第12号(2018年11月9日) ロシアは不凍港を求めている?
【質問箱】ロシア は不凍港を求めている?
ご質問ありがとうございます。
まず、前提条件として、現在のロシアにとって不凍港がどれだけ重視されているのかを確認しておきましょう。
たしかに過去のロシアは不凍港を求めて南下政策を取りましたが、これが現在のロシアにも当てはまるかどうかは別です。そこでロシアの安全保障政策の基礎となる『ロシア連邦国家安全保障政策』、『ロシア連邦軍事ドクトリン』、『ロシア連邦海洋ドクトリン』といった諸文書を紐解いてみると、「不凍港」という言葉は全く出てきません。
過去にプーチン大統領が行った主要な演説でも同様です。プーチン大統領の膨大な言説全てを分析することは不可能ですが、少なくとも重要な演説に繰り返し登場するような、優先的国家目標でないことは明らかでしょう。
そもそも現在のロシアはノヴォロシースクやカリーニングラードをはじめとする不凍港を複数有している上、海運に大きく頼った国家ではありません。少し古いデータですが、ロシアの連邦統計庁が取りまとめた2009年の数字によると、輸送手段別の貨物輸送は次のとおりとされています。
このように、ロシアの貨物輸送は自動車輸送が圧倒的であり、鉄道とパイプライン輸送が続くという構図です。海運は3700万トンに過ぎず、大陸国家ロシアのライフラインとしては微々たる割合を占めるに過ぎません。2014年にクリミア半島を併合し、セヴァストーポリ港を手に入れたことで多少変化はあるかもしれませんが、大きな構図は現在もこのままと考えてよいと思われます。
旅客輸送については2010年までのデータも公開されていますが、こちらでは鉄道(1390億人・km)と自動車(1400億6000万人・km)、航空機(1471億人・km)と陸上輸送と航空輸送が圧倒的であり、海上旅客輸送は600万人・kmに留まっています。
というわけで、ロシアが不凍港を求めているという構図は、政策的にも輸送の実態から言ってもほぼ否定できると言えるでしょう。
北方領土自体に目を向けてみると、「クリル諸島社会経済発展計画」によって国後島と択捉島にはそれなりの規模を有する港湾施設が整備されましたが、これが現にロシアの物流ハブとして機能しているとは言えない状況です。私は2013年と2018年に両島を訪問していますが、いずれも大型船が接岸できる埠頭は一本だけで、停泊しているのも生活物資を運び込む貨物線や漁船ばかりでした。
北方領土が極東の不凍港としてどれだけの潜在力を持っているのかは物流の専門家の意見を仰ぎたいところですが、現状ではそのような使い方はされておらず、また「クリル諸島社会経済発展計画」でもそのような想定はなされていません(ただしアジア太平洋地域への近接性が指摘されていることから、地理的な優位性は認識されています)。
国後島の古釜布港に入港していた貨物船と海岸の風景
(2018年7月、筆写撮影)
そこで注目されるのは、質問の第2点、すなわち軍事的価値です。
これについてはあちこちで指摘されているので繰り返しになりますが、北方領土はオホーツク海を扼する天然の要害と呼ぶべき地位を占めています。オホーツク海は太平洋艦隊に所属する弾道ミサイル原潜(SSBN)のパトロール海域であり、ロシアの核抑止力を担う戦略的重要海域ですから、その意義は軍事的に極めて大きいと言えるでしょう。
実際、ソ連は1950年代に北方領土から地上部隊を撤退させ、しばらくは戦闘機部隊だけが配備されていましたが、1970年代に入ってから陸軍の第18機関銃・砲兵師団と海軍の地対艦ミサイル部隊が改めて配備されました。これはソ連がカムチャッカ半島にSSBNを配備した時期と一致しています。
このように考えると、北方領土駐留ソ連軍(のちにロシア軍)とは、島そのものを守るというよりもオホーツク海を守る兵力であると言えそうです。
加えてカムチャッカ半島のペトロパヴロフスク・カムチャツキー周辺にあるロシアの原潜基地は陸上交通によってロシア本土にアクセスすることができず、基地の兵站は千島列島を通過する海上輸送に頼っています(この意味では、海上輸送量の少なさはそのまま海上輸送の重要性の低さにつながらないとも言えます)。
冬季には千島列島の大部分が氷結することを考えると、もっとも南に位置する国後水道の持つ戦略的意義はたしかに小さくないと言えるでしょう。
現在の北方領土における軍事力配備ついて少し述べておくと、第18機関銃・砲兵師団は色丹島から撤退し、現在は国後・択捉の両島のみに配備されています。兵力も大幅に減少しており、師団とは言いながら兵力は3000人程度であると考えられます(これについてはYahoo!ニュース個人の拙稿を参照)。
その一方、ロシアは2016年までに国後島に3K60バール地対艦ミサイル(射程130km)を、択捉島に3KK55バスチョンP地対艦ミサイル(射程300km)を配備したほか、今年夏には択捉島にSu-35S戦闘機とSu-25攻撃機が配備されました。
