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週刊セブ島留学&起業日記(第31回)

この記事は2019年1月27日に配信されたメルマガのバックナンバーです。

<今週のトピック>
・『僕がセブ島で英語を勉強をして恋をして、日本で騙されて、ジャカルタで働いて、夢をかなえた話』
・セブで購入したコンドミニアムの工事が2年も遅延しています
・セブにいる日本人はどういう仕事をしているのか?
・セブで運悪く乗ってしまった改造メーターのタクシー

今朝のセブは久しぶりの晴れです。ここ1ヶ月くらいセブは天気が悪いです。雨が多くしかも肌寒い。暑がりの私が毎日毛布を掛けて寝るなんてここ5年で初めてのことです。エアコンどころか、扇風機も最近は使っていません。この時期にセブに観光で来られる方が不憫でなりませんね。こんな天気に不慣れなフィリピン人の間でも体調不良者が続出しています。是非、皆さん体調管理は徹底して下さい。セブの風邪はかなりしつこいので。

そして、この天候不良が原因かゼブのインフラもメタメタです。私の自宅のインターネットはここ5日間不通です。モバイルで凌いでいますが、なんとかして欲しいものです。通信会社に問い合わせたところ、このエリア一体で通信障害が発生しているとのこと。この21世紀に5日間もネットが止まるって異常ですよね。そして、先ほども停電がありました。「脆弱なインフラとの戦い=フィリピン生活」だと分かってはいるのですが、やはりしんどいです(悲)。

さて、今回は数年前に書いた「私の友人の留学体験談」をご紹介したいと思います(どこかで読んだことがある人もいるかもしれません)。私小説風です(笑)。では早速。

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これは私の尊敬する友人が、夢を追いかけた話だ。


『僕がセブ島で英語を勉強をして恋をして、日本で騙されて、ジャカルタで働いて、夢をかなえた話』


(以下、本編)


海外で働きたい。


僕にとって英語を勉強する理由は、この一言で十分だった。


実は、自分でも覚えていなかったのだが、小学校の卒業文集にも「将来、海外で働く」と書いていたのだ。どうやらその頃から、海外への強い憧れがあったようだ。


大学時代には「先進国と発展途上国の経済格差をどう是正していくか」といったようなテーマを勉強していた。その過程で、タイの東北地方の農村部へ調査ツアーに出かけたり、インドのカーストにも入れない部族「アデワシー」を訪れたりもした。


その後も、自分ひとりでタイやインドに足を運んだ。


次第に東南アジアのどこかで暮らしたい、と思うようになったのは至極自然なことだ。


当時の日本には閉塞感を感じていた。


満員電車の中で下を向いて、新聞読んで、携帯いじって...こうした空気感の中で将来働きたくないなと強く思った。


一方で、大学時代は特に英語の勉強もせず、TOEICの点数も400点以下という体たらくだった。


このままでは、『思い』だけあっても実現しないなと思った。


そこで、大学卒業後は塾の講師になって、中学生に英語を教える道を選んだ。


こうして、将来の海外留学用の資金をコツコツ貯めながら、仕事を活用しつつ基礎的な英語力を固めていった。


2年後にようやく資金が貯まった。


すぐに塾の講師を辞めた。


迷いは無かった。


そして、留学先の検討に入った。


まず、アメリカやイギリスといった欧米圏は費用が高いので除外した。


当時(2009年)はフィリピン留学に関する情報は非常に少なかったが、「英語留学 格安」等で検索したところ、フィリピン・シンガポール・マレーシア・フィジーがヒットした。


