ナナメさん#005 ミヤティさん
ミヤティさんのプロフィール
・34歳・男性・神奈川県横浜市出身
・通った学校について:静岡県立富士東高等学校(※当時9割が大学進学)→大学進学(福祉系)
・部活動:していませんでした。生徒会活動が主でした。
・好き(得意)だった教科:国語(現文・古文)
・嫌い(苦手)だった教科:数学・化学
・卒業後の略歴
個別指導塾教室長⇒エリアマネージャー⇒統括⇒大学生のキャリア教育⇒フリーの教育者
・現在の家族構成:自分と妻
・趣味:プロレス・F1・実況動画
・休日の過ごし方:ジムでキックボクシングをしているか、嫁とカフェで本を読んでいます。
・好きな音楽:ゴスペラーズ、Pentatonix
・おすすめの本:沢木耕太郎の「深夜特急」
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大学生の頃から教育業界に身を置き、思うところあって独立、現在は会社設立を目前に控えるミヤティさん。ブラックとも言われる教育業界で生きる覚悟を持つに至った道すじ、さらに今後について考えていることをお伺いしました。
リーダーを経験して気づいた、「人より多く責任を持っていることは、生きる意味になる」
――ミヤティさん、本日はよろしくお願いします!早速ですが、中学高校とリーダーとして様々な役職をお務めだったそうですが、もともとリーダー気質だったのですか?
いや、はじめは目立ったり人前に出たりするのは嫌いなタイプでした。最初のきっかけは小学5年の時に代表委員になったことです。誰も委員をやりたがらず投票で選ばれちゃって。
すごく嫌だったけど、そういう活動をしていると人に感謝されることに気づいたんです。それでリーダー職の面白さに気づいて、次の年も誰も立候補しなかったので今度は自分で手をあげて。以来、中学でも高校でも色々な役職を経験しました。
――人前に出るのも平気になったんですか?
そうですね、平気になりました。あと責任を取るのって楽しい事だなと思うようになりましたね。ちょっと大きく言うと、人より多く責任を持っていることって生きる意味になるなって思ったんですよね。
――!!!(言葉にならない驚き) …若くしてそんな風に思えるようになるとは…。
学校に明日行く意味がある、と言うか。普通にただ暮らしているだけで、たいして人の役に立たずに生きるのって面白くないなってその時からすごく思っていて。
親が結構破天荒で、親が休みだと「学校サボって遊び行こうよ」って誘われたりしたんですけど(笑)、「いや生徒会あるから」って学校行って、親から「あいつすげーな」って言われるみたいな人間でした(笑)
――ミヤティさんも親御さんもすごいです(笑) リーダー経験の中で、特に印象深かった経験はどんなものですか?
高校で生徒会の副会長をしていたんですが、学外で、市内の高校の生徒会役員を集めてボランティア活動をするっていう団体に所属していたんですよ。学生ボランティアを集めて地域のお祭りの運営を手伝ったり、市内の公園で小さな文化祭みたいなのを開いて、屋台で得た利益を市に寄付したり。その団体で高校2年から3年にかけてリーダーをしていたことですね。
――そんなことができるなんて、コミュニケーション力がすごく高いんですね!
コミュニケーション力が高いかはわかりませんが、そういう活動を通じて大人の人と話す機会は他の人よりも多かったです。活動の中で、意識が低い人とぶつかり、意識が高い人ともぶつかる、みたいな経験をしてきたのは、社会人になってからも生きているなと思います。
将来が思い描けず、勉強には身が入らなかった
――生徒会をしている人って勉強も頑張ってるようなイメージがあるんですが、ミヤティさんは勉強の方はいかがでしたか?
勉強はやる気が出ませんでしたね。
大学に行く意味が見出せなかったんですよね。目的がないと全く動けない人間で、将来何になりたいかが自分の中に明確になかったので…。
――高校進学時は、大学に行こうという気持ちはあったんですか?
ありました、漠然とですが。
時が経てば、自然と自分の志望が見つかると思っていたんですよね。
中学では志望校が徐々に固まっていったので、高校でも自然と入りたい大学が見つかるんだろうなと思っていたんですが、僕の場合はそうはならなかったですね。
――では受験はどうされたのですか?
