You Can Dance. 大人の手習いには優位がある:『ヤクザときどきピアノ』鈴木智彦著【試し読み】
暴力団取材の第一人者で、『サカナとヤクザ』(小学館)などのベストセラーで知られるノンフィクション作家の鈴木智彦さんは、52歳でピアノを習い始めました。5年もの歳月をかけた本を校了し、ライターズ・ハイ状態で観た一本の映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』がきっかけでした。劇中に流れた主題歌でABBAのヒット曲『ダンシング・クイーン』に心奪われてしまって……。
どうしても、『ダンシング・クイーン』が弾きたい。
現在4刷のヒット作『ヤクザときどきピアノ』(鈴木智彦著、CCCメディアハウス)は、熱に憑かれたようにピアノ教室の戸を叩き、ついには発表会で憧れの『ダンシング・クイーン』を演奏するまでの1年と少しの記録です。
ABBAの次はバッハを練習しているという鈴木さんは言います。「遅く始めたからといって、俺たちは、なにも失っちゃいない。まだなにもしてねぇのに、へこむことないじゃん。はやいよ・笑」と。
『ヤクザときどきピアノ』の試し読みを公開いたします。
まえがき
ずっとピアノを弾きたかった。
教会の日曜学校で賛美歌の伴奏をするシスターが羨ましかった。弾かせて欲しいと懇願したのは、白鍵が神の、黒鍵が悪魔の歌を弾くための音階と思ったからだ。礼拝堂に忍び込むと、壁際の十字架下に置かれたアップライト・ピアノの黒い鍵盤蓋は施錠されていた。その夜、体中に発疹が出て高熱を出し、救急車で運ばれた。診断は猩紅熱(しょうこうねつ)で、当時は法定伝染病だったため、そのまま約二週間の隔離・入院となった。
小学校の授業ではピアニカを習い、学芸会で『ハンガリア舞曲第五番』を演奏した。同じ鍵盤楽器なのに、ピアノを習っている女子児童が特権階級扱いで妬ましかった。とある放課後、またも音楽室に忍び込み、憧れのピアノの前に座ってみたところ、ピアニカとは異質の緻密な手触りに気圧された。職人たちが木と羊毛と鋼で組み上げたピアノという機械は、音楽と対話する決意のない者が触れてはいけないような荘厳さをまとっていた。
中学校で吹奏楽部に入り、クラリネットを相棒にした時も本当はピアノがよかった。しかし、いまさら言えない。修練に時間のかかる楽器だからだ。十代の前半でさえ、幼少期にはじめた人間とは歴然と埋められない差があった。ピアノに触れる許可書の申請は、とっくに締め切られているように感じた。
ロックンロールの洗礼を受け、迸るような生命力とパッションを浴びてからも、電子楽器に引けを取らず、どんなアレンジにも対応するピアノの自在さには舌を巻くしかなかった。クラシックからハードロックまで、ピアノはどんな音楽でも主役を張れた。
上京して入学した写真学科の暗室には、新宿の中古レコード屋で買ったセロニアス・モンクのLPレコードを、カセット・テープにダビングして持参した。ジャズ・ピアノのスイングを気取り、手ぶれやピンぼけの写真をアートと思い込んで焼いていたのだから痛々しい。ただ若さと勢いだけがあった。行きつけの居酒屋の娘さんが武蔵野音大でピアノの発表会に出ることになった時は、カメラ・メーカーから借りたバズーカ砲のような望遠レンズを持参して連写し、夜は大将のおごりで三日三晩飲み通した。
社会人になってカラオケをしても、西田敏行の『もしもピアノが弾けたなら』を、がなったりはしない。〝弾けない〞と居直りつつ、弾ければよかったとくだを巻く不甲斐なさが、我が身を見ているようで辛いのだ。いつか弾いてみたいという熱は消えず、仕事場のある神保町の編集プロダクションの帰り、お茶の水の楽器屋を冷やかし、弾けもしないのに電子ピアノに触ってにやけたりした。
そのうち人生は急激に忙しくなり、紆余曲折の末、ヤクザを取材する物書きになった。予想外もいいところで、クレームに怯えつつおっかなびっくり原稿を書き続けているうち、あっという間に五十歳を越えた。
「もうジジィだから......」
