第142号(2021年8月23日) ハイブリッド戦争としての対テロ戦 トルコにS-400追加供給?ほか
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【インサイト】ハイブリッド戦争としてのロシアの「対テロ戦レジーム」
今週はロシアの軍装品収集、特殊部隊研究、くまもんファンとして有名なCRS@VDVさん(Twitterアカウントは@CRSVDV)から外部寄稿を頂きました。
住宅街で機関銃を発砲したりと何かと派手なイメージがあるロシアの対テロ作戦ですが、何故あんなことが可能なのか、を「対テロ戦レジーム」という法的観点から考察したものです。
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CRS@VDV「ロシアの「対テロ作戦レジーム」について」
対テロ作戦レジームの概要
2006年2月、ロシアではテロ対策の調整機関として「国家反テロ委員会(NAK)」が発足した。NAKの委員長はFSB 長官が兼任すると規定されており、FSB は国家的なテロ対策の中心と位置つけられている事になる。
NAKの公式サイトが面白いのは、これまで実施された対テロ作戦の概要がまとめられていることである。例えば2020年5月30日にイングーシ共和国で行われた対テロ作戦についての記述は以下のようなものである。
「イングーシでは武装し抵抗した盗賊が排除された」2020/5/30
本日、イングーシ共和国での特殊作戦の過程で、治安機関は武装した盗賊グループがスンザ郊外のある建物にいると情報を得た。彼らがテロ行為を行うのを防ぎ、市民の安全を確保するために、ロシア連邦保安庁の共和国の責任局長は、対テロ作戦を実施し、適切な法的体制を導入することを決定した。この建物の周囲は封鎖された。
建物の中にいた盗賊達は、武器を捨てて当局に投降するように求められた。
盗賊達は法執行機関職員に発砲し、銃撃戦となり、二人の盗賊が排除された。
戦闘現場では、武器・弾薬・即席爆発装置等が発見された。現場での捜査は現在も継続中である。情報によれば排除された盗賊の身元が確認されており、共和国で多くのテロ行為を計画していたようである。法執行機関職員や民間人の死傷者は報告されていない。
現在必要な捜査活動が行われている。
ここでは、「適切な法的体制」という言葉に注目したい。
つまり対テロ作戦を実施する場合は特別の法体系が導入されるということなのだが、これは如何なるものなのか?
この点については、2006年連邦法第35 号「テロ対策について」第11条「対テロ作戦法レジーム」に詳細が規定されているので、以下、その中身を紹介したい。なお、翻訳は溝口修平「ロシアのテロリズム対策」 (『外国の立法』No. 228, 2006.5, pp. 145-152)に拠った。
対テロ作戦実施地域では、対テロ作戦法レジーム(以下「法レジーム」とする。)が導入される場合がある。法レジーム導入地域では、以下の措置及び一時的制限が行われる。
1. 身分証明書の検査。身分証明書がない場合、確認のための内務省(その他の管轄機関)への移送
2. 特定の場所・施設からの退去強制及び輸送手段の撤去
3. 社会秩序、国家保護に属するもの、住民の生活基盤や輸送機能を提供しているもの、又は物理的・歴史的・科学的・芸術的もしくは文化的に特別な価値のあるものの保護の強化
4. 電話による通話その他の電子コミュニケーションシステムを通じて交わされる情報の
統制。テロ行為を行う状況及びテロ行為を準備し実行する人物に関する情報の収集並びにテロ行為の予防のための、電子通信網及び郵便の捜索
5. 緊急の場合における、あらゆる組織が所有する輸送手段(外交代表・領事その他外国のもの、国際機関のものを除く)の利用。応急手当が必要な人の医療施設への運搬、テロ行為を行った疑いのある人の追跡(その遅れが人命の脅威となりうる場合)のための、個人の所有する輸送手段の利用
6. 危険物の生産活動並びに爆発・放射能・化学及び生物学的に危険な物質を使用している組織の活動停止
7. 法人及び自然人への通信サービスの停止、又は通信網・通信手段の利用制限
8. 法レジーム導入地域に居住している自然人の安全な地域への一時的移住
9. 検疫、衛生予防措置の実施
10. 輸送手段や歩行者の通行制限
11. 住居その他の自然人の所有する建物及び土地への、対テロ作戦担当者の無制限の立入り。あらゆる組織の所有する領域及び建物への無制限の立入り。
12. 法レジーム導入地域への進入及びそこからの退出に際し、通過する人、輸送手段及び
その荷物の検査
13. 武器、弾薬、爆発物、特殊薬品及び有毒物質の売買の制限又は禁止。麻薬、向精神薬などを含む医薬品の特別流通レジームの形成
このように、対テロ作戦法レジームは、FSBによる一種の戒厳令である。
発令中は作戦地域の封鎖が行われ、施設に対する立入り制限、移動手段・通信手段の制限、当局による身分証明証の検査や私有地への無制限の立入りに加えて、住民を強制的に避難させることが可能となる。
地元住民を退避させずに作戦を行えば、民間人を巻き添えにしたとして批判されることになるし、テロリスト側にしてみれば住民を敢えて巻き添えにすることで当局への批判的世論を高められるという計算が働いてしまうからであろう。
実際、NAKが公表している映像を見ても、対テロ作戦の開始前には住民避難を行なっている様子が確認できる。
なぜ建物を破壊するのか?
