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第134号(2021年6月21日) 北方領土での爆撃訓練 「ナワリヌイの乱」後編 ほか
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【インサイト】ナワリヌイの乱とは何だったのか(後編)
前回に引き続き、村上大空さんによる「ナワリヌイの乱」総括の後編をお届けします。
「乱」が最高潮に達したのは、今年1月のナワリヌイ帰国と拘束の後ですが、その後、運動は急速に萎んでいきました。
「ナワリヌイの乱」は何故失速したのか。今回はこの点に焦点を当てて解説していただきましょう。
プーチン政権のアキレス腱?ナワリヌイの乱とは何だったのか(後編)
村上大空
こんにちは。在モスクワ国際政治アナリストの村上大空です。
前号に続き、今号でもナワリヌイの活動を振り返ります。前回はデモが起こる前の出来事について取り上げましたが、今回は今年のデモが起こった後の話を取り扱います。
(前号の続きから)
●デモの拡大 と取り締まりの強化
ナワリヌイは1月17日にドイツよりモスクワに戻るが、帰国直後に拘束され、裁判所の決定が出るまで拘束下に置かれることになった。ただナワリヌイ陣営にとってこのことは織り込み済みであり、ナワリヌイの拘束後には前号で言及した「プーチンのための宮殿」や抗議デモを呼びかける動画が投稿されるようになる。
そして1月23日にはナワリヌイ拘束後初めての抗議デモがロシア全土で開催される。当日は寒さに関わらず多くの人が参加し、モスクワだけでも「1万5000人以上」や「3万5000人」が参加したという報道もある。これだけの規模のデモは、2012年の大統領選後の抗議デモを彷彿とさせる。
当日モスクワのプーシキン広場にてデモを見た人によると、「参加者のほとんどは20代から40代の若い世代であり、未成年者の参加者も目立った」という。
このデモの結果、ロシア各地で合計300人程度が拘束されたが、ナワリヌイ陣営はこれに怯むことなく、次週以降の抗議デモを開催することを表明し、参加を呼びかけていた。そして翌週の31日のデモでの拘束者は5000人を超えた。
こうしたデモに対し、ロシア当局の対応は徐々に厳しいものとなり、23日のデモ以降はナワリヌイ陣営の中心人物の拘束の他には、「未成年者に対するデモの参加への呼びかけを削除しなかった」ことを理由に主要なS N Sに対して罰金を課したり、デモに参加した大学生が退学にされたりするケースもあった。
このような対応には国際社会から批判があったが、プーチンは1月25日の学生とのオンライン会議において、米連邦議会議事堂にトランプ前米大統領の支持者が乱入した事件を挙げながら、違法な抗議やデモが社会に混乱をもたらすと強調し、意見を表明は法律の枠内で行うべきだと訴えた。こうした背景もあり、ナワリヌイの陣営の活動に対する取り締まりは強まっていくことになる。
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