これが、僕とフィリピン留学の出会いである。


シンガポールの英語は「シングリッシュ」と言われ訛りがキツイと聞いていたので候補先からは直ぐに外した。


最終的に、セブならリゾートもあるし楽しそうだな、という感じでセブに決めた。


そう、最後は軽いノリだった。


そして、2009年の3月、真夏を迎えようとしている酷暑のセブに一人降りたった。


セブにある数ある学校の中から、僕はMTMという学校を選んだ。


理由は二つ。


日本人が少ないこと、そして「スパルタコース」があること。


僕は仕事を辞めてセブに来たのだ。


留学したけど英語は身に付きませんでした、では日本に帰れない。


そんなの最低だと心底思った。


絶対にTOEIC 700点を超えてみせると自分に誓った。


自分で自分をそう洗脳したと言い換えてもいい。


そして、そのためには一番キツイ環境が必要だったのだ。


だから、スパルタコースを提供するMTMを選んだのは当然の帰結だった。


学校の授業は確かにハードだった。


朝9時~18時まで授業があって、毎日どさっと宿題が出された。


英語での日記を毎日提出することも義務付けられた。


更に、連日の単語テストが追い打ちをかけた。


そして、平日は外出禁止だった。


そう、とにかく勉強するしかなかった。


授業の後も毎日3時間以上は自習した。


授業の時間を含めれば、勉強時間は1日10時間を悠に超えた。


週末も勿論勉強した。


迷いは無かった。


自分が何のためにセブに来たのかを忘れることは決して無かった。


そもそも、僕には日本に帰ってもやることが無いのだ。


そう、僕は仕事を辞めてきたのだ。


それでも、週末の夜は遊びに出かけた。


さすがに、息抜きをしないと潰れてしまう。


結果的にこの外出が効果的だった。


学校で学んだ英語を、飲みに行ったバーで使ってみるのは楽しかった。


本当にすごく楽しかった。


通じるとか通じないとか、そんなのは二の次だった。


とにかく、日頃の鬱憤を晴らすかのごとく言葉をつないだ。


僕は夢中になった。


海外にいて、外国人と英語で話している自分に半分酔っていただけかもしれない。


それでも良い。


「海外で働く」という夢に一歩近づけたような気がした。


週末のバー通いが、一つ勉強のモチベーションとなった。


こうして僕は、セブ留学にハマっていったのだ。


ここで、僕の英語力について触れておこう。


下記が僕のTOEICスコアの推移だ。

・留学前スコア 400

・留学前目標スコア 700

・留学後スコア 780

・最新スコア(海外生活後) 840

僕は半年間の留学で何とか結果を出すことができた。


目標としたスコアを、留学中の最後のTOEIC受験で大きく上回ることができた。


自分なりに勉強した結果として、このスコアには満足している。


この成果についてよく質問される。


どうやって、半年もの間、モチベーションを維持できたのか?


