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海街チャチャチャ

半年ほど前に自分に来た韓国ドラマブームで、色々な作品を見ていた。13本ほど見て、そろそろ見るものがなくなってきたころ、Netflixに「海街チャチャチャ」をおすすめされた。


他のNetflixドラマを見ている時におすすめされることはあったが、なんとなくタイトルがダサいなと思っていたし、韓国の俳優に詳しいわけでもなく、主役の2人を知らなかったので見る気にならなかった。

しかし、夏休み、あまりにも暇ですることがなかったし、Xの韓国ドラマ好きな人たちのこのドラマに対する評判が良かったので見てみるかと思い、第一話を見てみた。

最初は都会人が田舎に移り住むよくあるといえばよくある話かなと思っていたが、最後のエピローグをみてすぐにこれはかなり自分の好きなドラマかもしれないと思った。また、序盤から笑えるところがかなりあるので見る分には飽きなかった。

また、このドラマでホン班長を演じているキムソノという俳優を私は知らなかったのだが、一話の途中、キムソノさんが街のおばあちゃんたちに向かってにこっとするシーンがあるのだが、この笑顔が本当に素敵なのだ。ここで主役が好みの顔なので見続けることが決定。


この顔❕かわいすぎる。

都会から移住してきたヘジンを演じているのはシンミナ。初見だったのだが、笑った顔がかわいい。最初はちょっと好きになれないキャラクターなのかな?と思ったが、ヘジンがこの海街「コンジン」にきて、海を見つめて、回想に移るシーンでその気持ちは変わった。亡くなったお母さんの誕生日に家族旅行できたというコンジンの海(後にわかる情報もあり)を見つめているのだが、回想シーンがなんとも切ない。小学生くらいのヘジンはお母さんが病気で大変そうだった記憶がよく残っている。病気のお母さんは何も悪くないんだけど、小学生やもっと小さい子からすると、あまりよくわからず、なんだか寂しい気持ちがしたのかなぁと。シンミナさんの少し寂しそうな顔になぜかこちらが泣けてきてしまった。このシーンを見た瞬間わたしは一気にこのヒロインを好きになってしまったのだ。


シンミナ❕にこっと笑うともっとかわいい。

海を見た後、ファジョン刺身店でファジョンさんの言うセリフがとても好きだ。

ここの海を見ると、亡くなった母の懐に抱かれている気分になる

海街チャチャチャ 1話

このドラマは主要なところで必ず海が出てくる気がする。タイトルが海街なのもあると思うけど、告白シーンも海の近くなのだ。愛をはじめて伝える時も海の近く。海に誓っているみたいね。

最後のエピローグはホン班長から見たヘジンの姿だった。私はエピローグのある韓国ドラマを見たことがなかったので、その作りにもとても惹かれた。視聴者だけがホン班長の気持ちや、ヘジンの過去を知っていて、なかなか面白いなと感じた。

流れるBGMもすごくあっていて、ドラマの最後にはなんだか少し暖かい気持ちになれた。日常に疲れ切っていた自分にはそれがとても心地よくて、これは最後まで見るしかないと思った。

二話ではヘジンが少しやらかしてしまうところがあり、視聴者としてはあらま〜という感じなのだが、なんやかんやあって結局ヘジンが自分がしてしまったことを謝る。最終話まで見て、その後も何周もした人の感想としてはこの謝る、という部分がとても大事なところだと感じた。この後もヘジンは若干間違ったことをしてしまうところもあるのだが、間違えたと思ったら必ず謝るところがこのヒロインのとても素敵なところなのだ。後にヒロインのお父さんが出てきた時もお父さんにも同じ長所があり、また素敵だと感じる。

また、ホン班長とヒロインが言い合い?のようなものをして気まずくなることもあるんだけど、ホン班長が気まずいままにしないところもこのドラマの好きなところだ。それはホン班長がヘジンを好きだからなのか、そういう性格だからなのかは私にはわからなかったが、縁を自分から切らないところが好きだ。

むかし、よくお母さんと喧嘩した。私は自分が悪いと思っていてもなかなか謝ることができなかった。気まずくて。だけどお母さんは喧嘩してもその後普通に話しかけてきて、いつも通りにしてくれた。そのおかげでどこか自分のタイミングで、ごめんということができたのだ。このドラマでホン班長にはそういった暖かさを感じるのだ。

物語が後半に近づくと今まで明かされなかったホン班長の過去が明らかになっていく。
その過去はあまりにも可哀想というか気の毒で全てが彼のせいだというわけではなかった。むしろ、運が悪かったのだ、としか言いようがないような。
明らかになる前にヘジンがホン班長に過去を打ち明けて欲しいと言うシーン(だいたい)がある。
そこでホン班長は何もいえず、「何か言ってよ」と言われたあと、「ごめん」という。


今までこのドラマの中で「ごめん」は割といい意味で使われてきたと思う。ヘジンやお父さんが自分間違いを認めて謝る時など。
だけどこの時の、ホン班長の「ごめん」は何かから自分を守るようなそう言った役割を果たしていた。同じ言葉でも場面が違うと全く違う意味を持つんだなと思った。

ホン班長のライバルとしてソウルのテレビ局でプロデューサーをしているチPD(ソンヒョン先輩)が途中から出てくる。そこでまたこのドラマの好きなポイントがでてくる。それは二番手と思われる人の扱いが丁寧なところ。基本的にこのドラマは視聴者から見てもとても丁寧に大切に作られたドラマなのだと感じることが多い。
この先輩が果たす役割がとても素敵なのだ。

