医師国家試験に合格するためにしなければならない「みんなと同じこと」


6月のオレゴン。夕刻が迫り、空気は少しひんやりとしてきた。しかし、スタジアムの熱気はそんな涼しさをものともせず、灼熱のようにトラックの上で揺らめいていた。観客のざわめきが波のように広がり、会場全体が緊張感に包まれる。そして次の瞬間、場内アナウンスが響き渡ると、スタジアムは一瞬の静寂へと変わった。
 
電光掲示板に映し出されるその名が映し出される。

――Noah Lyles

歓声が再び爆発する中、彼は静かに中央のレーンへと向かう。
 
スタートブロックの前で軽くジャンプし、肩を回す。まるで猛獣が檻から解き放たれる瞬間を待つかのように、彼の筋肉はしなやかに張り詰めていた。カメラが彼の表情を捉えたその時、ライルズはウェアの下に手を伸ばす。
 
「今度は何を見せるのか!?」
 
観客の期待と驚きが交錯する中、彼がゆっくりと掲げたのは――
 
『青眼の白龍―ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン―』
 
圧倒的な攻撃力を誇るこのモンスターは、遊戯王の世界において最強の象徴の一つ。その姿はまるでライルズ自身を映し出しているかのようだった。青眼の白龍が空高く舞い上がる幻影が、彼の背後に浮かび上がる。

0. はじめに

熱狂のパリ五輪から1カ月。最後の全カレに向けてピーキングの時期に入っていた。選考のかかった試合では思うように力を出せず、それ以降は何をしても集中が続かないまま、空虚な時間を過ごしてしまった。現実的に五輪までは距離があったが、学生最後の年に最大の舞台で、自分の最高を出したいという想いを胸にずっとトレーニングしてきた。それだけに、燃え尽き気味になるのも仕方がないと、どこか冷めた視点で自分を見つめる自分もいた。
 
何も手につかない日々が続いたが、それでも一つ一つ試合をこなしていくうちに、少しずつ心も身体も競技に向き合えるようになっていた。学部同期の多くは東医体で引退し、競技を続けている人はわずかだった。練習後には秋風が吹き始め、自分の競技生活にも終わりが迫っていることを、否応なく実感していた。
 
同級生たちは国試や卒試の話でもちきりだった。大学の先生も親も、そして同級生も、医師国家試験合格のためには「みんなと同じこと」をやるのが大事だと、何度も何度も繰り返していた。
その「みんなと同じこと」とは、おそらく以下の2つだろう。

・動画講義を一通り視聴すること
・過去問を6年分理解すること

動画講義の総時間は、選ぶ会社や講座の取り方によっても異なるが、100~1000時間に及ぶ。毎日数時間、動画を見続けなければ到底終わらない計算だ。私にはそんな時間はなかったし、小学校から今まで授業を聞いたことが一度もないので、仮に動画を見たとしても何も記憶に残らなかっただろう。

他者から奪い合いながら社会を発展させた結果、悲惨な戦争が繰り返されてきた。その反省から、リベラルの精神にもとづき、文化的・文明的な国家を築くことで現代社会は形づくられてきた。大学はその文明発展を支える場であり、本来ならば、学生時代は多様な個性を花開かせるための時間であるはずだ。部活動を通じて自分の長所や個性と向き合い、研究を通じてまだ世の中にない新たな価値を生み出し、先人たちが追い求めてきた真理の道標を辿る――それこそが大学における学びの本質ではないのか。

高校時代に最も成績が良かったであろう層の集団が揃って「みんなと同じこと」をするのが正しい道だと口をそろえて言う。この状況に私は違和感と危機感を覚えた。

私が大学に入学してから、機械学習を中心とする情報数理の分野は飛躍的な進歩を遂げた。かつて「自然言語処理」と呼ばれた技術は知性に限りなく近いものを実現し、「生成AI」という言葉を耳にしない日はほとんどなくなった。画像処理技術も革新を重ね、CTやMRI、病理診断といった分野では、診断そのものが機械に代替されるのは時間の問題とされている。

外科領域でも、内視鏡手術支援ロボット「Da Vinci」の登場により、医療技術の在り方が大きく変わろうとしている。こうした状況に危機感を抱く医師も少なくなく、学生の間でも「○○科はAIに取って代わられるらしい」といった、知ったような会話があちこちで交わされるようになった。「みんなと同じこと」に対して感じる違和感をパターン認識と機械学習の面から考えたい。

1. 医師の意思決定モデル

医師の意思決定モデルは、以下の数式で表される。

$$
y_i(s) = f(s) + \lambda g_i(s) + \epsilon_i
$$

  • 共通項 $${{f(s)}}$$: すべての人に共通する、状態 $${s}$$ に依存する反応の要素。

  • 個人固有の反応項 $${g_i(s)}$$: それぞれの人 $${i}$$ に特有の、状態 $${s}$$ に対する反応の偏差。

  • ノイズ項 $${\epsilon_i}$$: 測定誤差や予測不能なランダムな要素。

すべての医学生が「みんなと同じこと」をして学生時代を過ごした場合、個人差が抑制され、$${\lambda \to 0}$$ となり、モデルは以下のように単純化される。

$$
y_i(s) \approx f(s) + \epsilon_i
$$

2. 「みんなと同じこと」に基づく学習

$${f(s)}$$ が国家試験の過去問やそれに基づいて作られた教材から形成されており、すべての学生 (Agent) $${i}$$が共通の方法で学習を行う場合、以下のような問題が生じうる。

