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名付けてしまったので
※日記みたいなものです。ちょくちょく更新します。すこし気分がよくないことを書く日もあると思います、日記なので。ここでは自由に〜〜
2月15日
0時をまわって、20分経って。
なんかよく分かんない涙だった。気付いたら1時半くらいになっていた。
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2月20日
ゴチゴチに私の感覚で ものを言ってしまうけれど、血肉が音楽、音から成り立っているミンユンギさん、どうしたって抗えなくて好きだ、
音楽、音が好きでたまらなくてそれだけで生きている私が、それで成り立っている人間に惹かれないわけがなく、抗えるわけがなく、
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2月23日
笑顔なんて誰だって素敵だし最強なのに、なんで私はこんなにユンギさんの笑顔にだけ貧弱なのか。
2月27日
これからしばらくの人生、投下される供給は長髪、だがしかしリアルタイムは短髪、というビジュアルの往復ビンタに耐えていかなければならなくなった。バンドオタクしかしてこなかった人間に、推し活というものはあまりにも険しく厳しい道のりである、鍛錬は続く。
3月2日
チケッティング関連のツイを見ていて、行く行かないとかは関係なく なんか身体に良くない、何とも言えない感覚に襲われているユンギペンの方が居たらハグしたい、ハグしよう。
この感覚を飼いならすことはどうしたってむずかしいので。
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3月3日
私のなかでは
『アイドル SUGAと私』
『アーティスト SUGAと私』
『ミンユンギと私』
の3つの関係性があるのですが、
真ん中にあるのはずっと変わらず『ミンユンギと私』なので、ユンギさんにもどうかミンユンギを真ん中に置いておいてほしいし、大切な瞬間を躊躇う理由にならないことを願っている。
このお仕事をしている以上 どんなに願ったって難しいのだろうけど、ミンユンギとしてのひとつひとつの選択は、どうかミンユンギだけのものであってほしいのだ。そこにアイドルSUGAやアーティストSUGA、そしてARMYの存在は滲んでほしくないと思っている。
"関与しないけどそばにいること" が私の幸せなので。
ミンユンギとして、ユンギさんがそうしたいと思ったその瞬間がきたときは、絶対に絶対に守られますように、ユンギさんの大切な人、全力でずっと守られなければならないので。
3月9日
いつもと何ら変わらない一日。いつものように朝ごはんを食べて、いつものように電車に揺られて、いつものようにパソコンとにらめっこして、いつものように湯船につかって、いつものように、これから布団へもぐりこむ。
何ら変わらない。何ら変わらないけれど、差し込む陽射しがいつもより綺麗にみえたり、コンクリートの隙間から顔を出す紫の小さな花がいつもよりつよくみえたり、野良猫ちゃんがいつもより愛おしくみえたり、街の呼吸がいつもより鮮明に聴こえたり、いつもより、理由なく泣きたくなる瞬間が多い一日だった。
これがアイドルであるあなたを認識することで生まれる変化ならば、こんなに素晴らしいことはないと思う。あなたが今胸を張ってやっている『アイドル』は、きっととんでもない魔法が使えるんだなぁ。
お誕生日、おめでとうございます。
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3月10日
ユンギさん 3日間もありがとう、どうか健康で。
4月2日
坂本さん あなたが遺したものはあまりにも永い
これからも音は繋がっていきます
ノイズというものはひとつもないと思っていて、音があるところは全部命があると思っていて、心音だと思っている。
風で葉っぱが揺れる音、傘にあたる雨音、紙の上をすべる芯の音、一つひとつ、心臓の音だと思っている。
音がある限り 心臓は動いているし、誰かの心臓もまた、その音に動かされて生きていく。