また、NAKの公表している映像を見ると、ロシア式の対テロ作戦は、イスラム教過激派メンバーが立てこもった建物を徹底的に破壊した後に、重装備の特殊部隊員が建物を捜索するという順序で行われるケースがほとんどである。
これについて、筆者は次のように推測している。
1) 対テロ戦レジームの規定により、周辺の民間人は退避済みであるので、重火器や装甲車の使用が容易である、かつ周辺の家屋への無制限の立ち入りが認められているので当局側は包囲戦が容易に行える。
2) 当局側による攻撃開始前には、イスラム教過激派メンバーに対して投降勧告を行っている。人質がいた場合には、親族や宗教指導者等による人質解放交渉が行われる。例えば2014年1月2日の作戦では、人質の中に幼い子供がいることが判明し、親族による交渉の末に解放された。
ただ、交渉にとって人質が解放されたとしても、テロリスト自身は殉教者となることを目的としているため、最後まで武装抵抗することを選択し当局に向けて発砲することが多い。これにより当局は投降勧告を拒絶したと判断し、応戦が行える根拠としている。
3) テロリストは死なば諸共の精神で法執行機関の職員を道連れにする覚悟である。当局としては、対テロ戦レジームによって民間人を退避させて仕舞えば、わざわざ危険極まりない近接屋内戦闘を行うメリットが無い。
そこでよく使われる作戦は、テロリストが立て篭もった建物を重火器で徹底的に破壊し、更には火災を意図的に発生させて焼死・窒息死させるというものである(生き残りがいた場合は重装備の隊員を突入させて掃討する)。
4) 対テロ戦レジームにより、報道機関は作戦地域からシャットアウトされている。従って、少々手荒なことをしてもマスコミの非難を浴びる可能性は低く、当局が撮影した都合のいい映像だけを報道機関に提供すればよいことになる。
ただ、当局提供の映像は作戦の様子を残虐なシーンも含めてかなりありのままに描写していることが多い。これは現地住民やイスラム教過激派組織に対して当局の断固たるメッセージを伝えるためであろう。
現地住民に対する当局のメッセージは「警告」である。過激派メンバーを匿えば、家屋は破壊され、周辺地域も多大の損害を被ることになる。一方、過激派に対するメッセージは、抵抗は無意味であり、惨めな最後を遂げることになるという「通告」であると考えられよう。
(ただし、2021年3月11日の作戦に見られるように、対テロ作戦レジームが発動されても家屋破壊が行われず、防弾シールドを装備した特殊部隊員が突入して解決が図られる場合もある。この辺はケース・バイ・ケースであるようだ)
民間人の被害に関する報道
対テロ戦レジームが発動された場合、現場でのマスコミの報道管制が行われている為、対テロ作戦で生じた家屋の詳細な被害は報じられない。
ただ、国際的な人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が2013年と2014年に行なった調査は、その実態を伝えるものとして貴重である。
これによると、対テロ作戦レジームが発動されて村から人々が退避すると、家屋は作戦によって破壊される場合が多い。
また、住民がいないことをいいことに当局の職員によって屋内が略奪された痕跡があったり、爆発物がありそうだと見做された家が丸ごと爆破処理されたケースみあった。
一方、作戦によって受けた損害に対する補償は少額に過ぎず、しかも支給が遅延するケースがあると報告されている。
このように、対テロ作戦レジームの施行地域では重大な人権侵害が報告されているが、ロシアのメディアでは殆ど報じられない。対テロ作戦の実際に関する報道管制が続く限り、ロシア当局は住民の強制避難と家屋破壊による強権的なテロ対策を継続していくだろう。
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以前のメルマガでも紹介したように、ロシアには幾つかの非常事態法制があります(第54号「ロシアにおける緊急事態条項」を参照)。
これらは概ね事態が発生した原因(戦争、自然災害など)によって分かれており、今回CRSさんに取り上げていただいた対テロ戦レジームはそのテロ版と理解できるでしょう。CRSさんの論考はこのうち、住民の避難という側面に着目したものですが、こうしてみると、ロシアの考える住民非難というのは日本の有事法制に関する議論と随分違うことに気づきます。
記事中で指摘されているように、対テロ戦レジームが住民の避難を重視するのは、民間人の被害を極限するというだけでなく、それがテロリスト側に利用されることを防ぐためでもあるのだと思われます。つまり、テロリストは最初から戦闘でロシアの特殊部隊に勝つ気はなく、「ロシアのせいで多くの民間人が巻き添えで死んだ」という「絵」が流れてくれればそれでいいわけです。
あるいは一人のイスラム教徒がロシアとの戦いに挑んで勇敢に死んだ、とかでもなんでもいい。とにかく、彼らが暴力を行使する目的は「勝つ」ことではなく、暴力の行使過程を人々に自らに都合の良い形で受け取ってもらうことにある、と言えるでしょう。
ちなみに、このような暴力行使と人間の認知との複雑な相互作用を前提とした闘争観は、第139号で紹介したフランク・ホフマンの「ハイブリッド戦」理論を想起させるものです。
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