後期流産 感情的なところ
働き始めて9年、結婚して4年。ずっと仕事仕事で朝から晩まで、夜勤もしつつ働き詰めだった。
子供も欲しいなとずっと思ってたけど気付いたら32歳になってた。本格的に妊活を始めたのは24年の1月から。6月に妊娠確認。次妊娠しなかったら不妊外来受診しようと思った矢先妊娠が確認できて本当に嬉しかった。
その後は12週の健診までは何事もなく順調だった。元々生理不順も全くなく健康そのものと思い込んでたから流産なんて正直ほとんど調べてもなかった。
NIPT検査は遺伝子カウンセラーのお話を聞きに行ったが結局行わなかった。今までの経過や年齢、家族歴から10万円をこの検査にかかるなら産まれたあとにその10万を使ってあげてもいいと思うと話してくれたのでそれならと思い、検査をしなかった。
検査はしててもしなくてもよかったのかなと今は思う。我が子が障害を持って産まれてくるとなっても私は流産を選べないと思う。事前に分かってたらその分準備ができるのかもしれないけれど産まれてくるまで予測できないことの方が多いんだろうなとも感じる。
妊娠16週で胎児心拍が止まってることがわかったときは悲しいとか何か感情を持つことさえもできなくてただただその事実を受け止めることに必死だった。
仕事が医療関係で生きるということが奇跡の連続であることも、病気になることが何かその人が悪いことをしたわけではなく確率論でしかないことも充分理解してたつもりだった。
入院中は1人の時間がとにかく辛くて、なんでこんなことになったのかと後悔することは意味がないしなくなってしまった我が子は戻ってこない、受け止めて前を向くしかないと何度も自分に言い聞かせた。それでも結局後悔がぐるぐると巡ってきてしまう。
病院の先生や看護師さんは母体側の問題ではなく胎児側になにかあったから産まれて来れなかったと話してくれたのは私を傷つけないようにという意味合いなのはよくわかるけど結局は私の問題じゃんと思ってしまう。
染色体の異常も妊娠初期の私の栄養状態は問題なかったのか、ストレス過多ではなかったか、薬は何も飲んでなかったか、飲酒はゼロだったか考えると予防できるものを全て予防できてなかったなとかも考えてしまう。
1番後悔というか反省したのは働き方。妊娠がわかってからも上司にしか伝えずほんとは妊婦は避けた方がいい仕事も業務がまわるように避けなかった。我が子を守れるのは私だけだったのに私は私と仕事を守ってた。
ずっとがむしゃらに働き続けていた私に産休というお休みと考える時間を与えてくれたのかななんて都合いいように考えてる。ちゃんと栄養がわたらないなか15週まで頑張って生きてくれてありがとう。痛みとか苦しさとかこの時期から感じたのかなあ、辛くない最期を過ごせてたことを祈ります。
仕事の復帰はする予定だけれども、もしまた妊娠ができたら子供を何よりも優先すると決意した。
旦那がどのくらいの悲しみに包まれてるのかよくわからない。辛いに決まってるけどあまり実感が湧かないようで。そういうもんなのかなあ…。