社会で 無くなったものの一つなのか 隠れてるのか・・・。

そんな 温かく見守ってくれてた人たちも歳をとりましたが 今でも頑張って生きていました。


子供の頃を忘れてましたが 困ったら 前に出てきて 受け止めてくれてた 助けてくれた 大人たちが 沢山いたように思います。

ボランティアをするたびに 完全に忘れていた 昔のことを 想い出します。

荒川区には子供のころに培った 想い出という財産が無数に蓄えてあり 

その鍵はボランティアをするたびに 開いていきます。


ボランティアを通じて 自分がかつて してきてもらった事に気付かされます。
ボランティアによって 自分探しの発見の旅は続きます。自分の核が何で作られ 何を失くし 今があるのか。

赤土小学校の大勢の友達 酒井先生 大門小学校の友達  10円ラーメンの親父 三ノ輪スイミングスクールの友達 ロッテオリオンズの応援団長 新島君のお父さん
ずっと好きだった女の子に告白するのに 付いてきた大勢の野次馬友達
尾久セントラル劇場の東映漫画祭りだけ一緒に盛り上がる友達
ぶちのめされたら守ってくれたスーパーヒーロー番長
俺 大工になるからと 草加に引っ越した長屋に住んでた親友
児童公園の友達 野球チームのライバルなのに普通に友達 熊野前商店街の縁日行くだけの友達 いつも会うたびに殺すと脅す近所のキチガイ  駄菓子屋で会うだけの友達 えび須湯の友達 東京マリン行く時だけは友達  宝来やのたこ焼きの可愛い女の子 満光寺の縁日。

それぞれのシーンにはドラマがあり 輝く未来への道を 何の不自由も

何一つ不安なものもなく 地域の愛情に包まれて

なだらかな道を歩いていたと思います。

何もなかったけど それぞれにコミュニテーがあり 光り輝く 沢山の友人がいて 何の不安もなく 純粋に楽しかったことを思い出しました。 

もちろん各友達の家でご飯をごちそうになります。
そして あたりまえですが そこにはいつも 優しく 何の疑問もなく

受け入れてくれる友達や 受け止める大人たちが 存在してました。

今回、ユリイカ学習塾の恩師 入山先生に再会できたことは忘れません。
ボランティアを通じて 私の恩師が入山先生だ と気付かせてくれたことも大収穫です。

78歳とは思えないご健在ぶりで 完全に昔のあの頃にタイムスリップです。まさに師匠と子供です。
先生と談笑しました。

終わりに
『 先生あれから 人生遠回りして 色々あって大変でした!』
と 報告しました。

入山先生は 『 そうかそうか 頑張ったんだな! 』と 言わんばかりの あの頃と全く変わらない 優しい微笑みを
されました。

その微笑み のみで

その瞬間 一瞬 少年時代にタイムトリップした。

何の因果か ボランティアを通じて ようやくここにたどり着き

私は少年時代の温かい場所へ戻りました。

私は黙りました。そして うつむき 

涙が溢れました。

ボランティアをすることで 心の涙をいくつも流します。

子供たちに必要な物は
安心してご飯が食べられ 思い切り遊び 自分のことを受け入れてくれる 大人や友達がたくさんいる 環境が大切で
たくましく生きて行く力は 一人じゃ育たず
現代の子ども食堂は そのような 役割の環境という事もわかりました。


その昔、街が学校が社会がコミュニティーであり、
貧乏人も金持ちも混在し
頭のいい奴も ケンカが強い番長も おまわりさんは優しく強い存在で
先生は恐ろしくも優しく
足が速いやつも 体が病弱な子も それぞれの役割を そのコミュニティーで 演じて混ざり 仲良くなり 別れ 
競争もし 挫折もし でも皆 弱いものには優しくし 自分も弱いにもかかわらず 優しくし 
現在自分の人間形成の根本は幼少期に属してた このコミュニティ環境が核となってるはずなので
生き方も 条件反射 も愛情表現 も いくら働いても倒れない不屈の精神も 肉体を作り出す栄養も この幼少期のコミュニティー環境があってのもので 人を作る全ての根源がここで決まるという あたりまえの事を 今回の活動で 再認識しましたし、
その重要性を 改めて再認識できました。

幼いころの記憶があまりありませんでした。

ですが

いつも 誰かが手を差し伸べて、コミュニティーが存在してた。 誰も一人ぼっちで生きてこなかったはず なものを
現代に  ( 食とコミュニティー環境で )  子ども食堂として 再現してる 皆様の 日々の努力に 頭が下がります。

ボランティアによって 自分探しの旅は続きます。

今の自分を作り出した アイデンティティーとルーツはこの荒川区の環境と大勢の友達と大人たちが作り出しました。
ボランティアを通じてその発見ができたことが
何よりもの収穫であります。
大人になり 自分の事よりも 他の誰かのために力を尽くすことの方が 性に合ってることもわかりました。

自己超越の欲求が 一番パワフルである

そうして 人はそれぞれの役割を演じて 他者に影響を与え

例外なく その全ての人が平等に人生の幕を閉じる。

このような機会を与えてくれた  そして 気づかせてくれた

子供たち 

街  そして 

あらかわ子供ネットワークの皆様 

何よりも全員賛同して励んだ 弊社STAFF全員に 

感謝いたします。

何本も大きな矢を放ち 世界を変えることなど私には

出来やしませんが、

引き続き 小さい矢を数多く 放ち続けたいと考えてます。

To the futures 
ありがとう=よかったね 荒川区
20200620


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