チケットの代わりに発送待ちを経てご用意されたロクシタンのピローミストが届いた。香りものって本当に使わないのだけど、何故か買ってしまったこの子に包まれて眠る。ユンギさんが健康で幸せであることだけをいつも心から想っている。
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4月3日
トリロジーの最後、この次はたぶんきっと、怪我したみたいな身体の痛みも 喉にくる血の味も、もう会うことはなくなるような気がする。
絶対に会わないと、会って、たからものに変えないと、もうここしかない、絶対に会うんだ、
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自分のなかのユンギさんの解像度があまりにも低くて分からないことだらけだったのに、具体的且つ強制的に目の前に事象を置かれると途端にクッキリハッキリしてくるんだな、ヨントンに対して何も荒ぶらない理由も、ヨントンを選ばない理由も、すごく明確だ。
ユンギさんにとってこの上なく大切なアミと、アミにとってこの上なく大切なユンギさんが顔をあわせてお話するということなので、オールオッケー幸せの最果てです。ただユンギさんが幸せでいることが大切で、それが私の幸せなのです。
たぶん私は、対ユンギさんになったとき、ほとんど自分から始まる感情がない。限りなく自分軸がない。ユンギさんが軸なんだ。
自分が何かを抱えるより先に、ユンギさん側の感情で自分が埋まる。アミとヨントンするユンギさんは、絶対に幸せだ。だから私は深く考えるより先に、勝手に幸せで埋まっていた。
ユンギさんが軸だから、どうしても自分の目線を思い浮かべることができない。ヨントンする自分という概念が微塵もなかった。
ユンギさんとの虚妄的なものがめったに出来ないのも、写真集がちっとも見られないのも、映像コンテンツの供給にいちいち頭を抱えるのも、具体的に好きな部分がすぐに答えられない(あまり考えたことがない)のも、全部、自分発信で感情を抱える必要があるからだ。
『あとはそちらでお好きにどうぞ』と投げられたものに対して、その対処法を、自分から生まれる感情の抱え方を、私は知らないのだ。
つくづく奇妙だなぁ。
4月4日
私がユンギさんのことをあまりよく知らないという事実は、"ここ" では、アイドル(アーティスト)とファンという関係性では、どう足掻いても "愛" と呼ぶことはできない。それが成り立つのは私のなかだけの話なのだ。
これまではそとに出す場面がなかったから、ずっとちゃんと愛だった、いや 今も愛だけど、ずるずると そとに引きずり出されたとき、どうしようもなく息がしづらい。
人と人、ミンユンギさんと私、なので。
知るときは全部、たまたまでいい。
教えてくれたときでいい。
それが人と人の知り合い方だから。
それがどうしても、"ここ" では成り立たないのだと。
4月5日
自分のなかにあるトゲトゲした部分が表面に出てくるようになった。ちょっぴり良くない感じだ。このトゲは内側を向いていれば いくらあろうと自由だが、外側を向いている場合は話が別なのだ。絶対に人に当たってはいけない。気をつけよう。
4月9日
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この子がずっと私のなかにいるので ちゃんと会ってお別れしたいという気持ちが、ある。
この子に救われたひとが世界に一体何人いるのか、傷と傷がきれいにぴたっと重なって塞がって、沁みずに深く呼吸が出来るようになったひとが何人いるのか、この子にしか救えなかったひとが何人いたのか、
これから先もユンギさんはたくさんのひとを救うだろうけれど、それはきっとすごくかたちの違う救い方になる。
またユンギさんだけのかたちで、ユンギさんにしか救えないひとたちを救う旅になる。
その旅路がとても楽しみで眩しくある一方で、これまでの道程に想いを馳せて ほんのすこし寂しさを感じてしまうのはなんなんだろうか。これは何の寂しさなのか。
6日に公開されたドキュメンタリーのティーザーがあまりにも、あまりにもで、何にも言えなかった。6日に一度見たきり見れず、今日やっと繰り返し見たけれど、何度見ても、あまりにも、としか。
