エビデンス
何かを説明するときにあらかじめ「こういう論文があって」とか「こういう研究がなされています」という言い方をすることがあります。もともとはあるテレビ番組の影響じゃないかという気がするんですが、私も研修や講演でそういう言い方をすることがあります。では厳密に言ってそれは正しいのでしょうか。実は決してそうではないんですよね。
極論を言えば論文なんて、書いて発表するだけなら誰にでもできてしまう。実績や権威のある方が査読している場合はある程度信頼できるのですが、査読付き論文かそうでないか等をいちいち研修や講演の場で説明しているかというとそういうわけでもないです。後世になって有名な論文が実は間違っていたという例も数限りなくあるし、研究もデータ不足のものや条件があいまいなものが結構ありますから、論文や研究があれば良いわけじゃないんです。つまり「これが証拠の論文ですよ、研究ですよ」と言われても、厳密には元のデータをきちんと確認しないとわからない、ということになるんです。しかし一般消費者はそんなことをいちいちやる時間も手間も無いので、いくら「エビデンスは何だ?」とか言っても、結局は、情報を出す側の良心や誠実さに左右されてしまいます。
また、仕事をする上で習慣的に行われていることにどこまでのエビデンスがあるのか、必要なのかと言えば、厳密にはかなり難しいことでもあるんですよね・・・。例えば誰かの成功体験が1つあって、なぜ成功したかというのはたいていは後付けで研究されますから、ずーっと後世になって証明されるわけですが、それを今参考にして応用したい、といったらやっぱり「エビデンスが無いよね」となってしまします。そして、生きているうちにあらゆるエビデンスが出るのを待っていたら、画期的な発見もビジネスの世界では手遅れになるでしょうし、そもそもエビデンスが出るより先に私たちの寿命が尽きることになるでしょう。
エビデンスは大事ですが、エビデンスを待っていて、正解がわかったころには手遅れというのでは意味がありません。また、エビデンスのように見えてもいい加減なものも多い、という事なので、見る側、使う側が考えなければならないことだと思います。
人気Youtuberで、謎解き統計学というチャンネルをやっているサトマイさんという方がいるのですが、この方は福島大学でマーケティングを学んだ卒業生だそうで、いろいろな話題を統計やロジックで説明しているのですが、1年ほど前に疑似科学についての動画解説をアップしています。これは実際にCMを行っていて、看板も立っている企業の検証データの内容がずさんであることを実例をもとに論証していて、とても驚きの内容です。ご興味ある方は検索して見て頂きたいのですが、しかしこの明らかな間違いを含んだグレーな広告を、その企業はずーっとそのまま使っているのです。企業にしてみれば、そういわれてもこれから研究をやり直す時間も予算も無いというのが実態だとは思うのですが、見る側がちゃんとわかっていないと騙されてしまいます。
エビデンスは大事ですが、エビデンスを待っていて、正解がわかったころには手遅れというのでは意味がありません。また、エビデンスのように見えてもいい加減なものも多い、という事なので、見る側、使う側が考えなければならないことだと思います。