高校でボランティア活動をしていたので、あまりよく考えず「他者に貢献するなら、福祉かな」という理由で志望校を決めました。第一志望は落ちて、滑り止めに受けた大学だけ受かったんですが、浪人するふりして就職しちゃおうかと考えていました。
――え、それではなぜその大学に入学することにしたのですか?
担任とすごく仲が悪かったんですが、最後にボソッと「でもいい経験になるから、お前の性格上行っとけ」って言われたんです。「大学時代自体が良いものになるから」と。それで何か、ちょっと行く気になったんですよね…。
――少し不思議です…が、そうして入った大学での生活はいかがでしたか?
つまらなかったですね、行かなきゃよかったと思いました。
高校時代は恵まれていたんだと思いました。周りにいたのが、モチベーションが高かったり、色んなことをしっかり考えられる人ばかりだったので。
大学では何も考えてないなと思う人がたくさんいて、自分の偏差値より下の学校に来るとはこういう事かと気づきました。そこで「大学、もっとちゃんと考えておけばよかったな」と思いましたね。
――それでも中退は考えなかった?
親に入学金は出してもらっていたので。履歴書に大卒って書ければいいかなっていう気持ちに切り替わっていました。
友人の死、そして教育との出会い
――なるほど。そんな大学生活のさなか、塾講師のアルバイトを始めたそうですが、何かきっかけがあったのですか?
ちょっと重い話になるのですが、その頃、親友ががんで亡くなったんですよね。当時自分は大学も面白くないし将来やりたいこともなくて無気力に過ごしてましたが、その親友は美容師になるという夢に向けて頑張っていた。でもがんが見つかって、進行も早くてすぐに亡くなってしまって…。僕には夢がないのに、なんで夢があるコイツが死ななきゃいけなかったんだ、って思って。
――それはショックでしたね…。
で、その時にダラダラと生きられないなと思ったんですよね。暇だと色々なことを考えてしまうので、忙しくしているためにアルバイトとかをたくさんしようと決めまして、その時に選んだものの一つが塾講師だったんです。
「僕には夢がないけど、夢がある子は応援できる」って思ったんですよね。
――そうして教育の世界に入られたんですね。社員にならないかと誘われたということは、かなり成果を上げていたということですよね。
地域では評判になっていましたね。僕の授業中の口癖をクラスで流行らせる子が出てきたり、体験に来た子が僕のことをもう知ってて「会うの楽しみにしてました」って言われたりとか。
――塾で実績を出せたのはどうしてだと思いますか?
当時は塾講師って、結構条件が良くて花形バイトの一つだったんですよね。だから時給の良さにひかれて始める人が多かったんです。でも僕は始めたきっかけが違っていたので、「その子を何とかしてあげたい」って気持ちは他の人より高かったんだと思います。だから授業でも、その子が頑張れるようにたくさん工夫や改善をしていましたね。
――なるほど。そしてその塾で正社員になられたと。立場が変わると業務内容も変わると思うのですが、バイトの頃と比べていかがでしたか?
めちゃくちゃ大変でしたね。ただ教育者として深みは出ました。一番の変化は、保護者さんと関わることになったことですね。親御さんの思いを受け止めた上でその子の授業をすると全然変わるんですよね。自分の授業だけを高める努力をするよりも、各方面の人と関わって視野を広げていく方が、結果として良い授業ができるようになると感じましたね。
――教育者として一段と成長できたわけですね。その塾では何年くらい働かれたんですか?
そこで7年くらい続けました。
やがて独立する気でいたので、この環境では実力がそんなに伸びないだろうと思って、塾の社長さんから別の会社を紹介していただいて移りました。
「苦労したくて」転職を決断
――どんな環境を求めていたんですか?
それまではわりと大きな校舎での経験しかなかったので、もっといろんな状況の苦労をしてみたいと思って。生徒数が少なくて崩壊しかけているような塾の立て直しとかを経験したいなと。
――そんな大変な状況に自ら飛び込んでいくなんて…。
20人程度の会社の幹部の一人になり続けたところで、何かがあった時に自分の力で食べていけるようになるわけではないな、という危機感があって。20代のうちにもうちょっと修羅場をくぐりたかったという気持ちがあります。
――すごい…。それで、転職先はミヤティさんのご希望通りの環境だったんですか。
はい。結構忙しい会社にマネージャーとして入らせていただいたのですが、教育者としてかかるプレッシャーの種類が違いましたね。
立て直しといって、状況が完全に崩壊している校舎に入ってアルバイトと一人一人面談をしたりとか、保護者からのクレームを受け取りまくる毎日を送ったりとか。複数の校舎を見ながら、一つが落ち着いたらまた別の校舎に入って…と、半年ごとに職場を変えるような生活を3年ほど続けました。それで、いろんな状況での苦労やストレスは一通り経験できたかなと思います。
――壮絶ですけど…途中で折れそうになったりはしなかったんですか?
