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小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話


「お父さん、ヌードを撮ってくれませんか。」 

もうすぐ30歳になる私が、父に送ったLINE。

「何言ってんだお前、女友達に撮ってもらいなさい!」
そう来るかなと思ったけど、返事はすぐに届いた。


「了解!前日、下着の跡形つかないように!」


正直、「父親」や「夫」としてはあまり自慢できないけれど、「人」としてはすごく面白い。そんな父の前で、小学1年生ぶりに真っ裸になり、ヌードを撮ってもらったという話です。父が最近あんまり元気ないので、この機会に、父との物語を綴ろうと思います。



1日100万から、倉庫暮らしに

遡ること、30年。いきなり自慢話みたいになるが、父は、1日の撮影で100万以上稼ぐカメラマンだった。

名だたる師匠に弟子入りし、28歳で独立。大手百貨店や海外のハイブランドとかの広告写真も手掛けるような、ファッション業界メインのカメラマンで、大阪では結構有名な方だったらしい。

そんな1日100万稼ぐ人が、あるときから倉庫で住むようになった。そこに至るまでには、4段階の出来事があった。

まず、タワーマンション建設のため、父のスタジオが立ち退きになったこと。そのタイミングで、カメラマンにとって命と同じくらい大切な、目や耳に病を患ったこと。そしてどんどん仕事が減り、気が荒立つ反動で酒を飲みまくる父が、日々記憶をなくすほどに暴れてしまったこと。その様子に、母が私達を守るためにも家から出るように伝えたこと。(ほんっとに結構大変だった〜)


最初は、父がどこに住みだしたのか知らなかったし、気にしてもいなかった。まあ、独り身の友人宅かなー、ぐらいに思っていたし、当時の私は、就職が決まって実家を離れ、バリバリ働きはじめていた頃。連絡は取れるけど、特に関わることなく時が過ぎていった。…が、ある日、ひょんなことから、父がトランクルーム…つまり倉庫に住んでるっぽい、という情報が入った。さすがに、連絡を取って様子を見に行くことにした。



父、コンビニ出禁になりかける


本当に父は、倉庫にいた。倉庫に、住んでいた。
私の姿を見て、恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔で迎えた。

90kgほどあった体が、びっくりするくらい痩せていた。けれど、ボロボロのリーバイスと白いタンクトップが、日に焼けた肌に似合っていて、わりと元気そうにも見えた。

「どんな感じなん?」と中を見せてもらうと、全面コンクリートの壁や天井、上からは裸電球、真ん中にベッド。昔に買ったらしい、デザインがイケてるソファも置いてあって、私が独り暮らししてる部屋より随分とおしゃれだった。太陽光が入らないことと蒸し暑いことを除けば、結構いい部屋だった。

「お風呂どうしてんの?」
「工夫してる。銭湯もあるし」
「トイレは?」
「そこのローソンやな。でもさすがに何度も行ってると店員さんに声かけられてもーてな、最近はあっちのファミリーマート通い始めてん!」

ヨガ通い始めたOLみたいなテンションで言う父に、思わず笑った。

…とは言え、倉庫暮らしはいろいろとまずいだろう、ということで、「とりあえず私と一緒に住まへん?」と提案。父と、8畳ワンルーム・ユニットバスタイプのアパートで、謎の二人暮らしが始まった。



父、Facebookに出会う


家に連れ込み、早速いろいろ話した。


「どうなん最近。カメラは動くんやろ?」
「もうな、持たれへんねん。カメラがな、なんか重たいねん。」

私は父を連れてauショップに行き、ガラケーだった携帯をiPhoneに変えた。

「これで、1日1枚、何でもいいから写真撮ったらいいよ」
「何でもって何撮ったらええん?」
「うーん、何でもいいねん、ビルでも道路標識でも……あ、エスカレーターとか面白いんちゃう。かっこええし」
「ええな。かっこええな。」
「うん。まあ、何でもいいから。」