僕の場合、「自分のお金で来ている」という自覚に尽きた。


とにかく、後がなかった。


留学費用を払った後では、貯金もたいして残らなかった。


仕事もなかった。


逆に、もし親のお金で留学していたら、きっと適当に過ごしてしまったんだろうなと思う。


僕が通った学校は、当時20代の若い韓国人の学生ばかりだった。


つまり、みんな親のお金でセブに来ていた。


そのせいか結構だらしない学生が多くて、勉強せずに遊んでばかりいた。


授業の欠席も珍しくなかった。


そうやって、みんな周りに流されていった。


果ては、カジノにお金を注ぎ込んでしまう者までいた。


一方、僕は脇目も振らずに勉強した。


そして、僕はある時先生に恋をした。


マンツーマン授業のフィリピン人の先生を好きになってしまったのだ。


セブの学校のマンツーマン授業は、教師と生徒が二人きりの小さな教室で行われることが一般的だ。


つまり、極端な話、そこで何をしようが第三者にバレることはない。


僕が美しい女教師を口説いても、彼女が嫌がらない限りは何の問題もない。


彼女の授業では、毎日のように宿題がだされた。


宿題は日記を書くことだった。


そこで、僕は毎日彼女へのラブレターを書いた。


そして、彼女は嫌がらずに自分宛てのラブレターを添削してくれた。


こうして、少しずつ彼女と僕の関係は深まっていった。


それと共に、僕の英語力も次第に上昇カーブを描くようになった。


彼女とはその後付き合うことができた。


僕にとっては、初めての外国人の彼女だった。


僕はこれまで「固い決意」とか「後がない」とか格好良いことばかり言ってきたが、結局のところ、僕の最大のモチベーションは彼女だったのかもしれない。


だから、みんな、セブで恋をしよう(笑)。


先生に恋をすれば、会いたくて授業には必ず出席する。


勿論、宿題は100%やることになる。


格好つけたくて、良いところ見せたくて、必要以上に頑張れる。


メリットしかない。


いま考えると僕がセブに留学に行ったのは、宿命とすら思えてくる。


数多あるセブの学校から一つの学校を選び、その中で数十人もいる講師の中から、彼女と巡り合うことができたのだ。


もし少し時期がずれていれば、彼女はまだその学校で働いていなかった可能性すらある。


僕はついていた。


ラッキーだった。


そして、満足のいく結果を残し、僕の留学生活は幕を閉じた。


さて、夢を追いかけよう。


僕は6ヶ月のセブ留学で、TOEIC780という結果を出した。


「海外で働く」という夢を叶えるためのパスポートを手に入れた。


しかし、現実は残酷だった。


「営業経験」がない僕を、どこも雇ってはくれなかった。


こうしてフィリピンで働くという僕の望みは儚くも打ち砕かれた。


自分の無力さを感じた。


仕方がない。


僕は日本に一旦帰ることを決意した。


こうして、毎日恋文を綴ったフィリピン人の彼女ともしばらく会えなくなってしまった。


僕は地元の広告代理店に就職した。


そして、営業マンとして働きだした


この会社には申し訳ないが、履歴書に「営業経験あり」と書くための就職だった。


目的はどうであれ、僕は一生懸命働いた。


そして、週に一度は英会話スクールに通い、せっかく磨いた英語力を落とさないように努力した。


僕は多忙な日常に埋没してしまうことはなかった。


僕には明確な目標があったのだ。


そして、フィリピン人の彼女との交際も続けた。


1年後、会社を辞めた。


そして、満を持してフィリピンに就職面接に出かけた。


結果は全勝だった。


面接を受けた6社全てから内定を得ることができた。


どれも、日系企業のフィリピン支社での現地採用だった。


僕は有頂天だった。


海外就職という夢に手が届いたのだ。


留学資金の捻出のため学習塾で働き、


6ヶ月のセブでの猛勉強。


さらには1年の広告代理店での営業活動。


これらの複数の点が一本の線に結びついた瞬間だった。


入社後1ヶ月間は、日本で研修を受けた。


そして、ある時僕はジャカルタ勤務を言い渡された。


ジャカルタってどこだ?


それって、インドネシアの首都のこと?


僕が手に入れたポジションは、フィリピン勤務だったはずなのだが。。。


完全に騙された(笑)


