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第18号(2018年12月21日) 見聞録ラトヴィア編
存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。
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【見聞録】ラトヴィア編
●期待を裏切る古都、リガ
前回は初のバルト訪問エストニア編をお届けしましたが、今回はラトヴィア編です。順番的には先にラトヴィアに入っていたのですが、メインイベントがラトヴィアだったので、前後してご紹介することにしました。
JAL機でフィンランドに到着し、続いてフィンエアーのボンバルディアでラトヴィアに降り立った第一印象は、「こんなに美しい国なのか」というものでした。貧弱な想像力を告白するようでお恥ずかしいのですが、ラトヴィアといえば旧ソ連の小国というイメージから、もっとうらぶれた国を想像していました。
しかし、実際のラトヴィアの首都リガは落ち着いた美しい欧州の都市で、街の中心部に広がる公園や運河沿いに綺麗に修復された歴史的建築物が立ち並んでいる様子に静かに圧倒されました。最近はモスクワの中心部も本当に綺麗になりましたが、バルト諸国はそれに先んじて景観を大事にしているようです。
その様子は、どことなくソ連時代の過去を早くぬぐい去ろうとしているようでもありました。
●NATO戦略的コミュニケーションセンター
今回のバルト訪問の目玉は、リガにあるNATOの研究所、戦略的コミュニケーション卓越研究センター(通称NATOストラトコムCOE)でした。ストラトコムといえば戦略核戦力や宇宙戦力を運用する米軍の統合軍が有名ですが、NATOストラトコムCOEの位置付けは全く異なります。
一言でいえば、外部勢力の情報戦の実態とその対抗策を研究するための研究機関ということになるでしょう。筆者はこの研究機関の存在を知らなかったのですが、読者の方からのご質問でその存在を知り、今回の訪問につながりました。貴重な機会を与えていただいたことをここでお礼申し上げようと思います。
初日はまず、NATOストラトコムCOE主催の国際シンポジウム「悪意あるソーシャルメディア利用への対処」に参加しました。米国や欧州から多くの研究者や企業代表が登壇し、現代におけるインターネット上での情報戦の実態について報告がありましたが、やはりテーマはロシア絡みのものが圧倒的です。
NATOストラトコムCOE自体も設立は2014年ですから、ロシアのウクライナ介入に際して見られた広範な情報戦が設立の重要な契機であったことは疑いないでしょう。
●「人間」化するbot
さて、シンポジウムにおける議論の内容は非常に多岐にわたり、ここではとても紹介しきれませんが、以下では興味深かった内容をいくつかピックアップしてみましょう。
その第一は、botの「人間化」です。
これまで知られてきたロシアの情報戦においては、自動化アカウント(いわゆるbot)が大きな役割を果たしてきました。コンピュータが管理するSNS(TwitterやFacebookなど)のアカウントが自動的に大量のフェイクニュースを投稿し、ウクライナ紛争におけるロシアの介入実態を欺瞞したり、米国大統領選でクリントン陣営に不利な情報を拡散したことは有名です。
これに対して近年ではSNS企業の対策が進み、最近ではTwitterがロシアと関連のあるbotアカウントを大量に閉鎖したことが報じられています。ところがシンポジウムにおける報告では、ロシアの情報選がその裏をかくようになっていることが報告されました。つまり、AIによって人間とそっくりの受け答えをするbotが出現し、管理者から見ても本物の人間なのかbotなのか区別がつきにくくなっているわけです。
今後、AIがさらに進化していけばbotの判別はいっそう困難になることが予想され、ロシアの情報戦を巡る対策は新たな段階に入りつつあると言えるでしょう。
●地下に潜るフェイクニュース
もう1つ、興味を引いたのは、情報戦の「主戦場」が表面的には把握しにくい場所に移行しつつあるという報告でした。
botにせよ、人間によるトロール(いわゆるネット工作員)にせよ、従来は誰にでも見られる場所でフェイクニュースを拡散していました。それだけに外形的な把握が容易でしたが、近年の情報戦ではメッセンジャーアプリやゲームユーザーのフォーラムなど、一定の関係性の下でフェイクニュースが拡散される傾向があると言います。
言うなればフェイクニュースの「地下化」であり、botの「人間化」と併せて実態把握はいっそう困難になっていきそうです。
●情報戦にどう対抗するか
情報戦の高度化への対処についても多くの報告がありました。
いくつかの報告に共通していたのは、「レッドチーム」を作って情報戦対策を平素から実施することの重要性です。例えばある報告では、国防省内に情報戦を模擬する仮想敵チームを実際に編成し、自国の軍人を対象として個人情報の収集やフェイクニュースの拡散を実際にやって見た様子が披露されました。
FacebookやTwitterに魅力的な女性の顔写真を使った偽アカウントを作成し、友達申請などをかけてみると、現役の軍人たちが大量に「釣れた」とのこと。こうなると軍人たちは日々の訓練の様子や勤務への愚痴などを偽アカウントに垂れ流すことになり、格好の情報戦の標的とされてしまいます。
