旧民主系合流における留意点とは - 待ったなしの救世のため、昭和以来の「保守」論争からの脱皮を -
2019年12月6日、立憲民主党枝野代表は共同会派を組む政党と議員の方々に向けて、以下の呼びかけをされました。
共同会派を共にしていただいている政党、グループの皆さんに幅広く立憲民主党とともに行動していただきたいと思うに至りました。
呼びかけ文の中に「合流」という言葉はありません。
しかし、「実質的に合流の呼びかけだ」との受け止めが報道各社などでも広がっています。
たとえば、国民民主党からは以下のツイートがありました。
「本件をどう考えたらいいのか?」と、私たち立憲パートナーズ社会構想研究会(社構研、非公式)でも議論を続けております。
私たちも、「旧民主系議員が小池騒動を通じて分離したのは、旧東西ドイツのようだ」と実感する場面があります。
たとえば野党共闘の選挙の現場などです。「また一緒にやりたい」という深い思いもあるのだろう、とも思います。
しかしながら、政権を失った後の旧民主民進ではお家騒動が続き、結果的に与党アシストに終始してしまいました。
「十分な議席数があっても、ことあるごとに野党再編や解党が叫ばれる」そんな状況の再来が、今回の合流であってはいけません。
当会(社構研)内でも、「合流に賛成」というメンバーと「拙速ではないか」とのメンバーとに反応が分かれております。
「売れる看板が小池氏だ」と見たら飛びついて、「ダメだ」と見ると使い捨てるのではないか。
それが今は「枝野代表なら売れる」となっているのではないか。
後になって「立憲では売れない。枝野代表を更迭せよ。解党運動だ。野党再編だ」とお家騒動を繰り返すのではないか。
そんなことは、やめてほしいのです。
そうした方々は、本当のところ「野党再編党」に所属していて、仮住まいの政党をあちこち転々としている――そんな風に見えるのです。
そして、報道各社もまた、このような議員たちを面白がって取り上げてしまいます。同じ社会で生きているという当事者性のないままに。
ですが、当事者性を棄てることは、私たちが誰しも持つ主権も棄てることなのです。かけがえない主権の獲得を巡り、長い歴史をかけて人類は血を血で洗う闘いをしてきたのです。
当会では「日本政治において、『私は保守だ』という主張の議員が多いが、そもそも保守の意味とは何か?」とも議論しました。
確かにイギリスのバークのような保守思想を知る人はいるかもしれませんが、ごく一部の国民にとどまっています。
むしろ、日本政治の現場では「保守とは、反共である」以上の意味はなかったのではないでしょうか?
これは地方議会にいくと実感します。「保守です」と言って、立憲も国民も無所属も自民も何でもありになっています。「反共」(=共産主義に反対)以上の意味が実質的になかったのです。
ですが、「反共」と言っても、ベルリンの壁は1989年に崩れ、ソ連邦は1991年に崩壊し、つまり共産主義は地球から30年前に消滅しているのです。
アメリカの西側陣営に属し、昭和の日本政治は確かに共産主義との戦いだったかもしれません。
ですが、もうすぐ2020年です。
しかも、日本における共産主義勢力とされる日本共産党は21世紀に入った2004年に綱領改正し、天皇制を含めた日本国憲法の全文を尊重すると掲げているのです。
日本共産党の綱領(2004年改)全文を読んでみたら進化に驚いた https://ysugie.com/archives/5648
こうなると、昭和で恐れられた共産主義の脅威は、2020年になる今、実体のないファンタジーと言わざるを得ません。
その実体のないファンタジーに依拠して「私は保守だ」と、有権者の前で訴えるのは、昭和のままの思考の方々には受けても、未来を拓こうとする人達にはリアリティが薄いのではないでしょうか。
貧困と格差が広がり、社会システムの全てが壊れつつある日本で、昭和の反共を訴え続けるのは、現実から逃げているとすら思えてきます。
では、どのような政治の軸が今の日本の現実に適しているのでしょうか?
自民公明がひたすら追求し続ける、格差と貧困が広がる新自由主義社会がいいですか?
それとも、ボトムアップで皆が稼げて社会保障を国家の第一目的にする社会がいいですか?
後者は、「強い経済政策を持つ社会民主主義」と言えるのかもしれません。
多くの先進各国で社会民主主義政党は政権を担い、誰も取り残さない包摂的な経済を追求し、新自由主義と鮮明な違いを国内外に打ち出しています。
旧民進党では前原代表(当時)はAll for Allを掲げ、新自由主義の誤りを認め、社会民主主義路線への舵きりをしていました。
「保守リベラル」を自認される枝野代表ですが、社会民主主義は社会のありようとしては、保守リベラルとほぼ同義かもしれません。今後も立憲民主党としては保守リベラルを掲げることに変わりはないのかもしれません。
旧民主民進からの議論の積み重ねも生かして、合流以降も、未来を見据えた新しい社会の構築に向けた取り組みが進むことを願ってやみません。
そして、共同会派や今後の合流を、旧民主の復活のように誤解してほしくありません。
もし立憲や国民や共同会派が旧民主民進のままならば、2017年以降の二年間で、あっという間に改憲されていたでしょう。
イギリスの労働党、アメリカの民主党が下野した間に新たなリーダーを抜擢してフルモデルチェンジをするように、ついに日本の野党はフルモデルチェンジを遂げたのです。立憲パートナーズ制度に見るように、民衆の声を聴くボトムアップ政党として立憲民主党が登場したのです。
この期に及んで、「『野党再編党』活動として、これからしばらく立憲に身を置こう」は、切にご遠慮をお願いいたします。今回で「野党再編党」は根絶せねばなりません。
そうでなく、「日本の救世のため立憲の理念に賛同し、もはや現代日本ではリアリティに薄い『保守』論争を脱皮し、野党のフルモデルチェンジに自分も貢献したい」という方はぜひご参加をと存じます。
立憲パートナーズ社会構想研究会へ、ぜひ薄く広くご支援をお願いいたします。