何度も折れてましたけどね(笑)
何度も辞めようと思ったんですけど、「僕の目の前にこの子は来ちゃったし」と思っていました。
「この子に対して一番何かしてあげられるのは僕だ」という自負があったので、少なくとも落ち着くまではやり切らないといけないな、という責任感だけでやってました。
――その職場では、どんな時にやりがいを感じていましたか?
校舎が立ち直ると、空気感が全然変わるんですよね。そうなると数字も付いてくる。そんな様子を見ると、ふとなんだか泣きたくなりましたね。もうやり切ったな、みたいな。
初めての「就職活動」で学んだこととは
――そして、その職場で3年勤められたのちに、再び転職なさったんですね。
はい、大学生のキャリア教育に関する講座運営と、その講座で講師をする仕事です。
――なぜその仕事をしようと思ったのですか。
子供達に夢をかなえる力をつけてあげたいと言いながらも、自分は職業や就活のこと本当に知らないなと思ったんですね。最初の就職はアルバイト先からの声掛けで入ったし、一回目の転職も紹介という形だったので、自分は皆のように就活の苦悩を体験せずに来てしまったなと。
学生の最後の受験って就職活動かなと思っているんですよ。「自分、最後の受験やってないわ。そこ知りたい」と思って就職しました。
――その会社でのことをお伺いする前に…ミヤティさんは、その会社に入るために初めて「就職活動」をしたわけですよね。いかがでしたか?
いやー、無知って怖いなと思いましたね。
初めは人事をやりたいと思っていました。それで転職エージェントにいくつか登録してみたんですが、必ず「人事は経験がないと厳しい」と言われまして。それを真に受けちゃって、3か月くらいはいい求人にも巡り会わなかったんです。
でもそこから考え直して自分で求人を探しまくったら、「全然あるじゃん!」って(笑) 別に経験者じゃなくても受かりましたし(笑)
――なぜエージェントからは希望の求人が紹介されなかったんでしょうか…
結局、自分の営業成績のためにうまいこと誘導したい人の方が多いのかなって思いましたね。エージェントを使うのもいいけど、それで安心せず、自分で探したり情報の網を広く張っておかないと、自己実現は難しいなと思いました。
そのあとキャリア教育の世界に入って就活生と話す中でも、それは強く思いましたね。エージェントにうまく誘導されちゃってる人が多いなって。特に判断軸がまだしっかりしていない学生さんは、誘導されやすい。
もちろんクライアントさんを第一に考えてくれるエージェントさんもいるけど、それは少数派と思った方がいいかなと。背後でお金がどう動くかとかも考えると、色々見えてくることもあります。
キャリア教育との出会い、そして見えた課題
――なるほど。では、始めは人事を考えていたのに転職先としてキャリア教育の世界を選ばれたのは、どんなお考えがあったのでしょうか。
キャリア教育って分野があるのを、その求人に出会うまで知らなかったんですよ。
「こんな世界があるんだ。これが、自分が高校生や大学生の時に受けたかった教育だ」って思ったんです。特に高校の時にこれに出会っていたら、違っただろうなって。
高校の時に受けた「キャリア教育」って、初任給や生涯年収の話をすることで大学へ進むように誘導するものだったので。もっと中立的な立場で関わってくれて、社会のことが理解できるような教育があれば、自分の進路選択も違っていただろうと思いますし。
――それは私も思いますね。それで、キャリア教育の会社でのお仕事はいかがでしたか?