口ではそう言いながら、若いつもりだった身体にもガタが来て、老いを意識せずにはいられない。ならばまごまごしている時間はどこにもない。どうしてもピアノを弾きたい。
心身が柔軟な子供たちのように、コンクールに出場する腕前にはなれないだろう。それでも大人の優位は必ずある。たとえばそれぞれの仕事で学習のコツを摑んでいるし、単純な反復作業がブレイクスルーに繫がる意外性も経験している。困難を克服する方法も見つけられるし、自分がよく間違う自覚も持っている。なにより言語というツールで現象を深掘りし、ナイーブな子供が泣くような経験ですら客観的に楽しめる。
現代におけるカリスマ・ピアニストの一人であるヴァレリー・アファナシエフは『ピアニストは語る』にこう記している。
私は晩成型の人間です。たぶん今の方が昔より、ずっとよく音楽を理解できていると思います。
五十歳を過ぎてピアノをはじめた凡人だって同じだ。深い理解には相応の経験が大きな助けになるだろう。
生涯学習は素晴らしいと嘯(うそぶ)きたいのではない。何かをはじめるのに年齢は無関係と自己啓発をしたいのでもない。現実は残酷で不公平だ。どうせみんなくたばるのだ。では鬱々と人生を送ればいいのか。嫌だ。じゃあどうする。明るく笑い飛ばすしかない。
レッスンは冒険であり、レジスタンスだ。
ピアノは人生に抗うための武器になる。
俺は反逆する。
残酷で理不尽な世の中を、楽しんで死ぬ。
Prélude シネマでABBAが流れたら――ライターズ・ハイの涙
■『サカナとヤクザ』の締め切りで
遅筆である。
というより、ノンフィクションを飯の種にしていれば取材に時間がかかる。ネットで検索できる情報は金にならない。図書館に出向いたところで参考資料はほとんどない。にもかかわらず、毎年、コンスタントに本を書けるのは面妖である。短時間の取材でまとめた企画本はそれなりにしかならない。発酵の時間を省いて美味いパンは焼けない。
壮大なブーメランで自爆したいのではなかった。指摘したいのはライターが(いや俺が)、自分の本を面白く、価値ある作品にすることしか考えていないという事実である......といえばたいそう立派に聞こえるが、何事にも限度があり、インプットを続ける書き手も困りものだ。費やす時間は多いほどいいが、情報のコレクターではないのだから、アウトプットしなければならない。発売が遅れるほど取材費がかさみ、売り上げで回収できるか危うくなる。収支がマイナスになった時点で商業作家として破綻する。
だが、いったん作品を世に出せばすべての評価は自分に返ってくる。時間が、費用が、編集が、出版社が......一切の言い訳は通用しない。だからなかなか取材にピリオドを打つ勇気を持てない。
このとき締め切りを抜けたばかりの『サカナとヤクザ』の取材はずるずると五年間続いていた。取材費だけでもウン百万円は突っ込んでいた。にもかかわらず取材途中だった。知れば知るほど調べたくなる。
「どうですか? そろそろデッドです」
「ごめん、あと半年、いや一年はかかる」
「何年待ってると思ってるんですか!! 密漁博士になるつもりですか! 今回は言わせてもらう! 今どき、あんたのように締め切りを破って居直るライターなんてどこにもいないんだ!!」
担当が〝切れた編集〞の標本にしたいほどきれいにぶち切れ、築地市場の移転日をガチの最終リミットに設定しなければ、寿命が尽きるまで調べていたかもしれない。
デッドラインが確定しても、あがきは止まらない。入稿し、初校が出てからも、イニシャルの証言者を実名表記したくなり、担当にそれがいかに作品の価値を向上させるか長々とメールした。嫌というほど正論をぶつけられ、根負けした担当は渋々OKを出したが、根室のヤクザしか証言者の連絡先を知らず、そのヤクザが急に電話に出なくなった。こうなれば交渉のため根室まで行くしかない......わけではないが、俺の頭の中ではそう結論された。