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『諦めなければ夢は叶うだとか、努力は決して裏切らないだとか、そんなことは言えない。努力は時としてしっかり人を裏切るし、叶わない夢もたぶん、ある。でも、そういうことではなくて、続けてないと。』
『続けるということは難しい。そのなかで、意志を持って続けるということは、もっと難しい。』
日本でいちばん言葉の力を持っている、と私が思っているバンドマンがいつかのライブで言っていたのを思い出した。
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人のつくった音楽に救われたユンギさんのベクトルが、そのまま『人のつくった音楽で救いたい』に向かったことに、どうしようもなく言葉にならない想いで なんかもういっぱいだ。
4月13日
ユンギさ〜ん、私絶対会うからね、絶対諦めないから、会いに行くから、
今のこの状況で ヤな奴になることって、メチャクチャ簡単だ。尖って言いたいこと言ってスッキリして切り替えられるなら それは全然自分を守る方法として良いものなのだと思う(もちろん独り言として)。
でも私の場合、ヤな奴になったあとに残るのはヤな気分になった自分だ。他人の当選と自分の落選に繋がりなんてない。システムの抽選の結果、自分が落選した、ただそれだけ。そこに噛み付いても、眺め続けても、自分の何かがすこしずつ荒んでいくだけなのだ。
今いちばん傷付いているのは紛れもなく自分自身だ。こんなときに自分をみないでどうするのか。こんなときこそ自己中心で良い。自分だけをみてあげないといけない。他人に気力を使ってはいけないのだ。全身全霊で自分のケアにあたろう、全力でヨシヨシしよう。
だから何も見なくていい、メチャクチャ傷付いてる今の自分、世界でいちばん大事にしてあげられるのは自分だけだ。ちゃんとご機嫌取りしよう。
しっかり悔しいし、しっかり悲しいなぁ。メッチャ好きじゃ〜んってなるなぁ、私メッチャ好きなんだな〜〜〜ユンギさんのこと、絶対変えたくないなぁ このかたち。棘の一部になんてさせたくないし、させちゃダメだよなぁ、何にも変えずに全部まるっと このまんま大事にしたいなぁ。
ユンギさんの活動期、しんどかったとかつらかったとかさみしかったみたいな時間で埋めたくない、ぜって〜〜素敵だった時間にしたい、なぜなら幸せになるための推し活なので。 "推し" という存在に出会ったときの感情は絶対に忘れちゃダメだ。
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4月14日
ユンギさんの音と声に会いたい。
必ずAgustDに会いたいです。
4月19日
ユンギさんは比較的生音を好む傾向があるし その使い方だったり配置がとても意外で魅力的だ。
대취타なんかはポイント使いどころかサビ裏にゴチゴチのメロディーラインで伝統楽器をぶつけてきているし、どの楽曲も本当に音の作りとして奥行きがあって空間が広い感じがする。
既出の写真から伝統楽器以外にもバンドセットを連れてきていることは分かっていたけど、ユンギさん、あなたがエレキを持つのは聞いてないです。(言ってないです)
ウィバスでアップされた写真、全部해금かは今の段階では分からないけど、ユンギさんが今回 生きた音に比重を置いているのは明らかで、生音(バンド)の民出身の私は一体どうすれば……………………?
4月20日
やっぱり私はダイナミックで剥き出しのユンギさんの音作りがたまんなく好きだなぁ、
4月21日
ユンギさんメチャクチャドキドキしてるだろうな、こちらもメチャクチャドキドキしているので もはや何の役にも立ちませんがBluetoothで手だけは握っていますので、
해금を聴いた。好きな人、どうしたって世界でいちばんの音楽家すぎる、なんでこんなにこの人の音はかっこいいんだ、かっこいいよユンギさん。
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4月25-26日
ユンギさんのことになると人一倍咀嚼に時間がかかってしまう私は、悲しくなるほどにまだ受け取れていないものばかりだ。ツラツラとこんな文章を書く時間があるのならその間に、と思うところだけど それが出来るならとっくにそうしている。