教育者ってめちゃめちゃ世間知らずじゃんって気づきましたね。
教育って社会との時間差がすごくある業界なので、世の中の事知らなくても生きていけるんです。一方で、人材業界は社会の流れがリアルタイムで業績に反映されるので、社会の流れにすごい敏感だなって思いました。色んな業界を広く知っていかなければならないので、新聞に全部目を通すようになりましたし、関連するイベントやセミナーにもよく出るようになりましたね。
――でも、その会社で働かれたのは1年だけだったんですね。
外部機関のキャリア教育の講座って、結局高学歴の学生さんが多く来るんですよ。あの仕事を続けていても、高学歴の人間を更に救えるだけだなって。届けたい層に届いてないなって思ったんです。
エリート教育よりも、市民教育したいって気持ちが強かったんです。
情報の質によって人生が左右されてしまうような領域にいる人を、何とかプラス側に持っていってあげたいなって思いがすごく強いんですよね。
――その層と接するために、今はどんなことをしていらっしゃるんですか?
今は独立して、個人塾と、別の会社にコンサルで入ることで中間層の底上げに取り組んでいます。
それから高校生の就職支援をする団体に所属して、外部講師として高校に就職講座に行ったりしています。高卒就職には独特の慣習があって、大学のように自由ではないんです。なので伝えたいことを話せているわけではないのですが、業界を知るためにやってますね。
本当はもっと大学のキャリア教育をしたいんですけど、大学のキャリア教育はエージェントががっつり入り込んでいるので、もっと中立にできる場所はないかと今探し中です。
組織に所属するのを辞め、経営者として生きようと決意
――今はフリーで活動されていますが、自分の目指す仕事ができそうな会社への転職などはお考えにはならなかったのですか?
うーん、雇われることに向いてないんですよね。「向いてない」って言い方嫌いなんですけど(笑)
組織の中にいられないんです。今まで組織を探していたんですけど、100%自分の思いを実現できるところはきっと無いだろうと。だから自分でやることにしました。
――なるほど。さらに今、法人化に向けて動かれているそうですが、どんなお考えがあって法人化することにしたんですか?
今後、自分の仕事として、塾のコンサルと就職支援、二つの柱を作りたいと考えているんですが、コンサルは法人相手のお仕事になるので、フリーで活動しているよりも法人でいた方が信頼されやすいんです。
そしてコンサル業で経営を安定させたら、キャリア教育と学習指導を結び付けるような塾を小さいながら立ち上げようと思っています。法人化すれば、そのための銀行からの借り入れもしやすくなりますから。税金分損をしますが、法人化は自分にとってはメリットが大きいんです。
――いよいよ経営者として本格的に動き出されるわけですが、経営者として今後生きていくことに、不安はありませんか?
組織に埋もれることの方が不安ですね。組織が無ければ生きられない人間になることの方が、はるかに不安です。ただの従業員だったら、所属している会社がつぶれることはコントロールできないけど、自分の不安な気持ちはコントロールできますから。そこは自分で乗り越えればいいんじゃないですかね。
自分の人生をよくする仕事を、自分の軸で見つけてほしい
――しっかりしたお考えを持ってらっしゃる…!では、これから社会に出る学生さんに向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
仕事って、楽しいですよ。
教育業界ってめちゃめちゃブラックなんですけど、僕は教育が好きだったから、転職した理由も辞めた理由も別に「ブラックだったから」じゃないんですよね。
友人からは「よくそんなに働けるね」って言われてましたけど、僕は教育っていう、人の人生を良くしていく仕事に自分の人生をかけていましたから。結構過酷なストレスにさらされましたが、それでも続けていられたのは、やっぱり楽しかったからだと思います。
ゲームが楽しかったら一日中できるのと同じで、仕事も楽しかったら一日中できるんですよね。
どんなにサボっていても一日の半分以上は仕事に取られるので、自分の人生かけられる仕事を見つけられたら、人生ってすごい良いことになるなって思いますね。
――そういう仕事に出会うためにはどうしたらいいのでしょうか。
「自分の人生ってコレだ!」っていうのは、そんなにすぐに、ふんわり決まるわけではないです。
キャリア教育受けたり、イベントに参加したり、こういう記事を読んだりというのを、たくさんやる。そうすることで、自分で判断できる軸を持てるようになります。一瞬面倒くさいかもしれないけど、頑張ってそういうのに時間かけて欲しいです。
別に僕ほど働かなくてもいいから、自分がやりがいを持って楽しいと思える仕事を見つけて欲しいです!
――ありがとうございました。ミヤティさんのご活動によって、たくさんの人の人生がより豊かになっていってほしいです!私も頑張りますね!
ミヤティさんのtwitterはこちらです。
気さくな方なので、ぜひ話しかけてみてください!