ところがちょうど台風が接近中で、翌日の飛行機は全便欠航だった。印刷スケジュールをどれだけ詰めても、台風一過をゆっくり待つ余裕がない。バイクは風に弱い。車しかない。愛車の軽トラで青森までぶっ続けに走って、フェリー乗り場に直行した。
津軽海峡はもう時下はじめていた。
三十分後のフェリーはなんとか出航するらしく、ギリギリ最後のチケットを買えた。後ろに並んでいた客は待ちぼうけが決まり、「どうにかなんないのかよ!」と吠えている。どうあがいたところでフェリーにはこれ以上車を載せるスペースがなかった。次の便からしばらくは欠航が決まっており、いつ北海道に渡れるかわからないと説明されていた。
フェリーは揺れに揺れ、終わらないビッグサンダー・マウンテンと化した。慣れているはずのトラック運転手も便器を抱えて吐いていた。這々の体で函館に上陸し、安ホテルに駆け込んだ。
翌朝になると吐き気と共に台風も過ぎ去り、青空が広がっていた。かっこうの密漁日和(※凪の日)だったので、函館の密漁団のボスに会って数点の事実確認を終え、室蘭まで走って山腹のキャンプ場にテントを張った。ここまでは順調だった。早めに寝袋に潜り込んで就寝した。
翌午前三時七分、北海道胆振(いぶり)東部地震が発生する。
■北海道胆振東部地震
激しく揺れる大地の上に寝ていたため、地面の震動を直接ボディにくらって目が醒めた。寝ぼけ眼でテントから這い出て、眼下に広がる室蘭の街を見ていると、灯りがどんどん消えていく。どうみてもただ事ではない。すぐにラジオをつけた。
「全道が停電しています。ブラックアウトです。復旧のめどは立っていません」
夏の爽やかな北海道の朝なのに、アナウンサーの悲壮な声が似つかわしくなかった。出来の悪いジョークのようだが、これは訓練ではなく、映画でもない。
キャンプ場を撤収して街に降りると、コンビニエンスストアに食料を求める客が殺到していた。電気がないのでレジが動かず、クレジットカードも使えないので、すべてが手作業だった。同様に銀行のATMも動かないが、幸い、現金の手持ちはあった。
北海道ローカルのコンビニエンスストアであるセイコーマートはそれぞれの店舗で調理可能で、一部の弁当や総菜を『ホットシェフ』というブランドで提供している。ブラックアウトで工場や流通がストップし、食料の入荷が止まってもおにぎりなどは提供できるため、なんとか飯だけは食えた。
いちばんの障害は、ガソリンスタンドのほとんどが動いていないことだった。故郷ならばなんとかなると判断し、いったん生まれ育った札幌に避難することにした。燃料はギリギリでも、信号がすべて消えノンストップで走れるため、超低燃費走行が可能だった。千歳から札幌に向かう国道36号線は、弾丸道路と呼ばれたが、一般車が今回のような弾丸スピードで札幌に到着したのは初めてだったろう。
新千歳空港は完全に機能が停止し立ち入れない。JRも地下鉄もストップし、ホテルも店もすべてが閉まっている。市内ではホテルをチェック・アウトさせられ、途方にくれた観光客が街のあちこちに溢れていた。うつろな顔で街のあちこちを漂う姿は、『ウォーキング・デッド』を連想させた。
キャンプ用具を積んでいるので問題ないと思っていたが、どこも入場禁止で宿泊できない。ラジオは地元民のための情報ばかりで、観光客のことなど構っていられないようだった。地震や津波で市街地が容赦なく破壊されていたなら、どこにでも遠慮なくテントを張る。しかし、ブラックアウトは日常生活を根本から破壊しつつ、街は一切壊さないのだ。
仕方なく避難所になっていた中島公園の体育館に逃げ込んだ。まさか故郷で体育館に雑魚寝するとは思ってもみなかった。その夜、全道一の歓楽街であるススキノへ出かけてみると、居酒屋もジンギスカン屋も、キャバレーもソープランドも真っ暗だった。テレビによく登場する薄野(すすきの)交番も、六代目山口組直参の誠友会本部も闇の中で沈黙していた。
翌日早朝、知り合いから携行缶を調達し、稼働していたガソリンスタンドを回って給油、イチかバチかで根室に向かった。幸い燃料は間に合い、到着の一時間前には根室の電気も復旧した。
「......軽トラで来たのか?」