一口一口ちゃんと30回以上噛みたいし、一口一口感じたことを述べたいのだ。目の前にどんなにたくさんの料理を並べられようとも、冷めてしまうことを恐れて一口を5回の咀嚼で済ますようなことは絶対にしたくない。私は不器用でわがままな、どうしようもないペンなのだ。
ユンギさん、始まりますね、始まっちゃいますね。
ライブスケジュールも、ボーカル(喉)も、ダンス(体力・肩)も、演出(ギター)も、正直『正気か?』の連続でした。プロがやると言っている以上、一ファンが何を言っても失礼になってしまうような気がしてならないのですが、やっぱりどうしても心配です。
↑ここまでを配信前に書いていました。
ちょっと待てよ。
早速風邪引いてんじゃねぇか。勘弁してくれよ。
と、思っても、私に出来ることはもちろん何もない。ただライブをやり切れるよう、世界の片隅から願うだけなのだ。
出来ることがあるのは、明日以降、"そこ" に居るアミだ。
どうか、どうか一緒に創り上げてほしい。
その瞬間を共にするということは、"みせる人間 と みる人間" みたいな、境界のハッキリしたものではないと私は思っている。
だって紛れもなく、人生が交わる瞬間だから。
全力を尽くして ユンギさんの、SUGAの、Agust Dのステージの一部になってください。
ユンギさん、こんなこと 私が言わなくても分かっているとは思うのですが、今とても伝えたいので。
あなたの目の前に居るアミたちは、決してジャッジをしに来た人ではないということです。
あなたと手を繋いで、一緒にステージを創りに来た人なのです。だからだいじょうぶ。ケンチャナ。1人のステージじゃないよ。一緒に居るよ。そういう対峙を、一つひとつ、していこう。
*
アルバムのことも、たくさん話したいのになぁ。まだ全然ゴチャッとしている。あまりにもいろんな感情で溢れすぎて、全身の隅々までそれが複雑に縺れていて、解くのにはもうすこし時間がかかりそうだ。
でも1曲だけ、この1曲だけは始まる前に話したいなぁと。
相変わらず私はまだ 音と声だけで聴いているのですが…
"Life Goes On"
この曲を初めて聴いたときの感覚、たぶん一生覚えてるだろうな、忘れられない気がする。自分でもびっくりするほどに泣いてしまったのだ。
Agust D、D-2と制作してきて、トリロジー最後のD-DAY。その本当の最後の音楽が、こんな………くそぉ〜〜〜〜〜〜〜
あまりにもやさしく、やわらかく、色鮮やかで、穏やかで。どこか懐かしくもありながら、未来のキラキラをみているような感覚もあって、でも紛れもなく、そのすべてを含んだ確かな "今" のユンギさんの音で。たからものだった。
この楽曲は、Agust Dの音楽ではない。
これだけだと語弊があるのでもうすこし言葉を足すと、この "Life Goes On" は、Agust D『だけ』の音楽ではないと感じた。全員居るのだ。Agust D、SUGA、そして ミンユンギが。
もっと言うなら、ミンユンギが真ん中にいる、そんな音楽にすら聴こえた。
この楽曲がAgust D名義で、何より最後のトラックとして世に出たということに、とんでもない意味を感じてならない。
『人格を分けたかった訳ではない、ただもっと自由に話すことが出来たから』、
Agust DはSUGA、SUGAはAgust D、Agust DもSUGAも、ミンユンギ。すべてが共存する、世界でいちばん大切な音が出来てしまった気がする。
ユンギさん、私この歌、みんなで手を繋いで歌いたいです。泣いてても、笑ってても、なんでもいいと思います。これは、私にとって そんな歌です。
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4月27日
推しが世界一かっこいいことが世に知られてしまった。(すでに知られてます)
ユンギさんがステージに立つと本当に身体中の血が沸くような感覚があるなぁ、不思議だ、
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喉の状態は大事には至らず、なんとか大丈夫そうだったとのこと。無事にやりきって、最高に、最強に、知らしめたんですね?よかった、ほんとによかった、泣けるなぁ、ものすごく安心して 勝手に涙がダバダバ出てしまった。ここ会社だよ、お昼休みだよ。