  • データのバイアス 
    学習データの分布 $${P_{\text{train}}(s)}$$ は典型キーワードを中心に構成されており、標準例として文章化された状態 $${s}$$ は、現実の医療現場で遭遇する多様な患者や全ての状態から広くランダムにサンプリングされていない。この時、学習データの分布 $${P_{\text{train}}(s)}$$ が現実の医療現場における真の分布 $${P_{\text{real}}(s)}$$ とは異なるというバイアスが生じる。

$$
P_{\text{train}}(s) \neq P_{\text{real}}(s)
$$

モデル $${f(s)}$$ はこのとき

$$
f(s) \approx \arg\min_f \mathbb{E}_{s \sim P_{\text{train}}(s)} \bigl[(y_i(s) - f(s))^2\bigr]
$$

という形で最適化されるため、現実の医療現場 $${s'}$$ では

$$
\mathbb{E}_{s' \sim P_{\text{real}}(s)} \bigl[(y_i(s') - f(s'))^2\bigr] \gg \mathbb{E}_{s \sim P_{\text{train}}(s)} \bigl[(y_i(s) - f(s))^2\bigr]
$$

となり、現場で直面する多様な状況に対しては予測誤差が大きくなる。すなわち、画一された教材を利用した学習に偏ることで、文章化された典型的な例から外れた個々の患者特性や患者背景を含んだ状態 $${s'}$$に対する $${f(s')}$$ の予測性能や頑強性が低下するリスクが高まる。

  • 現場への影響 
    このような学習バイアスによって生じる問題の一つに、チーム医療の機能低下が挙げられる。様々な立場のエージェント$${i}$$が多様な経験を通じて学習することで多彩なモデルが生まれるため、スタッキング (Stacking) と呼ばれる異なる種類のモデルを組み合わせることで予測精度を向上させるアンサンブルが行われるのがチーム医療のメリットである。単一の経験を通じて学習されたモデルによって検討を行うと、多様な患者に対して個別化された治療を考える際にもガイドラインの画一的な適用に陥りかねない。最終的に、現場では未知の状況への脆弱性が高まり、患者一人ひとりに合わせた最適なケアを提供することが困難になる。
    医療はきっと out-of-sample の連続だ。

3. 機械学習モデルとの比較

学生時代の経験が画一的な集団のそれぞれが保持する意思決定モデル は、共通のパラメータを持つ傾向にある。これはつまり、少数の入力と出力の関係を基に容易に蒸留(Distillation)が可能であり、本来、ヒトという煩雑な Deep Neural Networks (DNN) が保持する膨大な知識を、圧縮された効率的なモデルで再現できてしまうことを意味する。

このような状況が進めば、医療の分野においても、医師の判断が機械に代替可能なものになってしまう可能性がある。ガイドラインや保険診療を含む標準的な医療の形成には多くの努力がなされてきた。標準化された治療をベースにしながら、患者ごとの背景や細かな症状、合併症などを考慮した治療法の選択が求められる。しかし、意思決定の学習プロセスが画一的であると、多様な状況に対する反応が単一化してしまい、結果として柔軟性を欠く可能性がある。標準的な治療を多彩な経験によって習得することが必要だろう。

機械学習モデルにおいても、データの多様性が不足すると汎化性能が低下し、新たなケースに適応しにくくなることが知られている。特に、教師あり学習では訓練データが限定的であると、未知の状況に対する予測精度が大幅に下がる。これと同様に、臨床医の学習が限定的な環境で行われると、予期せぬ状況に適切に対処できなくなる恐れがある。

4. デュエルスタンバイ

多様な判断力を養うためには、単一の標準的な治療であっても、多彩な経験を通じて学ぶことが重要である。多様なネットワークを形成するには、臨床実習での経験、自身や家族の怪我・病気、日常の喜び、人生の目標、現在取り組んでいることなど、多くの経験を積むことが不可欠である。患者のその時々の状況を理解することなど不可能かもしれないが、医師の経験が多ければ多いほど、それに寄り添う努力はできるのではないだろうか。

機械学習の視点から考えると、机に向かう勉強が単純化されるとヒトの意思決定モデルも単純化され、機械による置換が加速するだろう。一方で多様な経験によって高次の判断力を持つネットワークが形成されることで、単なるアルゴリズムでは再現しきれない複雑な思考プロセスを維持できる。このため、机に向かう"お勉強"の時間を最小化し、標準化された事項を多彩な経験を通じて学ぶことが、今後の医療の発展において、そしてヒトをヒトたらしめるために重要な課題となるだろう。

自身が代替可能な存在になりたくなければ、自己を形成する学生時代に「みんなと同じこと」を選んではならない。自分のやりたいことを見つけ、人生をかけて向き合う。感動は全力に宿り、全力は熱狂を生むだろう。きっとそのエネルギーは世の中をより良くすると信じている。デュエルスタンバイ。

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