こうした問題はむしろロシア軍で顕著ですが、自衛隊を含めた西側諸国の軍隊でも他人事ではないでしょう。
また、ウクライナからは、ロシアのSNSを国内でアクセス禁止とした事例が紹介されました。ロシアにはVK(フ・コンタクチェ)やアドナクラスニキ(同窓生)といった有力SNSが存在し、ウクライナでも人気を博していましたが、ウクライナ政府は2017年4月にこれらのサービスに対するアクセスを全面禁止しました。
この結果、ウクライナではVKユーザーが370万人、アドナクラスニキのユーザは260万人減少し、代わりにFacebookユーザーが220万人増加したとのこと。中国では逆にFacebookやTwitterが禁止されていることは有名ですが、やがて自由世界と権威主義体制の間でインターネット空間も分断されていくのかもしれません。
●ヤクザで夕食を
リガでは初日の夕食を「ヤクザ」でとりました。ラトヴィアで展開しているアジア料理のチェーンですが、それにしてもすごい名前です。ちょっと内気そうなウエイターに「なぜヤクザなんですか」と聞いてみましたが、「聞いてきます」と奥に引っ込んだ後、「よくわかりません」と答えにきました。
このようにラトヴィアの人々は割にシャイなようで、翌日NATOストラトコムCOEの所長と面談した際にも「ラトヴィア人はおとなしい民族なので、ロシアの情報戦によって街頭デモなどを扇動される恐れは低い」とのお話がありました。
他方、ラトヴィアにおけるラトヴィア人人口は62%というところで、ロシア系住民が25%もいます。こうしたロシア系住民がロシアによって扇動される恐れはないのかと質問してみると、確かにロシアはそうしたことをもくろんでいるが、ロシア系住民の統合は徐々に進んでおり、最近では流石にそこまで危機的な分断は生じていないとのこと。
むしろ脅威なのは、ロシアの情報戦がある問題に対して強い感情を引き起こすというより、冷笑的な態度を広げている点だということでした。要するに民主的な価値や国民統合に対して諦めの気持ちを醸成するような情報戦であるということです。
●「占領」
リガの街をぶらついていると、「占領博物館」という建物に出会ったので足を踏み入れてみました。ロシア帝国からの独立後、四半世紀を経ずして再びソ連に併合されたことをラトヴィア政府は認めておらず、あくまでも「占領」と位置付けているわけです。
これは本メルマガ第3号(2018年9月7日)でも取り上げたグルジアの場合と同じです。
博物館を出てリガを歩いていると、確かにこの美しい街がソ連式のそっけないコンクリートのインフラで覆われていくのは民族的に耐え難い光景だったのだろうという気持ちが湧いてきました。
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【今週のニュース】2018年のロシア軍総括会議開催される
・ロシア国防省の1年間の活動を総括する国防省拡大幹部評議会が開催された。この報告によると、2018年にロシア軍では1万8000回の演習及び訓練が実施されたほか、装備近代化率が以下の水準に達した。
戦略核戦力:82%
陸軍:48.3%
航空宇宙軍:74%(うち、空軍64%)
海軍:62.3%
空挺部隊:63.7%
2019年の主要な装備調達の見通しは次の通り。
戦略ロケット部隊:ヤルスICBM及びアヴァンガルド極超音速飛翔体の発射装置
航空宇宙軍:近代化改修されたTu-95MS爆撃機4機、S-400防空システム2個連隊、S-350ヴィーチャジ防空システム1個コンプレクス、パンツィリ短距離防空システム7個大隊、航空機の新規調達及び近代化改修143機
海軍:戦闘艦艇及び艦船12隻、潜水艦2隻、支援艦12隻、バール及びバスチョン地対艦ミサイル4個コンプレクス
陸軍:装甲車両719両、イスカンデル-M戦術ミサイルシステム1個旅団、S-300V4及びブーク-M3防空システム計2個旅団
一方、契約軍人の数や常時即応部隊の人員充足率は2017年に引き続いて公表されなかった。
【編集後記】いよいよ押し詰まってまいりました
バルトから帰国してみると娘が帯状疱疹で入院という突発事態が発生し、バタバタした一週間でした。あちこちに原稿仕事のキャンセルをお願いしたりしてご迷惑をおかけしましたが、どうやら月曜日には退院できるとのことで、両親ともに胸をなで下ろしているところです。子育てっていろんなことが起きますね。
さて、気づいてみると今年も残すところ10日となり、いろいろなことが押し詰まってきました。来年はいよいよ2010年代最後の1年であり、平成に続く新たな年号の時代がやってきます。
僕は1982年生まれなので、「前世紀生まれにして前の前の年号生まれ」とリャンハンがつくことになります。思い返してみれば2001年の米国同時多発テロやロシアによるクリミア併合といった重大事件を(テレビ越しにではありますが)目撃している世代なわけで、いつの間にか歴史の生き証人になってしまいました。お年寄りもこうしてお年寄りになっていったんですね。
次号は2018年最後のメルマガをお送りいたします。ちょっとした歳末感謝プレゼント(というほどのものでもないのですが)をご用意していますので、どうぞお楽しみに。
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