「時間が欲しい」本当の意味。
小学校の学級新聞。
先生達への質問コーナーにて。
「もしも1つだけ願いが叶うなら。」というタイトル。
当時、小学3年生。
この新聞の問いに対し、多分、、いや、、確実に私のキーセンテンスになっているであろうフレーズがあり、衝撃を受けたのを覚えている。
A先生「ドラえもんが欲しい。」
B先生「背が高くなりたい。」
と、数々のアンサーが飛び交う中、小学校1、2年の担任だった恩師の答えは
「時間が欲しい。」
との事だった。
担任だった恩師は当時61歳。
私の小学2年時が、最後に受け持った学級で。
定年退職後は嘱託勤務となり、理科の授業を担当していました。
小学3年の私は、その恩師の答えの意味が理解出来なくて。
と、同時に「時間」を氣にする自分が確立されるきっかけにもなった。
「時間は無限ではないんだ。。。」
そこから、唯一平等にあるもの。有意義にするには、自分自身の時間の使い方によって、変わってくるんだ。。。
と、妙に納得してしまった自分がいた。
大切な人。家族と過ごす時間。勉強の時間。趣味の時間。友人との時間。おひとりさま時間。
私にとっては、どれも大切な時間で。
時間は有限。
限られているからこそ、本当に大事に思っている事です。
宇宙の法則という視点から考えると「生かされて」いる時間。
ある日突然。心臓がとまってしまう事もあり得る。
そう考えると、、1分1秒。とっても大切になってきますね。
たまに時間を無駄にしてしまう事は、あるかもしれないけれど、、、。
私との時間を共有して過ごそうとしてくれる方達には、感謝の氣持ちしかありません。
大きな決断。手放す事はとっても勇氣がいるけれど。。。
ピリオドの時間を決め、感情の整理をする事が多かったかも。
一年一緒にいて、何度か伝えても進展が見えなかったらもういいや。とか。
3回言って、変わらなかったら、、歩み寄ってもらえないなら、もういいや。とか。
うん、私。やれる事、伝える事は伝えた、、、よし。
みたいな。
だからかな、、、?
恋愛に関しては、コミュニケーションがうまくとれていないかも(笑)
というか、、、自分の大切な「時間」が奪われるのが嫌なんだと思います。
歩み寄ろうとしてくれない人はいらない。。。
今、大きな決断をする所で、、もうすぐ「1年」。
これ以上先延ばしにしても仕方ないので、、いいのか悪いのか。
あとちょっとで強制終了に踏み切れそうです。( ´∀` )
胸の内を吐き出すと、、やっぱりまとまりのない文章に(-_-;)
最後まで、、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
沢山のnoteがある中、見つけて読んでいただき、ありがとうございました☆