呆れ顔の証言者はこちらの要望を気持ちよくOKしてくれたばかりか、貴重な話を聞かせてくれた。帰路、居留守を使い続けるヤクザの、趣味の悪い密漁御殿を急襲したが、姐さんが不穏な声で応答するだけだった。
■ライターズ・ハイ
訂正箇所を急ぎ送って帰京する。ようやく書籍は校了した。こうなればどうしようもない。なにもかもあきらめるしかない。
すべての抑圧から解放され、盆休みと正月休みとゴールデン・ウイークが同時に到来したような高揚感に包まれた。アクセル全開で仕事をしていたのでエンジンはかかりっ放しで、すぐにでも取材に飛び出せるほど脳みそが仕上がっている。
脳細胞がフルスロットルのところに、途方もない解放感がぶちまけられると、脳内のアドレナリンがナイアガラの滝になる。MDMAで逮捕されたエリカ様も違法薬物に頼らず、ライターズ・ハイともいうべき躁状態を会得していれば、大河ドラマを撮り直させることもなかったろう。苦労が多ければ多いほどトリップのスケールは大きくなる。五年がかりの仕事にケリが付いたのだから、ほぼ宇宙旅行だ。
とはいえ、仕事が終わったばかりでやることもない。いや、缶詰生活の中、締め切りを抜けたらやりたいことは多々あったはずだが、たいていは忘れてしまい、映画館に行くのが関の山である。何の気なしに映画を観にいった。行きつけにしている練馬のシネコンは、平日の昼、東京とは思えないほど客がいない。いびきを搔(か)いて寝たところで咎める客もおらず、朝から晩までぶっ続けで映画を観た。
そのうちの一本が『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』だった。第一作同様、全編ABBAのヒット曲を使ったミュージカル映画だ。
娘の結婚式に、父親かもしれない三人の男性――母親の元彼たちが参集する。前作の主人公だった母親は亡くなっており、娘はこの父親(かもしれない男性)たちに助けられながらトラブルを乗り越え、母親の残した小さな島のホテルを改装してオープニングパーティを開く......正直、たわいない内容で、凝ったストーリー展開も、目を見張るようなアクションも、どんでん返しもない。親子の情という泣きの旋律を刺激されても、この程度で涙を流せるほどウブでもない。普段、暴力団というアクの強い題材を取材しているのだ。正常位ではイケない。
ところがABBAのスマッシュ・ヒットである『ダンシング・クイーン』が流れた時、ふいに涙が出た――。
というより、涙腺が故障したのかと思うほど涙が溢れて止まらない。すぐに鼻水も出てきて、嗚咽が止まらず、なにが起きたのか把握できなかった。
けっこうな声で泣いたのだろう、数列前に座っていたカップルが、何事かとばかりこちらを振り返る。必要以上に映画をくさして恐縮だが、このシーンも幼稚な演出のどうでもいい場面だった。決して映画で感動したのではない。『ダンシング・クイーン』の歌詞もわかっていない。なにしろ英語は、単語を認識する程度しかわからない。
魂の奥底に入り込んだのは、紛れもなく音楽そのもの......ABBAのメロディーとリズムとハーモニーだった。
特に特徴あるピアノの旋律が直接感情の根元を揺さぶった。
〈ピアノでこの曲を弾きたい〉
雷に打たれるようにそう思った。身体が音楽で包まれていた。
ライターズ・ハイの精神状況で心の箍(たが)が外れており、外界の刺激に鋭敏だったせいではある。実際、音楽が耳からだけではなく、全身を通して身体に入り込み、肌が粟立つような感覚があった。ミュージシャンの一部が感覚のブースターとしてマリファナやドラッグを愛好する理由がわかる。音楽を取り込むチャクラが開いていた。俺は間違いなく覚醒し、トランスしていた。
ガキの頃からそれなりに音楽は好きで、ロックやポップスのミュージシャンには一家言あるつもりだった。
なのにABBAで。
まさかABBAで。
(続きは本書で)
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