もう笑うしかなかった。


それでも、僕はジャカルタに行く決断をした。


すでに雇用契約も済んでいたし、研修もほぼ終わっていたのだ。


こうして僕は、2011年の1月、ジャカルタに降り立った。


そう、そこは半年勉強して培った英語があまり通じない場所だった。


I am want to...といかいう奇妙な英語が飛び交う国(これ本当です)。


仕事は、機械装置を扱う専門商社での営業だった。


インドネシアの首都、ジャカルタ。


ここが僕の海外最初の戦場となった。


インドネシアの公用語は、勿論インドネシア語だ。


しかし、僕の職場では幸いなことに英語が公用語だった。


インドネシア人が9名、日本人が2名の職場。


その日本人2名とは、僕と僕の上司。


しかし、上司はタイとインドネシアを管轄していて、ジャカルタに来るのは月に3日程度だった。


つまり実質、日本人は僕一人だった。


完全な放置プレーだ(また騙された笑)。


なんて無責任な会社だと思った(笑)。


一方で、このサバイバル感にワクワクもした。


僕は海外で働いている。


この圧倒的な現実に僕は燃えた。


しかも、日本人は僕一人。


頼れるのは自分自身とセブで培った英語力。


そして、僕の英語は通じた。


僕は英語でコミュニケーションをとり、プロジェクトを進めることができた。


僕は夢の実現を噛み締めながら、異国の地、ジャカルタで奮闘した。


僕が勤めた会社は、海外8カ国にブランチがあった。


例えば、マレーシアやフィリピンのスタッフがジャカルタに来て、一緒に作業や打ち合わせを英語で行うこともあった。


多国籍の人が参加する国際会議に参加することもあった。


英語でプレゼンをすることもあった。


毎日が刺激に満ちていた。


僕は騙されてジャカルタに来た(笑)。


そして、日本人は僕だけだった。


しかし、結果的にこのことが僕の人生に多くをもたらした。


異国の地で「一国一城の主」として僕は働くことができた。


僕はまだ20代後半だった。


そんな若輩者が、「高い立場から物事を見る視点」を学ぶ機会を与えられたのだ。


僕はone of themではなかった。


僕の代わりは僕しかいなかった。


そこには、痺れるほどの責任感があった。


快感と言い換えても良い。


こうして僕は夢を叶えた。


全てはセブから始まった。


フィリピンで英語を勉強していなかったら、インドネシアに行くことはまずなかったであろう。


僕はセブで半年、徹底的に英語を勉強した。


英語を勉強して本当に良かった。


いま心底こう思える自分を誇りに思う。


僕はいま福岡で働いている。


20代後半の「セブ留学→ジャカルタ勤務」を僕のビジネスキャリアの第1章とするなら、いまは第2章というところか。


海外生活に比べれば少々地味だが、将来に向けて日々着実に歩んでいる。


僕は、意外とこうしたコツコツが得意だ。


ここで、僕の海外生活について少し振り返ってみたい。

フィリピン

セブ島

僕はあのセブの雰囲気が大好きだった。


セブはアジア特有の熱気に包まれていた。


カオスだった(笑)。


そして、文字通り熱かった。


フィリピン人は底抜けに明るかった。


いつでもどこでも、踊って、歌って、笑っていた。


そんなところに、日本にはない自由さを感じた。


誰もが人生楽しんでいるように見えた。


自分も身に付けたいな、そう思った。


そんな中、必死に身につけた英語。


今では、僕にとって英語は特別なものではなくなった。


上達したいという情熱はもうない。


言ってみれば英語は僕の体の一部になった。


これからも、英語を活かして生きていきたい。


特に力むことなく、ただそう思う。


これで僕の拙い経験談は終わりだ。


こうして振り返ってみると色々なことがあった。


セブでの生活はキツかったが夢のように楽しかった。


毎日ラブレターを書いていた日々から、もう8年が経とうとしている。

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さて、今週の質問コーナーに行きましょう。

1、今週の質問コーナー

Q1, Tさんからの問い合わせ

お世話様です、千葉在住のTと申します。今日は、セブの不動産投資について質問させて下さい。


実は私は数年前に知人の紹介で、セブのコンドミニアムを2件購入したのですが、いずれも2年以上も工事が遅延しており、遅々として完成しません。問い合わせのメールをしても返信はこず、英語ができる知人に依頼して電話してもらっても全然繋がりません。連絡といえば、先方から一方的にくる通知のみです。


いまではすっかりセブの物件を購入したことを後悔していますが、これが普通なのでしょうか?


<KGの回答>


Tさん、残念ながらそれが普通です。


私は不動産投資はしないので不動産は素人ですが、素人目線でもフィリピンの不動産投資は良くないと思います。第一の理由は、ご経験の通り「契約通りに完成しない」ことです。日本では1年でできるビルが3年掛かったりします。そして、私の知る限り、この遅延により被る損失への補填は一切ありません。


100歩譲って自己資金での投資なら良いですが、借り入れをしている場合は金利分は丸損ですからね。それから、フィリピン人には「機会損失」という概念がありません。「2年早くできていれば、賃貸してこれだけの収入があったはず」とか言ってもポカーンとしています。これ本当です。


次に、セブの不動産の値上がりは既に頭打ちと聞きます。これは詳しい人に確認して欲しいと思いますが、体感的にもそんな感じがします。少なくとも、リゾートエリアの物件は供給過多のように見えます。


更には、円安傾向も海外投資には逆風ですね。やはり、ピークは暗黒の民主党政権時の「1ドル80円時代」でしょうか。


また、セブはインフラの整備が追いついていません。渋滞が酷いだけでなく、リゾート物件は全くタクシーが捕まらない「陸の孤島」にある物件も少なくありません。もちろん、車があれば問題ありませんが、余程慣れない限りセブでの運転はやめた方が良いです(危ないです)。


最後に、フィリピンの物件の老朽化のスピードは日本の倍以上です。私が住むコンドミニアムは、築3年ほどのマクタン島有数の高級物件ですが、すでに水回りに支障がでています。私はセブで物件を購入する気は1000%ありません。不具合の発生が増えたら新しい物件に引っ越す、これがフィリピンでの賢い住み方です。投資用であれば、私なら他の国に投資しますね。


Q2, Nさんからの質問


こんにちは、毎週末KGさんのメルマガが届くのを楽しみにしている東京在住20代のNです。


私は普通のサラリーマンなのですが、20代のうちに英語を身につけて海外で働いてみたいと思っています。そこで以前、ネットで調べていたところセブ留学を知り興味を持ちました。


私は数ヶ月セブで留学して、その後1年ほどセブで働きたいと思っています。ここで質問なのですが、セブにいる日本人の方はどういう会社で働いているのでしょうか?また、給料は十分もらえるのでしょうか?