それからFacebookアカウントも作った。携帯の電話帳を見ながら旧友を検索し、父と一緒に申請をしていった。

「○○クンや!なんで出てくんの?!懐かしいなあーー!△△ちゃんも!へえーー孫おるやんか!2人も!!」

父は不思議そうに画面を見ていた。一通り説明し、テスト投稿をすると、いくつかコメントが付いた。父が仕事をなくしていたことは、何となく知れ渡っていた。その上、不通が続いていたからか、父への眼差しは暖かかった。


1週間経ったある日、父が言った。「撮るもの決めた!花、撮るわ!」

花を好いて来なかった父なので、ちょっと驚いた。母に伝えると、「あの人が花……家に花を置くのを嫌ったあの人が…?何なの…?こわいわ…!」とおののいていた。


父は毎日、花を撮り続けた。1日1枚。それをFacebookにアップする。すると、何人かから「いいね」がつく。父はとにかく喜んだ。

ちなみに父の口癖は「いいね」である。っていうかカメラマンってそういうものなのかな、撮影するときモデルさんに「いいねー!」を連発する。そんな仕事がピタリと止んだ今日、今度は自分に対して「いいね」と言われるのが何とも嬉しかったのか、私の仕事中によく電話がかかってきて「いいねが20個も来た!!」とはしゃいでいた。



発泡酒、ちくわ、ガーベラ


数週間後、「相談がある」と言われた。

「もう、道に咲いてる花は全部撮ってん。撮るネタがなくなってん。そしたらな、花屋さんあったから、こっそり撮ろかなおもてんけど、あかんな?」

意外にリテラシーがある父に、1000円をあげた。「パチンコに使わんとってや」と釘を刺した。(※当時の父はパチンコ依存症気味)

父は、その1000円で、発泡酒、ちくわ、そして赤いガーベラを1本ずつ買ってきた。

そしてガーベラを、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら撮り、投稿。そしたら、「いいね」がいつもよりも付いた。父は喜んで、次の日も、その次の日も花屋に行った。

さすがに花屋さんも父の顔を覚えた。ある日「毎日ありがとうございます」と声をかけてくれた。事情を説明すると「それなら!」と花屋さんは、一緒に花を選んだり、花にまつわるいろんな情報を教えてくれるようになった。らしい。

その結果、父は写真投稿時に「いい感じのコメントを添える技」を身につけた。花言葉だったり、その花の旧名を漢字で書いて意味を載せたり。いいねはどんどん増えていき、父の教養も増えていった。

特に、「恋」の旧字、「戀(こい)」を説明されたときは楽しかった。

「知ってるかこの漢字、ええやろ。いと(糸)しい、いと(糸)しい、って言う心、って覚えるんやって」

声を荒らげ大暴れする当時の父からは考えられないほど、美しくて豊かな変わりっぷりだった。

(母はFacebookの投稿を見て、「これ本当にあの人の文章…?信じられないわ……!」と混乱していた。)



父、はじめての就職活動


そんなある日、私は当時の恋人と住むことになった。「ここそのまま使ってていいから」と、ワンルームに父を残した。

それを機に、父が言った。
「俺、ちょっと就活してみるわ。お花もお酒も買いたいしな」


生まれてこのかた、カメラしか持たなかった父だ。まずは、家族写真などを撮る写真館へ応募。結婚式やイベント撮影の会社、遺影写真や生前写真を専門で撮る会社も受けてみた。が、不採用が続いた。

「申し訳ございません、そのようなキャリアをお持ちの方に我々の会社に入っていただくなんて、恐れ多くて…」そういう表現で伝えられたこともあった。でも、本当の理由は父にもわかっていた。60代で、新しく雇ってくれるところなんて、なかなかない。

