「立憲民主党? 何それ?」というご家族や知人にお伝えできる、民主政権以来の経緯のカンタンな説明資料を作りました - #りっけんストーリーの提案 -
背景
「民主党政権まではわかるんだけど、それ以降はついたり離れたりが激しすぎて、関心を失い、全然追えていない。立憲民主党? 何それ?」という有権者もまだまだ圧倒的に多い現況です。
ある政治に無関心な方から「民進党は民主党から割れてできたのか」との斜め上からの変化球のお声を当会は以前お聞きしたことがあります。
いわゆる政党の親子関係や離合集散の履歴が全然追えていない無党派の方は大変多いのではと拝察します。
「立憲の政党名は知らないが、枝野さんは知っている」という反応も依然として多い現況です。
民主政権以降に日本政治に関心を失い、結果的に置いてけぼりになっている人たちが有権者の相当数であり、この状況を解いていかないと、理解してもらえず、理解されない限りは、立憲が投票先に選択されないということになります。
そこで、読み聞かせのようなストーリーを追えて、キャッチアップできる情報が不可欠と考えます。
#りっけんストーリー を策定し、 #立憲ビジョン2019 に連動して、声がけの際に普及していくことをご提案します。
例えば、以下は一案です。ぜひ立憲民主党本部でもご検討をくださいましたら、幸いです。
#りっけんストーリーの提案
2009年9月、民主党政権が発足しました。鳩山由紀夫政権は7割以上の高い支持率を得て「子ども手当」等の政策に着手しましたが、財源の捻出を狙った事業仕分けは見込み違いの結果となり、国民はがっかりしました。
続く菅直人政権では東日本大震災そして東京電力福島第一原発事故が発生しました。当時の枝野幸男官房長官は不眠不休で命の危険を顧みず震災そして原発事故の対応にあたり、国民から #枝野寝ろ との心配の声や共感が広がりました。
ですが、次の野田佳彦政権にて公約になかった消費税率引上等の政治判断があり、国民から民主党への不信は頂点に達します。しかし、当時の民主党が国民に対して適切な伝え方や双方向の対話に努めたとも言いがたく、民主政権はわずか3年で終わりました。
2012年12月に野党に転落し「イメージが悪い」として民進党と改名するも、党内で意見が対立しがちで、いつも笑顔はなく、国民が納得できる伝え方や、双方向の対話を苦手とし、衰退していく流れを止められませんでした。
2017年秋の総選挙にて、当時一大旋風を巻き起こしていた小池百合子東京都知事が希望の党を設立し、民進党は一発逆転を狙って全議員で希望の党への合流を目指しました。
ですが、2015年夏に安保法制に反対した枝野幸男氏らを小池氏は「排除します」。やむなく枝野氏は一人で総選挙直前に落選覚悟で「立憲民主党」を立ち上げます。立憲民主党には、たとえ排除されても政治信条は曲げられないという政治家たちが集いました。
2017年総選挙にて、排除されても、北風でなく太陽のように、大らかに落ち着いて民主主義の大切さを説く枝野代表の訴えに多くの有権者は驚き、各地の街頭演説に大勢の人々が詰めかけ、#枝野フェス とも呼ばれました。そして選挙前の観測に反して、野党第一党に立憲民主党は躍進しました。
立憲民主党の議員たちは党の綱領や基本政策という理念面で一致しており、もはや党内の意見対立に悩んで、しかめっ面になったり、奥歯に物が挟まった話し方をしなくなりました。笑顔が増え、民主・民進時代にはありえなかったのですが、積極的な支持者も激増しました。
「多様性は力。様々な一人ひとりが生きやすい社会をつくることは、社会の総合力が上がり、経済にもプラスになる。国民のみなさんと一緒にやりたい」と枝野代表らは各地にて訴え続けます。
過去30年間転落を続ける日本。国民の私たち一人ひとりの暮らしも転落の一途で、生きづらさが増すばかりですが、自民党政権のトップダウンの国家運営は今の状況に無力であり、立憲民主党はボトムアップで広範の国民と共に日本を再建したいと願っています。
誰しも人間に内在する原動力である「一人ひとりの持てる力」が発揮され、人を中心にした経済、そして幸福が実感できる社会を、新しい時代である令和に変わった今こそ、ご一緒に始めませんか?
立憲民主党は、あなたです。
そして、明日の日本は、あなたです。
あなたの力が日本に必要です。 共に、がんばりましょう!
上記 #りっけんストーリーの提案 を以下の三枚の画像にまとめました。必要に応じてご活用くださいましたら、幸いです。
立憲パートナーズ社会構想研究会へ、ぜひ薄く広くご支援をお願いいたします。