ネットでは分からない現実を教えて下さい。宜しくお願いします。


<KGの回答>


20代のうちに海外に出る、素晴らしいですね!私は結局、40過ぎまで海外に出られなかったので、羨ましく思います。海外に出るのは早ければ早いほど良いでしょう。


このメルマガでも何度も書いていますが、私の「セブの日本人人脈」は非常に貧弱なので、その辺は割り引いて聞いて下さい。


おそらく多くの日本人は、日系企業で働いていると思います。そして、何らかの「日本とフィリピンを繋ぐ仕事」をしています。日本人顧客相手のコールセンターと、日本人生徒さん対応の英語学校のスタッフ、この二つがツートップでしょう。それから、IT系の会社で働く人も増えていると思います。セブでは英語と一緒にプログラミングを勉強できる学校もあるので、そこで両方を学んでそのまま現地就職という流れもありでしょうね。


まずは、とにかくやってみることです。失敗してもそこから学べば良いわけで、Nさんのように若い人は何度でもやり直しができます。


待遇は、月給5万~7万ペソといったところでしょう。セブは物価が安いので、普通に生活する分には足りると思います。旅行や貯金は厳しいかもしれませんね。それでも、仮に1年としても、20代で1年海外で働くという経験はNさんの人生を大きく変える可能性すらあります。


是非、実際に行動に移して下さい。


2、フィリピン・ビジネスあるある

残念ながらいまだ蔓延るセブの悪徳タクシー。今日は無謀にも百戦錬磨の私に挑んできた愚かなタクシー運転手について書いていきます。


先日、私は日本からの帰途、セブの空港でタクシーに乗りました。私の家は空港から近いのでメーターにして70-80ペソ程度。空港にいるタクシーはセブシティへのロングドライブや、リゾートエリアへの観光客(奴らにとっての絶好のカモ)を期待して長時間待っているので、私は「招かれざる客」ということになります。それでも、文句ひとつ言わない運転手には100ペソ渡して「釣りはいらねえ」と言うのですが、まあこんなことは10回に1回の珍事です。

さて、今回の運転手。私が行き先を告げると、「プソック・オンリー?」と驚いて聞き返してきました。プソックとは私の家がある地域の名称です。私は気分が悪いので無視。すると運転手、「150ペソOK?」と一言。私、「止めろ」と一言。この運転手、私の二指真空波並みの即答に一瞬たじろぐ。まあ、普段はこんな感じで観光客からメーターの倍額を難なくゲットするのでしょう。


(注)二指真空波とは、北斗神拳の技。詳細は昭和の教養「北斗の拳」をお読み下さい。


先方が少したじろいだので、私は少しイジってみることにしました。窓ガラスに印字されたタクシー会社の名前と電話番号を指して、「クレームはここに電話すればいいの?」と聞きながら写メを撮りました。運転手は無言。しばしの沈黙の後、Where are you from?とか聞いてくる運転手。要は、フレンドシップ戦略に作戦変更したわけです。仲直りしようと。しかし、私は無言を貫き、最後には一言「黙って運転しろ」と。

自宅まで数分のところで、メーターをチェックすると既に100ペソを超えていました。これはおかしい。完全におかしいのです。よく見てみると、メーターが尋常じゃない速度で動いているのです。そこで、運転手に一言。

「何これ?」

焦る運転手。

「お前、改造しただろ?」

「ノッ、ノー」(汗タラ~)

私は笑いながら「これまずいだろ、君。自分が何やってるか分かってる?」

焦ってメーターを止める運転手。そして渾身の一言。

「70ペソOK」(70ペソでいいです)。

私の切り返し。

「いいよ払うよ。多分、すぐに警察から電話いくと思うからよろしく。こういうこと2度とするなよ、特に日本人にはな。」

完全に目が泳ぎ、70ペソOKと繰り返す運転手。哀れです。これ以上は面倒なので、家の少し前で降りて70ペソ渡して終わりにしました。悲しいですが、まだこうした運転手がセブにはいるのです。しかし、改造メーターに当たったのはセブでは初めてでした。ちなみにマニラでは3回遭遇し、いずれも返り討ちにしています。

最後にどうして私が「家の少し前」で降りたのか?これは、自分の家を特定させないたためです。フィリピン人の逆恨みは日本人の想像を超えています。今回のように100対0でこちらが正しくても逆恨みをします。そして、感情的になった猿は手に負えません。ということで、運転手と揉めた時は目的地で降りないこと。これフィリピンで身を守るコツですね。やや、上級者編ですが。少し神経質になり過ぎ?いやいや、

「臆病なくらいが丁度いいのよね~」 by カイ・シデン(機動戦士ガンダム)