正直 今朝までは吐きそうなくらいの不安に襲われ、そこから引きずり出されるような感じで、隠していた嫌悪とか 寂しさとか 怒りとかに囲まれてどうしようもない人間になっていた。
でもユンギさんはやりきった。
安心して、ぜんぶ何だったのかと思うほどに消えた。これもまた不思議だな、ユンギさんが幸せだったら私ほんとにぜんぶ大丈夫になってしまうのだろうか。
5月6日
ユンギさんが、万全ではないかもしれないと すこしの不安と一緒にステージに上がったときに、魔法をかけられるたったひとつの存在がそれなのだということに胸がいっぱいになる、
それになれることに
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明日以降もまだまだ旅は続いていくし、そんなことが頭をよぎる日は何度もあるだろうけれど、ここから先は、ステージに上がる前からその魔法がかかればいいなと思うし、頭をよぎった瞬間からかかればもっといいなと思うし、
そもそもそういう類のことは起こらない・無いに越したことはないのだけど、それを一つひとつ振り切るたび、お互いがお互いに伝えられる感謝や想いも一つひとつ増えるような、そんなところがみえるので、
最後には、始まりになったその不安ごと まるごと ぜんぶ愛おしく抱きしめたいなぁと思います。
それって今のユンギさんの生き方だなぁ。
5月11日
公演を重ねれば重ねるほど、ユンギさんの表情が柔らかくなっていく。ほどけていく。
あんなにギラギラしていて、ピリピリしていて、ドキドキしている空間を、まるでお家のお布団に包まれているかのような そんな表情で過ごしている。ぐんぐんと 身体中に水分が満ちていく感覚、深くゆっくり呼吸ができる感覚、きっと全身の細胞で感じ取っている。
幸せそうだ。ユンギさんが幸せなら私も幸せだよ〜
5月12日
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5月15日
ユンギさんにずっと聞いてみたいと思っていたことがいくつかあった。でもどれもメチャクチャいけずな質問だなぁと思っていた。
私はローリングストーンのインタビューが好きだ。気になるアーティストが出てきたとき、その人がどんな風に音楽と向き合っているのかをすこしでも知るために、まずローリングストーンに記事がないか確認してしまう。
ユンギさんの、Agust Dの記事が出た。
このなかですこし、私が聞きたいと思っていたことと、近いところに触れている部分があった。
みんなの意見はディズニーっぽいんです。どれも前向きな意見で、「ワオ、このアルバムやばいね!」という感じです。客観的意見なのか確信が持てないので、外部からの意見に耳を傾けるようにしています。メンバーはいつも最高だと言ってくれるんですけどね。出来が良くないものを聞かせても、みんな出来が悪いとは言わないでしょう(笑)。でも、みんなにはいつも感謝しています。みんなのおかげで、やる気と勇気が湧いてきます。
『ユンギさん 自分の音楽が、人々から正当に、客観的に、評価されているという感覚は、今のあなたに一体どれくらいあるのでしょうか、
その声が探しづらく、聞こえづらくなったことで、自身から生まれなくなった種類のエネルギーはあるのでしょうか』
やっぱりいけずな質問だった。
5月16日
LAでの3日間が終わった。ここから先のスケジュールは、考えられないほどに厳しい。中1日で次の会場が始まり、そのあとは3日連続の会場ばかり。気持ちとは別に 当然疲労は蓄積されているだろうし、アジアに戻るとまた時差もある。本当に厳しい。
『ツアーをしながら、幸せな記憶だけを持ち帰っています』
ユンギさんはそんななかで、
『今』、
『今』、
『今』、の、
その瞬間の幸せだけを、ひとつもこぼさないように、身体中いっぱいにして、持ち帰っているみたいだ。
ユンギさん、メチャクチャ『今』で満ちている。
5月19日
1:24:00〜
K-POPがどのアーティストもメチャクチャ素敵で魅力的なのだということは、第2世代のときに知っていました。肩までしっかり浸かっていたと思います。
次々に現れるキラキラの女の子たちに憧れ、アイドルバンドと呼ばれながら戦うロックバンドに出会い、逆輸入するようなかたちで、そのまま日本のロックを聴くようになりました。頭までしっかり浸かっていたと思います。
