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母へのオマージュ

母が亡くなって2週間以上経ち、呆然自失の状態から少しずつ
落着いて、逆に寂しさがつのってきた。
そう言えば、まともに「さようなら」も言っていない。
そろそろ別れのことばでもかけるか・・・?

今まで病友さんが亡くなった時など、自分が選んだ魂の
慰めになるような曲のYou tubeにリンクを貼った。
母にはどの曲をおくろうか?思いついたのがモーツァルトの
フィガロの結婚からケルビーノのアリア“Voi che sapete”  
これにはいろいろ訳がある

母は1933年1月に新聞記者の祖父のもと、5人兄弟の2番目
(姉1,弟3)として生まれている。戦前は比較的裕福(女中さん
数人を使う)だったが、戦後しばらくは経済的に苦しかった。
祖父は生還したものの数年間職につけなかったからだ。
弟3人のことも考えると、母は大学進学を断念せざるを得なかった。
一時期は高卒で事務員になった母の薄給から生活費を賄った事も
あったらしい。母は「忘れた」と言っていたが、叔父は「給料日に
受け取ったお金をお姉さんが給食費を払うために学校まで持ってきて
くれた事があったよ」と話していた。
もっとも戦後の混乱期、女子の4大進学率は2.5%、専門学校を含めても
5%程度の時代、高校は普通に卒業した母にさほど悲壮感はなかった
ようである。

その後数年して祖父は大学に職を得て、それからはかなり羽振りが
よくなった。祖父は、母の進学を諦めさせたことを大変気に病んで
いたようで、羽振りが良くなってからは「花嫁修業も兼ねて学校に
行きなさい。好きなことをして良いから」とポンとお金を出して
くれたらしい。
そこで母は東京声専音楽学校(現在の昭和音大)に入学した。

もともと腰掛け入学、お気軽に楽しんでいたようだが、卒業試験の
課題曲“Voi che sapete”ではコッテリと絞られたようである。
それもそのはず、これを歌うケルビーノは大人になりかけの少年を
女性が演じる。音程もソプラノとしては低く、メゾにしてはやや高い。
そんな難しい音程で、清純さを残しながら大人の入口に立っている
男の子を演じる・・・学生にとっては至難の技だ。とにかく母に
とっては「大好きだけど先生からたくさん怒られた」思い出の曲だ。

声専卒業後もしばらく、オペラのエキストラ出演やNHKのコーラス
など楽しんだ後、27歳で結婚、すぐに私と妹が生まれた。
父は無趣味な人で、また母の趣味や芸術への情熱に一切理解を示さ
なかった。母はオペラへの情熱を封印した。その後、子育て、実家の
父の介護・看病、夫の看病と看取り、実母の在宅介護と何かと忙しく
過ごしていた。

母が大好きなオペラを封印してから40年近く経ち、ようやっと私に
母へのプレゼントをする余裕が生まれた。そこで思いついたプレ
ゼントは「母を世界的なオペラハウスに案内し、生のオペラを鑑賞
してもらう」ことだった。
そして、最初に選んだのがウィーン国立歌劇場でのフィガロの結婚全幕

3大テナーの一人、ドミンゴも定宿にするホテルから、持っている中で
一番良いドレスをまとい、マイナス15度(12月だったのでウィーンは
寒かった!)のなか厚いコートを羽織って国立オペラ劇場に出かけたこと、夢のような時間、忘れられない。多分、母も喜んでくれたと思う。
何せ、専属の通訳・ツアコンつき=私ですからね~

さて、“Voi che sapete” You tubeでもたくさんの名歌手の名演を聴く
ことができる。迷ったが、母と年代が近いということで、エディト
マティスの動画にリンクを貼っておく。指揮はカール・ベーム、
ザルツブルク音楽祭でのライブだそうだ。60年近く前の録音なのに
歌唱のすばらしさがよくわかる。
https://www.youtube.com/watch?v=YGAYrLsa3pQ&t=237s
ママ、ケルビーノのアリアの最高峰の一つ、よく聴いてネ♪

写真はオマケ。遺品を整理してきたら出てきた。70年近く前のもの!
わが母ながら、おメメまん丸でかわいらしい
つぶらで大きな目が、ほんの少しエディト・マティスにも似ている
(マティスさん、ごめんなさい)

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