まず、先輩はヘジンに告白して振られる。ヘジンと先輩が話すシーンがあるのだが、そこが素敵だ。ヘジンは大学生の時に先輩と出会った。同じ大学で。彼女が最初に先輩に出会った時、おそらく金銭的にあまり余裕があるわけではない生活を見られた。その上あまりうまく行かなかった恋愛も見られた。先輩は彼女に「ご飯に行こう」とよく言い、その言葉は大学時代の彼女にとってすごくありがたい言葉だった。

しかし、告白をお断りする場面で彼女は「先輩には自分が一番惨めだった姿を見られた気がした」と言った。そこで先輩はいかに彼女がその時から素敵な人だったかを話してくれる。ありのままの姿がとても美しかったと言ってくれたのだ。もちろん視聴者としてはホン班長とヘジンがうまく行くことを願っているのだが、この時ばかりはあまりの先輩の素敵さに、ありがとう先輩、という気持ちにならざるを得なかった。

先輩の役目はここで終わりかと思いきや、ホン班長の過去が明かされるシーンでもっと重要な役割を果たした。
いろいろあってホン班長を恨んでいる先輩の後輩に対して、「ホン班長も楽になられた日はないはずだ」「運が悪かった」と言う。
文面でいかにこのシーンが必要だったのかを説明するのは難しくてできないのだが、後輩にとってもホン班長にとってもここはすごく必要だったと思う。

また、このドラマはホン班長とヘジン、三角関係になる先輩だけがメインのドラマでは全くない。コンジンと言う街で生きるコンジンの人たちがとても素敵なドラマだ。

最初は田舎町の悪いところがよく見えるが、回を重ねて、街の人々の過去を知ると、コンジンフレンズを愛さずにはいられなくなる。

コンジンフレンズ

好きなシーンを適宜またここに追加していくと思う。とにかく、こんなに素敵なドラマがあったのだということを残しておきたかった。
この「海街チャチャチャ」は2021年の夏から秋にかけて放送されたドラマらしい。
2024年の夏に見た自分でさえもコンジンに行きたいなと感じた。2021年、まだコロナの脅威が今より身近にあった時ならもっとこのドラマを魅力的に感じたかもしれない。
だけど今見ても素敵な理由は他にもある。毎日心が疲れるニュースや日常の中、参ってしまうことが誰しもあると思う。そうしてちょっと荒んだ心になることもあると思う。しかし、このドラマはなんだかそういう気持ちをほぐしてくれるのだ。

このようなコンジンという素敵な街は、人は、ありえない話かもしれない。理想的すぎるかもしれない。だけど、あるかもしれない。あっても良いと思う。こんな素敵な街が、人々が、こう言った人々の関わりがあるということを諦めたくない。そういう気持ちにさせてくれるドラマなのだ。

皆さんがいう通り、このドラマは間違いなくヒーリングドラマである。今でも何度も見直しているし、今の頻度で見なくなったとしても、少し疲れた時、少し笑いたい時、きっと、いや必ずまた見るだろう。

サブタイトルが素敵
1話 あなたの姿を、どこにでも見つける瞬間
2話 あなたの真心が一歩前進した瞬間
3話 あなたの心が、私に微笑みかけた瞬間
4話 あなたの温度が、私の心を溶かした瞬間
5話 あなたの感情が、波に浮かんだ瞬間
6話    あなたの視線が、友情を超えた瞬間
7話 あなたの孤独が、私に寄りかかってきた瞬間8話 あなたの存在が、暗闇を消す瞬間
9話 あなたの場所が、日常を描く瞬間
10話 あなたの愛が、"私たち"に到達した瞬間
11話 あなたのときめきが、私の幸せになる瞬間12話 あなたの望みが、"共に"を夢みる瞬間
13話 あなたの今日が、明日を願う瞬間
14話 あなたの約束が、勇気を引き出した瞬間
15話 あなたの悲しみが、春を迎えた瞬間
16話 私たちの人生が、みんなと踊る瞬間

少しずつ、好きなシーンについて書いていく

海街チャチャチャ 4話から

どうしてコンジンにきたのか、というドゥシクからの質問に答えるヘジン

コンジンにきた日は母の誕生日だった。人が死んだら、誕生日は消えて命日だけ残るのが悲しい。母が生きてた事実が霞んでしまう気がして。
母が生きてたらあの日で還暦だった。そしたら旅行にも連れて行って高い鞄も買ったのに。
違うわね。ただ一緒にご飯を食べるだけで嬉しい。

海街チャチャチャ 4話

ちょっと切ない気持ちをなんともないみたいに少し笑いながら言うヘジンと、そんな気持ちをわかってるみたいに優しい顔をしてヘジンを見るドゥシク。

とても良いシーンだし、個人的にここのヘジンの気持ちが痛いくらいにわかって切ない。私のお母さんは生きているけど。祖母がなくなっているのでこのシーンを見て、命日だけじゃなくて誕生日ももっと心に留めておこう。もっともっとおばあちゃんの話をお母さんとしようと思った。そして母はヘジンのような気持ちなのかもしれないと思った。

大学の課題で、「死」について調べた時。私はメキシコのお葬式、なるものについて調べました。若干詳しいことについては忘れたけど、心に残っているのは家で近しい人たちと、故人の好きなものを食べて故人の話をたくさんする、というところだ。いろんな儀式をすることも、亡くなった人を想う方法だと思うけれど、その人がどんな人だったっけ?こんなのが好きだったよね。こんなところがあったね。そんな話をして、その人を身近に感じることこそがその人を弔うということなのかなと思ったりした。

だからお母さんの誕生日に家族旅行できた思い出の地、コンジンにきたヘジンはとてもお母さん思いなのではないだろうかとおもう。とても優しい人。

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