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私には愛する猫がいました。

トップ画像はこないだ行った猫カフェの猫ちゃん。

この世に猫という生き物を生み出してくれた神様に感謝する。



私が小学2年生の頃から約18年飼っていたクッキーという名前の猫がいた。

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ふてぶてしい顔をしてるがメスなのだ。

多分ノルウェージャンとかペルシャとかソマリとかそこらへんの長毛種のミックスだと思う。

母さんの友達のツテで猫のブリーダーをしている知り合いの人から譲り受けたんだけど、それはそれはもう運命的な出会いだった。その家には数十匹の猫が育てられていたんだけど、家に入った瞬間まわりの猫より一回りくらい小さくて大人しく縮こまった猫がいた。名前はチコ。のちに私たちの家族となりクッキーと新たな名をつけられることになるその子だ。

白いボス猫みたいなのがいて、その子がもうめちゃくちゃ暴れまわるもんだからずっと部屋の端のほうで小さくなってるんだけど、まぁそれがもう可愛いのなんの。

俗にいうひとめぼれでした。この子しか目に入らなくて連れて帰る!と即決。小学2年の時の私、グッジョブ。


めちゃくちゃ小さくて、引っ搔かないし咬まないしテーブルとか棚の上登ったりしないし、めっちゃいい子だったの。尻尾踏んでも怒らないの。(笑)

でも最終的には6キロ越えの巨体になったんだけど(笑)

当時、共働きで親が家にずっといない生活だったのもあって、私の心の拠り所はクッキーだった。嬉しかったことも悩んでることも全部クッキーだけが知っていた。

思春期にはよくある、親には言えないけど落ち込むことがあった時、親が寝静まったあとのリビングで一人でソファーに座って泣いてたら、いつもは乗ったら怒られるから絶対に乗ってこないのに、ニャーって一声鳴いてソファーに乗ってきてスリスリしてくれるような子だった。

私のすべてを分かってくれている子だった。書いてたらなんか泣けてきたな。


そんな彼女も数年前の夏、息を引き取ってしまった。

偶然いつもよりちょっと遅めに帰った日だった。いつも寝っ転がってる定位置にいたから名前を呼んでも、もう動かなくて。悲しかったなあ。20歳超えてからあんなにギャンギャン泣いたのはそれが初めてだったかもしれない。


やっぱり犬よりは猫が好きで、たまに猫カフェに行って触れ合ったりすると癒されるなーって思うんだけど。

あの子を超える子に出会える気がしないんだよなあ。


こんなことを書いたら語弊を生むかもしれないけど、クッキーは私にとって親であり妹であり親友だった。人間の友達より仲良かったと私は思ってるよ。




あー、会いたいなあ。

君のもふもふの身体をぎゅーって抱きしめて、毛並み逆立ててライオンごっことかして遊びたいよ。

メスとは思えない野太い声だけど、甘えるときだけ可愛くなる君の声。今でもすぐそばに聞こえる気がするよ。


今私は君を想って泣いてるのに、なんで君はスリスリしに来てくれないんだろうなあ。

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きっともし、また猫を飼うときが来たら、君の生まれ変わりだったらいいな。

その時は多分またビビビ!ってくるんだろうね。

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