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時計台と札幌市民憲章
札幌時計台の鐘が12回鳴った。
時計台の鐘の音は、都会の騒音を忘れるくらい、なんだか懐かしい気持ちになる。
札幌市民憲章は「私たちは時計台の鐘がなる札幌の市民です」で始まる。
札幌市民憲章は、“札幌”をより豊かで明るく住みよいまちにすることを念願して、昭和38年11月3日に市民の総意として制定されました。
これは、人口増加や都市化により、人と人との結びつきが薄れ、市民の連帯意識や公徳心が低下してきたことから市民が毎日の生活を送るうえで、心のよりどころとなるものを市民自身の手によって作ろうという考えから、市民各層の代表者によってつくられたものです。
札幌市民憲章
前章:わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
1章:元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。
2章:空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。
3章:きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。
4章:未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。
5章:世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。
ビルの間にたたずむ明治の建物は、札幌が発展する姿をずっと見守っていたんだ、と先人たちへの想いに馳せることができるお気に入りの場所。
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時計台は創建以来130余年この地にあって、札幌の街の歩みと市民生活の変化を見守ってきました。
時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」
札幌農学校は、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で1876年(明治9年)年開校しました。演武場(時計台)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878年(明治11年)に建設されました。
札幌の中心地に、北海道大学(旧札幌農学校)の敷地があり、北大植物園も赤レンガ(北海道庁)の裏側にあり、札幌の町並みに、北海道大学が残している自然や歴史的遺産が、彩りを添えている。
こういう、地元のことを知れば知るほど、ふるさとへの思いが強くなる。
土曜のお昼時に、家族と一緒に時計台の中もお邪魔し、ゆっくりと休みの日を家族で過ごすことができた。