3、今週のセブのレストラン

スミマセン、このコーナー今週はお休みです。


4、今週買ったもの

スミマセン、このコーナーも今週はお休みです。


5、筋トレ

最近は、セブ英語倶楽部 筋トレ部への入部が続いています。部長?として嬉しい限りです。今週も60代の留学生Yさんと一緒にジムに行ってきました。実はYさんは、ガチの筋トレマン。50代の頃は体脂肪率9%だったそうです。そして、今でも体脂肪率15%以下をキープ。このYさんの体型と数値を見るだけでも、どれだけ筋トレが体型作りに有効かが分かります。

『セブ英語倶楽部 筋トレ部に新規入部のYさん。60代でこの引き締まった体。やはり、筋トレ最強』
https://twitter.com/Cebu_Eigo_Club/status/1088969093124747265

今回、勉強も兼ねてYさんのトレーニングを見させてもらいましたが、無理な重量は扱わずに、じっくりゆっくり、体幹に効かせる感じで、じわじわ汗が出てくるような感じでトレーニングされていました。実に勉強になりました。私は対照的に重い重量を扱い短時間で終わらせるタイプなので。

そして、やはりYさんも有酸素運動はしませんでした。最初の5分、ウォーミングアップに歩く程度でしたね。つまりここでも立証されたわけです。格好良い体型を手に入れたいのなら、

筋トレ>>>>>有酸素運動

なのです。

下記は、セブ英語倶楽部 筋トレ部について。


卒業生からの最新体験談。
『英語と筋トレ、人生における財産を手に入れました!』
https://goo.gl/uedEXh


興味のある方は、下記をどうぞ。
『肉体改造&ダイエット留学 英語力と健康的な体を手に入れる』
https://goo.gl/mGMe5e


6、経済&投資

日経平均 (年初来 3.79%)
ダウ平均 (年初来 6.04%)
フィリピン平均 (年初来 7.86%)

上記3カ国は今週も順調でした。しかし、この好調がいつまで続くか、残念ながらネガティブな要素が大きいのです。中国です。最近、韓国という愚かな隣国のニュースが増えていますが、韓国は無視で結構です。経済的には小さな小さな国です。注意すべきはチャイナ・ショックなのです。

先日発表された2018年の中国GDPの成長率は6.6%でした。人口13億人を超える国の2018年のGDP統計が2週間程度で出ること自体「怪しい」のですが、それでも6.6%は低いですね。28年前の天安門事件が起こった年以来の低水準です。実際に、昨年から中国国内では企業倒産が増えているそうです。その原因は、政府のよるPtoP金融の規制です。PtoP金融とは、個人の金貸しのネットワークです。中国ではこのアプリまであるそうです。政府としては当然「無免許金融」を放置できないので規制するわけですが、これが中小企業の資金源を絶ってしまったわけです。

大型インフラ・プロジェクトの中断のみならず、海外への高速鉄道輸出の中止も続いています。そのひとつは先日デフォルトしたエクアドルですから当然ですが。。一方で、国内の新幹線(日本からパクった)は国策として作り続けています。誰も住まない地域にインフラやゴーストタウンを作ってGDPを嵩上げするのです。いまでは中国全土にある25,000キロの新幹線の内(日本は3000キロ)、北京・上海線以外は全て赤字との噂です。


米中貿易戦争の影響で、中国の対米投資は激減です。2016年に541億ドルあったmのが、昨年はたったの106億ドルだそうです。また、海口集団がヒルトン・ホテルを売却するなど、ドル回収の動きも顕著だそうです。これって、所謂損切りしてまでも手元資金が欲しいということで、かなり逼迫していますね。


最近は、中国人がなかなかアメリカに入れないそうですし、東南アジアでも中国懐疑論が高まっているそうですね。そんな中、経団連のような「昭和の経営者」の集まりの日本の財界はいまだ中国べったりということで、絶望的なセンスの無さに言葉もありません。


ソ連の崩壊の原因は、アメリカとの経済戦争に敗れたことです。中国も同じ轍を踏みそうですね。問題はそれがいつかです。やはり、ジャイアン(アメリカ)に喧嘩を売ってはいけないのです。そういう意味で、世界一のジャイアンと同盟国の日本は、ジャイアンと喧嘩しなくて良いのですから恵まれた境遇にあると言えます。


チャイナ・ショック、もう少し待って欲しいですね。
興味のある方は下記をどうぞ。


『【宮崎正弘×福島香織】みえてきた中国経済破綻の時刻表』
https://www.youtube.com/watch?v=J7v5N62MRgg&t=652s


それでは、また次回お会いしましょう。

Happy Studying!!

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