決めたことを忘れない。
最近ちょこちょこと就活をしている。転職がしやすくなっているとは聞いていたけど、ここまでとは。同業界であれば仕事を見つけやすいし、あんな企業もこんな企業も求人があるというのは驚いた。
次に働く先は、前職と同じように長く、できたら定年までその後も嘱託社員なっても働きたいと思いつつ探しているので、かなり慎重に選んでいる。仕事内容や条件も吟味。それでも転職は慎重になった方がいいと思う。前いた場所で、その環境に対してもっとできることがあったんじゃないかと思うことがある。あとから冷静になると見えるものがある。でも今がどんな状態かなんて、冷静に見れない。
「なるべく忙しくしながら、今を楽しむ」というのが私のライフスタイルに合っている。というのも、本当はゆっくりだらっとしてるのが好きなのだけど、ゆっくりしているとどんどん未来志向の沼にハマり込んで抜け出せず苦しむことになる。あらゆるリスクを想定し、また想定したとて、そのリスクを防ぐこともできず鬱々とする。それなら考えない方がいい。忙しさの渦に巻かれるべき。
ただ、そうすると冷静さを失い、また日々辛いと感じ始める可能性がある。いくら働いてもこの奴隷制度から一向に抜け出す気配すらないことを思い出して失望してしまう。そんなことを考えないために「常にポジティブ」「嫌なことは考えない」「家庭環境から良いサイクルを作る」「忙しくする」などなど始める前から決めてしまうこと。ポジティブじゃないから「ポジティブに」と唱えるし、のんびりスローペースだから「忙しくする」ことを意識する。
ここまでしないと、世の中に絶望して労働意欲を失いかねない。極端に考えがちなので。政治とカネの問題を見たり、税負担率を見たりすると、資本主義における労働者階級の身分の低さに絶望してしまう。だけど、現実問題、労働者階級であればあるほど働くことはやめない方がいい。仮にお金があったとしても、自分は無職が向いてないと結論を出した。貧乏人である私は時間があることに慣れないし、時間があってもお金が使えないから暇が闇を生み出す。お金持ちは時間があればお金を使う。それもさらにお金を生み出すことに対してお金を使う。貧乏人はお金をもらって働くけど、お金持ちは初期投資でお金を払う。すると貧乏人の給与の何百倍も多い利益となって返ってくる。「カイジ」を久しぶりに観て、昔とは違う感想を持った。若い頃は、貧乏になるのは怖いなぁと思っていた。今見たら「ああ、これは私たちのことなんだ」と悲しくなった。やっと理解できた。今の日本人の多くがカイジ…いや、能力を考えるとカイジ以下か。
何十年も会社員として働くと辛い局面が多いだろうと思うけど、日々の労働にどこか喜びも見出せるはずだからそれを希望の火として心に灯し続けたいと思う。喜びを見出すと決めたら、もう余計なことを考えない。辛いことすら、嬉しいことだと思う。それを忘れないで、未来の私。大切なのは、決めたことを忘れないこと。前職には感謝しかないので、次の場所でも感謝して去れるようにしたい。