久々のオーケストラの演奏会で上質な生の芸術に触れる
本日は、サークルの尊敬する大先輩にお誘い頂きこちらの演奏会へ。
◆第392回 名曲コンサート@サントリーホール
└日本フィルハーモニー交響楽団
コロナ禍のなかで「芸術は不要不急ではない」という中、様々な支援のもと何とか乗り切ってきたとのこと。
私自身もド下手ではあったが、学生オーケストラに所属していた。
自身の最後の引退公演もまた、サントリーホールであった。
久々の舞台、久々の最高峰のホール。
ワクワクしないわけがなかった。
オーケストラは「なまもの」だ。そこに集う観客と、奏者と指揮者が交わったとき音楽はさらに上質なものへと、昇華されていく…
その興奮が溜まらないものであったということを開演前に、のんびりと頭の中で考えていたりした。
▼プログラム
前曲:ワーグナー/ジークフリート牧歌
中曲:ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
メイン:ベートーヴェン/交響曲第5番≪運命≫ハ短調 op.67
…演奏会が始まった。今回の目玉の一つは、ヴァイオリニストの神尾真由子さんのコンチェルト。
人生で初めて生で聴いたストラディバリウスは、言葉に言い表せないものを私の頭の中に残していった。
TV越しとそうでないのでは全く音が違う。一楽章は楽器自体の鳴りが少しだけ弱かった気がしたが、二楽章では神尾真由子さんの世界に、一瞬にして引き込まれた。
もはや、真由子さんとヴァイオリンが一体化しているように見えた。
あそこまで引き込なすには、どれだけの時間と努力が必要なのだろうか。
想像も絶する時間、練習に没頭し幼少期から弾き続けたのだろう。
そして、メインの運命。
自身が、金管奏者だったこともある。だからこそかもしれないが、前回はものすごく繊細に吹いていたトランぺッターが今日のメインでは、全く違う音だったのだ。倍音の太さは去ることながら、金管を引っ張っていく感じ。
「音が道になって見える」に表現は近いだろうか。
トランぺッターに、一気に心を惹かれた。
「あそこまで自由に表現出来たら、本当に幸せなんだろうなあ」
私は、そこまでの高みには追いつけなかった。
努力できなかった。
だけど舞台の上の一番後ろからオーケストラのメンバーを通してみる景色は、自分の中でどこよりも大好きな光景だった。
譜面もまともに読めない中、一流と呼ばれる大学オーケストラに飛び込んだ私は、今までの世界の狭さに絶望すると同時に、追いつけないことも悟ってしまった。
どうしても、音楽は時間の経験年数も表現に現れてくる。細かなテクニックなど、天才でない限りは自分に身に着けるのに圧倒的に時間もかかる。
それでも毎回の演奏会で、本番だからこそ起こる数々の音の重なりやそれの一部になれる快感は何物でもなかった。
そんなことをうっすら思い出しつつ、オーケストラは4楽章へ向かっていく。金管楽器のコラールは非常に有名だが、その時に一本真ん中を通るように走り抜けたトランペット。
もっともっと、この人の演奏を音を聴きたい…そして、もっと早く出会いたかったこの音と…と。
だから私は、小学生・中学生・高校生などもっともっと学生がプロの本物の芸術に触れる機会をどんどん増やしていきたいと心から思った。
早い時期に上質な音楽に触れて、私のような後悔をする人が一人でも減ってくれたら良い。
「あの音を目指したい」と早くに気がつくことができれば、努力をする時間も稼げる。
そして、人生の選択に「芸術で自身を表現する」という選択肢を持つ子どもたちがもっと増えてくれたら良いと。
上質な芸術は、心を豊かにし安寧をプレゼントしてくれる。
私も今日の素敵な2時間を胸にしまって、そっと眠りにつこうと思う。