択捉島のバスチョンPは従来から配備されていたレドゥートの代替ですが、国後島に地対艦ミサイルが配備されるのは知られている限りこれが初めてであり、戦闘機の配備は1993年以来、四半世紀ぶりです。北方領土の軍事力は数的にというより、質的に強化されつつあると言えるでしょう。
一方、歯舞及び色丹にはロシア軍は配備されておらず、仮に日本に返還されたとしても、北方領土の7%を占めるに過ぎない両島の面積では大規模な軍事力を展開させることはもとより不可能でしょう。ただ、歯舞・色丹周辺の海域は北方領土周辺海域のおよそ2割を占めることから、返還されれば日米が軍事活動を行う余地は広がります。
現状では日本のOP-3Cが北海道付近の境界線ギリギリからSLAR(側方監視画像レーダー)で北方領土の偵察・監視を行っているとされますが、これが歯舞・色丹上空まで進出できればより詳細な情報収集を行うことも期待できそうです。もっとも択捉島に少数(3機)とはいえ戦闘機が配備されたことは、こうした偵察・監視活動への有効な牽制手段になると見込まれます。
ただ、今後の日露交渉において気をつけなければならないのは、こうした軍事上の価値をどこまで真剣に考慮するかでしょう。ロシアの安全保障コミュニティが核戦略上、オホーツク海を非常に重視していること自体は事実でしょうし、安全保障の問題を抜きにして北方領土問題が進展するとは考え難いものがあります。
他方において、一国の対外政策は、軍事の論理のみによって決定されるというものでもないはずです。こうした軍事面の思惑に、経済や外交といった要素を加味して「政策」にするのが政治の役割であって、軍事の論理をそのまま持ち出してくる場合には交渉上のチップと見た方がよいでしょう。
通常、領土問題に強硬なのは保守派ですが、軍事の論理にもっとも理解があるのもまた、保守派です。それゆえに、ロシアが軍事の論理を持ち出すと保守派ほど同情的な姿勢を示すという一種の転倒現象が見られるわけですが、ここはもう少ししたたかになってもいいのではないでしょうか。
【今週のニュース】2018年から2018年までのロシア軍改革の成果
・11月6日、ロシア軍の機関紙『赤い星』は、2012年から2018年におけるロシア軍の改革の成果について報じた。2012年にプーチン大統領が発出した一連の中期政策目標に基づいて策定された「2020年までの国防省行動計画」の中間成果報告と位置付けられるものである。内容は多岐にわたるが、ここでは装備更新の進展に絞って紹介したい。以下は2012年と2018年における「近代的装備」の保有率を比較したものである。
このほか、精密誘導巡航ミサイルの数は30倍、それらを搭載する陸上・空中・海洋配備プラットフォームの数は12倍に増加したほか、装備品の稼働率は47%から94%に増加したとされている。
【NEW BOOKS】Russian Military Reforms from Georgia to Syria
・Anton Lavrov, Russian Military Reforms from Georgia to Syria, CSIS, 2018.
CISIからロシア軍の改革に関する新たな報告書が出ました。著者のアントン・ラヴロフはこれまでにもロシアの軍事シンクタンクである戦略・技術分析センター(CAST)からロシア軍に関する詳細な分析を発表してきた人物。ロシア軍改革というテーマは、2008年から改革を牽引してきたセルジュコフ国防相の失脚以来下火になっていましたが、シリア作戦におけるロシア軍のパフォーマンスを踏まえた新たな分析となっています。
ちなみにラヴロフはロシア軍改革を概ね肯定的に評価しつつも、長距離パワープロジェクション能力の欠如を指摘していますが、この辺が新たな装備計画の中でどのように改善されていくのか(あるいは行かないのか)は本メルマガでもウォッチしていきたいと思います。
【編集後記】秋風と腹肉
気づくと11月も9日になっていまして、時間が経つのが早いというか時間の経過に鈍感になったというか(たぶん後者)。ぼんやりしていると何もできずに一年が終わっていきますね。
分厚くなる一方の腹部増加装甲(腹肉)対策として今年の春から始めたジム通いですが、夏にちょっとサボったものの、最近また再開しました。まぁそうすぐに成果が出るものでもないのですが、自己満足にはなっていて、ちょっとした自己肯定感にもつながります。
しかしジム通いを再開すると「ちょっとくらい食べても大丈夫」という悪魔の誘惑が首をもたげ、酒を飲んだ後についラーメンを食べてしまいます。この前は有楽町で飲んだ帰りにラーメンの屋台に遭遇し、「こういうのもいつまでもあるもんじゃないしな」というよくわからないエクスキューズでラーメンを食べてしまいました。
秋風に吹かれて食べるぬるいラーメンが酔ざめにまたたまらなくうまいのです(なお増加する腹肉)。
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