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第3号(2018年9月7日)グルジア見聞録
存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。
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【見聞録】グルジア見聞録
●グルジアという国
科研費の出張で旧ソ連のグルジア(ジョージア)に行ってきました。
滞在わずか3日という弾丸出張だったのですが、私としても初めての訪問であり、読者の皆さんにとっても興味深いのではないかと思い、今回はグルジア見聞録をお届けしたいと思います。
グルジアは地理的に南カフカス(南コーカサス)に位置する国で、西で黒海に面し、北はロシア、東はアルメニア、南はトルコに囲まれています。面積は6万9700平方kmと日本の2割弱、人口はわずか370万人強というこじんまりした国です。
今回はモスクワで飛行機を乗り継いでグルジア東部の首都トビリシを訪問したのですが、途中の機内からは雄大なカフカス山脈を望むことができました。市内も丘が多く、真っ平らなモスクワを見慣れている身からするとエキゾチックなようでもあり、日本人としてはなんとなく親しみの感じられる風景でもありました。市内には古くからの温泉地もあって、この意味でもなかなか日本人好みな国であるように思います。
●ロシアとの複雑な関係
ちょうど10年前の2008年8月、グルジアとロシアの間で戦争が発生しました。分離独立地域化していた南オセチアでグルジア軍と現地武装勢力との戦闘が発生し、これに対してロシア軍が南オセチア及びアブハジア(もうひとつの分離独立地域)に大軍を送り込んだことで、軍事的にはほぼロシアの完勝に終わった戦争です。
ところがトビリシ市内や古都ムツヘタを歩いてみると、おびただしい数のロシア人観光客であふれていることに驚かされました。市内でもグルジア語に並んでロシア語の表記が非常に多く、店員や警察官ともロシア語でコミュニケーションが取れます。わずか10年前に戦い、今も国土の少なからぬ領域が占領されているとは思えない光景で、非常に意外でした。
産業の乏しいグルジアとしては、名産品のワインやミネラルウォーターの対露輸出、ロシアへの出稼ぎ、ロシア人観光客などに頼らざるを得ず、戦争があったと言っても簡単に切れる関係ではないようです。今回は主にグルジア外務省の当局者と会議を行ったのですが、その際に出た話によると、ワインの輸出は3割がロシア向け、別の3割が中国向けで、残りがその他の国向けであるということでした。ロシア人観光客にとっても、ロシア語が通じて物価が安く、なおかつエキゾチックなグルジアは手軽な観光地であるようです。
もっとも、現在も南オセチアとアブハジアはロシアによる軍事占領の下にあり(ロシアは両国を独立国としていますが国際的にはほぼ未承認)、グルジアの人々の中にはロシアへのわだかまりは確実にあります。今回、パソコンの充電器を忘れてしまったので電気屋を探して市内を歩いてみたのですが、あるバーのガラス扉には英語で「我が国の20%はロシアに占領されています」という文字がマーカーで大書きされているのを目にしました。
また、博物館に行ってみると、ソ連時代に関する展示は「ソ連による占領」と位置付けられています。旧ソ連のバルト三国も、自主的にソ連に加入したわけではないということであくまでも「占領」としていますが、グルジアも同様であるわけです。
なお、日本の外務省は2015年からグルジアの国名をジョージアに変更しています。グルジア語では自国をサカルトヴェロと呼んでいますが、英語名ではGeorgiaと表記しており、諸外国にもこれに倣うよう求めていることに日本側が合意した結果です。グルジアの名称も古くから用いられてきたものではありますが、ソ連時代の公用語であったロシア語での呼び名はグルジヤ(Грузия)なので、「グルジア」と呼ばれることにはおもしろくない思いが強いようです(と言いつつ筆者は古い人間なのでつい「グルジア」を使ってしまうのですが)。
●「西側」への渇望
一方、市内ではグルジア国旗と並んでEU旗が掲げられている光景を頻繁に目にしました。もちろんグルジアはEU加盟国ではないのですが、外交政策としてはEUへの加盟を目指しており、近年ではビザ免除協定なども結んでいます。ロシアの勢力圏である「グルジア」から独立した「ジョージア」となり、豊かな西欧への仲間入りをしたいという切実な願いがEU旗という形になって現れていると言えるでしょう。
安全保障面ではNATOへの加盟が強く志向されています。グルジア外務省の当局者からも、安全保障政策の最優先課題はNATO加盟であり、続いて紛争地帯の停戦ライン(グルジア側は「占領ライン」であると強調)監視などでEUやOSCEとの協力が行われている旨が繰り返し表明されました。
とはいえ、EUにせよNATOにせよ、グルジアが短期的に加盟できる見込みは低いと言わざるを得ません。依然としてグルジアは貧しく、政治的コンプライアンスにも問題を抱えた国であり、国土をロシアに占領されてもいます。「西側」としてはこのような国を自らの内部に抱え込むのは躊躇されるところですし、ロシアにしてみれば占領を続けることでグルジアの「西側」入りを阻止できるということになります。
●中国の影
トビリシやムツヘタを歩いてみてもうひとつ印象に残ったことは、中国人観光客の姿を全く見なかったことでした。
今やモスクワは中国人観光客で溢れかえっており、標識も英語と並んで中国語の表記が標準となっていますが、トビリシではこうした様子が見られません。非常に趣のあるトビリシの町並みなどは中国人観光客にも魅力的だと思うのですが、まだ「発掘」されていないのでしょう。
ただ、中央アジアからカスピ海へ抜けて黒海へ出るルート上に当たるグルジアは地政学的に重要な位置にあり、産業の乏しいグルジアにとっても「ゲートウェイ国家」となることは非常に重要な国家目標とされています(グルジア外務省政府の説明)。このため、すでに中国資本は港湾や観光地の開発に参入し始めており、トビリシが中国人観光客で溢れかえる日もそう遠くはないのかもしれません。
では、安全保障面ではどうか?中央アジアやベラルーシなどは中国製兵器の導入をすでに開始し、安全保障をロシアだけに頼らない体制づくりを始めていますが、グルジアにはこうしたオプションはないのでしょうか。この点をグルジア外務省にぶつけてみると、「それは今のところ我々のオプションではない。安全保障協力はあくまでもNATOとやっていく」という答えでしたが、果たしてこの通りになるかどうか、今後を注視していきたいと思います。
【今週のニュース】ロシア軍極東大演習 北方領土では演習せず?
