薔薇と弾痕
私の部下である日本人男性スタッフの首元に生々しい弾痕のような、血の色をした薔薇のような、赤い「印」を見つけてしまった私は、少しばかり狼狽してしまいました。
マジかよ……。あれって……いや……あれだとしたら、そんなむき出しで戦場(仕事)に出てくるやついる? 大人なのに?
私はこのことを部下の誰にも相談することができず、思わず別フロアにいる日本人女性スタッフにチャットで救いを求めました。
「おはようございます! 〇〇の首元に大きな虫刺されみたいな痕があるんですけど、どうしたらいいでしょうか? 助けてください! 鼻血でます!」
「お疲れ様です」
「笑笑笑」
「フィリピンの虫はでかいんです」
「ただの虫さされです」
いや、そうだよね。さすがに虫刺されだよね。と、無理矢理自分を納得させました。
そうしたら件の女性スタッフが仕事の用事で私の所まで来ると言うので、以下のようなメッセージを送りました。
「こっち来るなら〇〇の右の首元をちらっと見てやってください。かゆそうなので。さすがのおれも生々しすぎていじれてません! 本当にありがとうございます!」
んで、女性スタッフがやって来て、ひとしきり仕事の話をしました。彼女は私と話しながら不自然な視線でチラチラと男性スタッフの首元を見ていました。彼女は決して私の頼みを断ることがない良い人(悪い人)です。
私の元を去った彼女に、改めてメッセージを送ります。
「やっぱり虫刺されかなぁ?」
「笑笑笑」
「いや、××(男性スタッフの彼女の名前)な気がします」
「あらー」
「まいったね、こりゃ」
ここは熱帯。発情の国。
私の働いているフロアには数多のフィリピン人がおり、その多くが20代前半の女性です。上述の男性スタッフも社内で彼女を見つけました。若い男は格好の標的です。彼に向けられるフィリピン人女性スタッフからの好意の数々は、ある種清々しいほどに直接的なものでした。
この国の人はゴシップや恋愛話が大好きです。ましてや私どもの会社にいるフィリピン人の多くはとても若いので、おそらく社内チャットはそんな話題で花盛りでしょう。
私のようなくたびれた中年であっても、湧き上がる噂話の類は枚挙にいとまがありません。
やれ私が会社の女性スタッフを日本に連れて帰っただの、やれ私が会社のパーティの後で日本人の同僚をホテルに連れ込んだだの、やれ私が休みの日に彼女と歩いているのを見かけただの、やれやれやれのだのだのだのです。
もしそれが事実であるとすれば、日本からやってきたドンファン、セブ島の火野正平、男版矢口真里として胸を張れるのですが、全部嘘だからなぁ……。
この国の人は「恋愛第一主義」みたいな所があります。パートナーがいないと人生を楽しんでいない、みたいな。なので私のようにボサッといつも一人で過ごしている(ように見える)人間は奇妙に映るようです。
職場にいるアメリカ人の同僚はいつも私にこんなことを言います。
「おい、お前はなんでこっちで彼女を作らないんだ。作る気になれば明日にでも彼女できるぞ。誰かと会えよ、クラブに飲みに行けよ」
まぁ、それはそうなんだろうな、と思います。
私の会社にいる日本人好みの顔立ちの可愛らしい女性が、しょっぱい日本人と付き合ってるのを知って、「もう誰でもいいんじゃん」と思ったりしたこともあります。
でも、私はもう、あまりそういうのに興味がないんですよね。気分的にはそういうステージから「オリてる」感じ。
しかもこの国の女性のノリは、付き合うとなるとちょっと苦手。あの男性スタッフの首元の銃痕もそうなんだけど、この国の若い女性はどうも「これは私のもの!」みたいなアピールが過剰です。
一緒にいないくせに「いつも一緒だよ」みたいな内容でFacebookに彼氏をタグ付けしちゃう、みたいな。苦手だー。そういうマーキング行為、苦手だー。
まぁ、そんな訳で私は同僚と遊んでいる時以外はだいたい一人で家にいます。Yahoo!で大谷翔平のホームラン動画を見たりして過ごしています。もういいの。そんなんでいいの。一人でいるのも好きなの。同僚と遊ぶ時は毎度バカ騒ぎしてるんだから、それ以外は静かに暮らしたい。
なんてな感じで日々を過ごしている私の元にある日、Facebookのメッセンジャーから一通のメッセージが届きました。
見覚えのない薔薇のアイコン。誰だ?
なんだろう、と思ってメッセージを開いてみると、すさまじい勢いのラブレターでした。文章の圧が強くて「激烈」って感じの内容。
この思いを抱えているとどうにかなってしまいそうなので、フェイクアカウントを作ってこの文章を書いている。仕事ぶりも含めてあんたのことが好きで好きで好きで、まったく好きがすぎて仕方がない。しかしながらこれを書いている私のことを決して詮索してはいけない。このことを周りに吹聴してはいけない、といった内容でした。
普通に迷惑メールみたいなアレかな、と思ったのですが、内容が私の仕事のことを知っている人間しか書けないものなので、確実に私の周りの人間からのメッセージでしょう。
なんか、ありがてえな、と思いましたね。このメッセージをくれた人と付き合うとかそういうことはないでしょうけど、仕事でしか付き合いのない自分という人間を評価してくれているのは素直にありがたいことです。
私は自分を認めてくれたことと、共に仕事をしてくれていることに関して謝辞を述べ、もちろん詮索はしない旨を伝えました。もちろん迂闊なことは言いません。このフェイクアカウントからのメッセージが、フェイクラブレターである可能性を消すことはできないからです。
しかしながらこのメッセージを貰った翌日から、仕事中の私の表情が心なしか凛々しくなったことは言うまでもないでしょう。
追記:
この文章を書いている最中、私が毎週通っているマッサージ屋のセラピストから「あんたの家でプライベートマッサージしてもいいわよ」みたいなオファーが届きました。
いいんだよ、そういうのは。うちのベッド、顔を出す穴ないんだから。
やはりこの国は発情している。
いや、この場合は金か。