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第133号(2021年6月14日) ナワリヌイの乱総括、北極に戦闘機配備、太平洋艦隊大演習
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【インサイト】ナワリヌイの乱とは何だったのか
2021年のロシアは、ナワリヌイの乱で幕を開けました。
昨年8月、ロシア当局に毒を盛られて意識不明となり、ドイツで治療を続けていた反体制活動家ナワリヌイがロシアに帰国して以降の一連の出来事です。
今年1月17日、モスクワのシェレメチェヴォ空港に降り立ったナワリヌイはその場で治安当局に拘束され、ロシア全土ではこれに抗議するデモが繰り広げられることになりました。20年に及ぶプーチン大統領の統治期間を見渡してもこれだけ大規模なデモが勃発した例はそう多くなく、それゆえに日本を含めた世界各国ではこの事件の行方に注目が集まりました。
ただ、結論からいえば、ナワリヌイの乱は今年春までにほぼ終息し、プーチン政権を根底から脅かすような広がりは持ちませんでした。
ナワリヌイ革命はなぜ成功しなかったのか。久しぶりにモスクワ在住国際政治アナリストの村上大空さんに解説を願いたいと思います。
村上大空
『プーチン政権のアキレス腱?ナワリヌイの乱とは何だったのか(前編)』
こんにちは。ほぼ10か月振りの在モスクワ国際政治アナリストの村上大空です。
今年6月8日、世界の20以上のNGO団体が共催する「人権と民主主義のためのジュネーブ・サミット (Geneva’s Summit for Human Rights and Democracy)」において、ロシアの反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイに「勇気賞 (Courage Award)」が授与されました。今回はこれにちなんで、ナワリヌイの活動を振り返ろうと思います。第一回目では今年のデモが起きる以前の話を取り扱い、第二回目ではデモが起こった後について取り上げる予定です。
●そもそもナワリヌイって何者?
1976年生まれのアレクセイ・ナワリヌイはロシアで最も有力な反政権活動家である。2000年にロシアの野党「ヤブロコ」の党員となったが、2007年に同党を除名された。除名の理由を巡って、ヤブロコ側は、彼のナショナリステックな政治活動により党に政治的なダメージを負わせたことを理由としているが、ナワリヌイは党の創立者であるグリゴリー・ヤブリンスキーの辞任を求めたことが本当の理由だと発言している。
党を離れたナワリヌイは個人として政治活動を始め、警察の悪事や政府の汚職を追求し、プーチン批判をしていくようになる。ブログを通して情報発信をしながら、反政府デモを呼び掛けていたことから、ロシアにおいて「ブロガーは政治活動家」というイメージを定着させ、国外のメディアでも注目されるようになっていく。
2011年には反汚職基金を設立。このころのインタビューで使った「泥棒と詐欺師の党」という与党の統一ロシアに対する別称は、メディアやロシア政治に関する文献で広く使われるようになった。同年12月の下院選挙の直後、選挙の不正行為があったという非難の声が上がり、6000人程が参加するデモに発展。300人程が拘束され、参加していたナワリヌイも禁固15日の判決が言い渡された。
釈放後、ナワリヌイの政治活動は止まることなく、2012年に大統領選挙で首相から大統領に戻ろうとしているプーチンに対して結束をよびかけ、2011年末にある報道では「5万人が参加した」とされるデモに発展させた。
こうした経緯もあり、ナワリヌイの活動に対して、ロシア当局は締め付けを強めていったが、同氏は屈することなく活動を続けた。2017年にはメドベージェフ前首相に贈られた、とされる別荘をドローンで撮影した動画を公開。翌年の大統領選に出馬を試みるが、有罪判決を理由に立候補は無効とされ、大統領選のボイコットを呼びかけるようになる。この頃のナワリヌイは政治の周辺人物にすぎず、彼の活動は外国メディアで報じられる程度であった。
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