・極東で実施される大演習「ヴォストーク2018」の詳細が公表された。参加人員は29万7000人とソ連時代の「ザーパド81」以来の大演習となり、このほかに戦車その他の装甲戦闘車両3万6000両、航空機1000機以上、艦船80隻以内が動員される。ただしゲラシモフ参謀総長は日本人記者からの質問に対し、北方領土は演習エリアに入らないと発言(TASS、9月6日)
・ロシア海軍の最新鋭フリゲート22350型は2019年に2番艦を引渡し予定。続く3番艦は2021年、4番艦は2022年に引渡しの予定。北方造船所のポノマリョフ社長が発言(RIAノーヴォスチ、9月5日)
・アゼルバイジャンがロシアから50億ドル分の武器購入で合意(ズヴェズダー、9月1日)
・ロシア戦略ロケット部隊(RVSN)が新型重ICBM RS-28サルマートと極超音速機動弾頭アヴァンガルドの運用要員訓練を開始(TASS、8月31日)
・ロシア軍が地中海で大規模演習を開始。海軍及び航空宇宙軍の艦艇26隻及び航空機34隻を動員
【NEW BOOKS】グルジア戦争10周年特集
グルジア戦争10周年ということで、8月には多くの記事やレポートが出ました。以下にその一部をご紹介したいと思います。
・Eugene Chausovsky, “Looking Back on the Russian-Georgian War, 10 Years Later,” Stratfor, 2018.8.7.
・Condoleezza Rice, “Russia invaded Georgia 10 years ago. Don’t say America didn’t respond,” The Washington Post, 2018.8.8.
・Amanda Paul and Ana Andguladze, 10 years after Bucharest: Why NATO should double-down on Georgian membership. 2018.7.3.
このうち興味深いのは、2番目に挙げた“Russia invaded Georgia 10 years ago. Don’t say America didn’t respond”でしょう。当時、ブッシュ政権で国家安全保障問題担当補佐官を務めたコンドリーザ・ライスによるグルジア戦争の回顧であり、当時の米国のスタンスがよくわかります。当事者による回顧なので割り引いて考える必要はありますが、10年経つとこういう証言も出てくるのが米国の面白いところです。
【編集後記】トビリシの地下街
今回は「見聞録」としてグルジア訪問記をお届けしました。
この数年、海外出張の機会がやたらに増えており、せっかくなので今後もその成果を皆様と共有していきたいと思います。
実は今回、愛機MacBook Airの充電器をなくしてしまい(鞄が開きっぱなしで機内の荷物入れの中に転がり落ちたのを見落としてしまったようです)、電気屋を探してトビリシの街中をうろつき回ったのがなかなかいい経験でした。
Google Mapで探した電気屋はどこも全滅だったので、地下歩道内の商店街に飛び込んでみました。旧ソ連の都市は道路を横断する地下歩道(ペレホート)が整備されているところが多く、ソ連崩壊後はここにプレハブのキオスクを並べてありとあらゆるものが売られています。食品から衣服、化粧品まで、生活用品は大体揃う地下商店街で、最近のモスクワではあまり見なくなりましたが、トビリシではまだまだ健在でした。
こうして訪ね歩いた何軒目かの店は、地元のお兄さんたちがたむろしているちょっと雰囲気のよくない店ですが、思い切って飛び込んでみるとやはり「うちにはないね」との返事。ところが後から一人のお兄さんが追いかけてきて、「ちょっとついて来な」と別の店に案内されました。
ロータリー状の地下街を奥へ奥へと進んでいくと、携帯電話の剥き出しの基盤を何台も並べたジャンク屋のような店が現れました。髭面の店員ボソ(ただし「ボブと呼んでくれ」というので以下、ボブ)が言うには「今はないけど、明日ならあるよ」とのこと。半信半疑で翌日再訪してみると、ボブは型番を調べてどこかへ電話を掛け、「中国製のパチモンと正規品どっちがいい?」。ここで壊れては困るので正規品をというと、今度は「夕方には入荷する」と言います。
どうも適当なことを言っているんじゃないかという疑念を抱きつつ夕食の後に行ってみたところ、新品の充電器がちゃんと届いていました。値段は25ラリ(約1100円)で異常に安いのでやはりパチモンだったのではと今にして思いますが、充電自体はちゃんとでき、大助かりでした。
別れ際、ボブから「一緒に商売しようぜ。日本から電気製品を輸入して俺が売るよ」と冗談を言われました。
現地の事情を知る人からすれば旅行者がカモになった話なのかもしれませんが、旅はこういう出会いが楽しいものです。地下街の生活感溢れる商店街も慣れてくるとなかなかいい雰囲気でした。
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小泉悠(軍事アナリスト)
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