祖父と柿と鎌
柿を見ると思い出すことがある。
わたしが子どものころの、祖父との記憶だ。
祖父は趣味で畑を持っていた。
畑というか、庭の延長みたいなかたちで、好きなものを植えていた。
みかん、桃、いちご、それから柿。他もあったように思う。
収穫されたものは家で食べるか、近所のひとたちにお裾分けしていた。
今思えばほとんどがくだものであり、それを季節ごとに食べて育ったわたしは、そこらで売っているくだものを食べても「おじいちゃんの畑のほうがおいしかった」と思ってしまう大人になった。
ある日、畑で柿を取ってきた祖父は畑仕事用の鎌でわたしのために柿を剥いてくれた。
少し錆びた鎌だったように思う。
祖父が剥いてくれた柿を、祖父が作ったらしい塗装のはがれたベンチのようなところ(縁側から出っぱらせるように作っていた)で手づかみで食べた。
そのほかも食べていたはずなのに、畑のことを思い出すといつもこの思い出が浮かぶ。何を話していたのかは覚えていないのに、祖父が鎌でわたしのために器用に剥いてくれた姿は覚えている。
祖父はその時点でもう八十歳も近かったはずだ。
それから数年後、祖父はわたしが十歳のときに亡くなった。
祖父母は沖縄出身で、戦争を経験している。
物がない時代を生きたからなのかもとからそういう性格なのかはわからないが、なんでも自分でやろうとしていたらしい。
(庭でテレビを自分で作ろうとしていたという話を聞いたときにはさすがに笑ってしまった、ごめんおじいちゃん)(でも引退前の仕事内容を聞くと電子系の知識はあったのかもしれない)
くだものばかりを植えた畑にしたのは、もしかして戦時中に食べられなかったものなのかな、と今なら思う。違うかもしれないけど。
祖父とわたしは本当の祖父と孫ではない。
血のつながりはあるが、もうちょっと遠いところだ。
小学校に上がったばかりのころに祖父からそのことを言われたとき、わたしは意味がわからないながらも大泣きして、母に聞きに言った。
母は「あなたのおじいちゃんはあのおじいちゃんだよ」と言ったあと、祖父に「なんてことを言うんですか」と怒った。
母からしたら義父となるわたしの祖父を怒っているところを見たのは最初で最後だった。
祖父と過ごした実家も畑も、いろんなことがあって、なくなってしまった。
悲しくてさびしくて、守れなくてごめんなさいと申し訳なさもいっぱいある。
「思い出の中にある」なんてありきたりな言葉だけれど、本当に思い出の中だけに、わたしの祖父は残っている。
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