日本のロックの湯に浸かり続けること約6年、ラジオが流れる職場で働くようになりました。その局は洋楽を中心に、オーバー40世代の音楽がよくかかっていました。
クリスマスソングがよくかかるようになった頃でした。
たしかにどこかで聞いたことのある声たち、なのに音のつくりがまるで違う。知っているのに、知らない曲でした。
『お送りしたのは BTS "Dynamite Holiday Remix" でした』
それがグループとの出会いでした。
こんなにも変わるのかと、正直驚きました。こんなにも音楽を、音を愛する制作チームがいる環境で、このグループは音楽をやっているのかと。
それから、たまたまつけたテレビで彼らを見かけたときは、見るようになりました。
だけどすでに私は、ロックの湯に頭まで浸かっている身でしたし、K-POPがどれほど強烈に人を惹きつけるものを持っているのかも分かっていたので、『ここまでだよ、いいね、』、そんな感じでした。
"聴く" というよりかは "聞く" 、聞き流すように、BTSの全曲をシャッフル再生した日がありました。
流せなかった曲がありました。
身体が痛くなって、思わず再生を止めた曲があったんです。
【 BTS Cypher Pt.2 : Triptych 】
これがユンギさんの "痛み" と、私の出会いでした。
5月26日
今日からアジアツアーが始まる。ユンギさんとの対峙まで、あと一週間になった。
5月28日
とてもつらい公演がすこし続いた。あまり見ていられなかった。どんなに想っても、私はその痛みをもらうことも、緩和することも出来ない。ユンギさんがつらいのは、私もつらい。
ただ、そのつらさとは対象ともいえる感情もあった。信頼だ。
様々な要件から、絶対にキャンセル出来ないという状況なのはとてもよく分かる。だからあの健康状態であっても、強行突破することに関しては飲み込むしかない。そこからくる不安とはまた別に、アミに対するとてつもない信頼を、ユンギさんから感じた公演だった。『自分が今出せる最善を尽くしさえすれば、アミとなら、必ずつくれる。大丈夫。』そんな想い。
ジャカルタ最終日、くしゃくしゃの笑顔をみて、たくさん泣いた。本当に、お疲れ様でした。
ユンギさんが次に向かう地は、日本。
5月30日
あと3日になってしまった。
カレンダー、スマホ、テレビ、あっちで、こっちで、日付が目に映るたび、心臓の音が100倍になって聴こえるような感覚をひたすらに繰り返している。とても身体に良いとは言えやしないなぁ。
先日行ったとあるアーティストのライブで浴びた音たちが、自分の思っていた以上に身体を埋め尽くしていたので、吐き出すのにかなり時間がかかってしまった。今、メチャクチャスッキリしている。本当に排泄みたいなもんだった。
何にせよ、身体は空きました、ユンギさん。
5月31日
シワをつけたくないと 吊るしていたズボンたちがごっそり姿を消し、ハンガーだけがいくつも揺れている。
キャリーケースから取り出したとき、おそらくついているであろうシワを想像してそれすら愛おしくなる あまりにも不思議なこの現象に、名前を付けたくなる。
6月1日
愛おしいから名前を付けたくなるのか
名前を付けるから愛おしくなるのか
明日、明日。明日…
バレンタインの配信、日を跨いで00:00のツアー解禁。あれから約3ヶ月半が経ったらしい。思ったときに 思ったまま つらつらと書き続けたこれも、今日でおしまいになるのだろうか。
浮かんだり 沈んだり 尖ったり 柔くなったり、たくさんあったなぁ。なんというか、本当に感情量の多い日々だった。
濁流のように動脈を駆け巡る感情の多さに、意図せずとも、私のことをすこし知れた気がする、私のなかのユンギさんのこともすこし知れた気がする、ユンギさんのことは、相変わらずな気がする。だから良い。
明日私のなかには何が駆け巡るのだろう、
強くあることは大切です、だけど、柔らかくあることが もっと大切だと、私は思います。
強いも弱いも認められる、受容できる、柔らかいひとであること。私はそういう、柔らかいひとでありたいです。
『僕もすごく弱い人なんだな と』
ユンギさんは柔らかいひとだと、私は思っています。
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