10社ほど受けたけど、すべて落ちた。父は、相当ヘコんでいた。

ただ、それでも父は、毎日花を撮り続けた。



父、はじめての個展


ある日、日々投稿される花を見て、父のFacebookに連絡があった。

「個展やりませんか?」

声をかけてくれたのは、父の昔の知り合いだった。ギャラリーを持つその人は、父と私を食事に誘い、作戦会議を開いてくれた。

共に準備し、2016年の12月、個展がはじまった。花の写真は、全部で1500点ほど。その中から厳選されたものが飾られたけど、それでも、壁一面に並んだ花の写真は圧巻だった。「なんか、花のヌードみたいだね」と誰かが言った。言われてみれば確かにそんな感じだった。個展のタイトルは「花戀」だった。


想像以上の数の人が来てくれた。私も何日か手伝いにいったけど、父はたくさんの人からお祝いをされていた。父はたくさん泣いていた。

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父、警備服を着こなす


3週間後、大盛況で幕を閉じた父の初個展。それを機に、父は、花の写真を撮らなくなった。そして、年明けに一本の電話がかかってきた。

「ガードマン、するわ。」

商業施設の駐車場前とか、工事現場にいるガードマン。あれをするという話だった。「ガードマンの仕事なら、俺でもいけるねんて」と。

カメラを持たない仕事を選ぶことは、相当な決心だったと思う。「ちなみに、なんでその会社にしたん?」と聞くと、最終面接で、自分の経歴を見ながら言われた言葉が、結構響いたらしい。

『この仕事は、家族の元に帰れへん人も、元社長もいます。でもみんな、同じ警備服を着て、現場に行きます。ここでは、みんなが同じスタート地点、ゼロからはじめるつもりで頑張ってほしい。ガードマンの仕事だって、結構誇れる仕事ですよ。』

1ヶ月後くらいに「順調?」ってLINEすると、
警備服姿の自撮りが届いた。
「かっこいいよ。コスプレみたいやけど」って送ると、
「コスプレちゃう!父さん撮るプロやったけど、今は守るプロや!」
と、返事が返ってきた。



20代最後のプレゼント


その約1年後、私の誕生日間近に、父にLINEを送った。

「お父さん、急に驚くかもしれへんけど、
 ヌードを撮ってくれませんか。」 

親に誕生日プレゼントをねだるのは、相当久しぶりだった。20代最後に何を残そうかな、そう考えた結果だった。それから、もう一回カメラを構える父を見たかった。

「了解!前日、下着の跡形つかないように」


撮影当日、借りたスタジオに到着。「こんな感じがいいねんけど…」とiPhoneのカメラロールを見せようとしたら、「あ、俺もいくつかあんねん」と父も画面を見せる。お互い似たようなイメージを思い描いていたこと、そして同じ写真が2枚あったことに、とても驚いた。


「じゃあ準備、ゆっくりでええから。タバコ吸うてくるわ」

服を脱いで、自然光が注ぐスタジオの床に座る。なんか知らんけど、スイッチが入る。

ふしぎと恥ずかしいなんて思わなかった。撮る・撮られるの関係性ではなく、「一緒に作品をつくるんだな」という感じだったからだと思う。そして、お互いにいろんなところを見せてきたからかな、と思う。

撮影中、父の口癖「いいね!」が続いた。画面に並ぶ、ほんとにいい感じの写真に、ふたりで喜んだ。


ヌード写真は公開してないけれど、最後に撮った父とのツーショットをFacebookに投稿した。そしたら、「498いいね」がついた。父はめちゃくちゃ驚いていたし、めちゃくちゃ喜んでいた。

「なんやこれ!今までの花の写真と桁がちゃうやん!」
「そうやな、いっぱいついたね」
「これ超えることは、もうないな」
「そうやな。結婚しました!とかでもなかなかいかへんで、一般人は。」

そんなやりとりをした。



最近、父は結構まじめに体調が悪いらしく、
「もう死ぬ、もう死ぬ」ばっかりLINEで送ってくる。
でも「39歳でもヌード撮ってね」と送ると
「もちろんやで!」と返ってきた。どっちやねん。


こうして、私は小学1年生ぶりくらいに、
父の前で真っ裸になりました。
そんな話を、ここに残します。


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