量子力学は現実創造論を裏付けない その2

その1では量子力学の基本的な考え方の部分を説明してみました。

さて、その1を受けて奇妙な世界だと思った人も多いかと思います。古典的、かつ日常生活の中で起こる物理現象とは明らかに違う世界です。

例えば、日常生活の中で車の走行に対して意識を向けた時に、車の走行の振る舞いが変わることはないですよね。物が落下することに対して意識を向けても、落下が止まることはないですよね。このように人間がある現象に対して、どれほど意識を向けようが、物事の事象が変化しないのが古典的な物理学の世界です。

ですが、量子力学においては人間が原子を観測することで、ある一定の状態に「収縮」します。つまり原子の状態変化に対して、人間が観測する、という意識的な行為をすることによって原子の振る舞いを規定できるわけです。

この「人間が意識を向ける」ことで「状態を規定する」という部分が現実創造論で言うところの「願えば叶う」につながっていくわけです。これをお題目のように唱えている人が何を根拠にそう言っているのかがわからないので、あくまで推測でしかありませんが、ここまで量子力学の大枠を見る限りでここしか接点がありません。

ただ、ここまで読んでわかった方も多いと思いますが、意識を向けて「観測」することで、原子はある状態に「収縮し、規定される」だけで、そこに例えば「いい気分」という感情を挟んだところで、原子の振る舞いが観測者にとって都合のいい方向に「規定」されることはないのです。観測で収縮し、規定されるのは原子の位置と振る舞い(動き)だけです。原子とはあらゆる物質の最小単位なので、原子1つを観測して収縮を確認したところで、何億何兆とある原子の収縮が積み重なって観測者にとって都合のいい現実が生まれるかと言われると、ないですよね。

同様に「良き波動でいると」みたいな話も、観測者がどういう意識レベルでいようが原子の収縮はある状態を規定するだけなので、これを以て現実世界が変わる、変えられると言うのはありません。その1で出てきた波動関数は「観測していない状態の原子の周りにある電子の動きを確率的に読み解く」ための方程式であって、世に言われる「いい波動」「波動が高い」という話とは無関係です。

そもそも論を言えば、なぜ人間が原子の動きを観測することで、収縮という現象を起こすのか、人間の意識が不定の原子の動きを規定できるのかが現状の量子力学で解明されていないのです。

ここまででわかったと思いますが、量子力学と現実創造は関係ありそうで、実は全くの無関係です。量子論の中には人間の意識について触れた論文もあるようですが、学会では否定的な意見が大半のようです。

ではありますが、じゃあ「引き寄せ」「現実創造」が全くの夢物語か、全否定するか、と言われると答えはNOです。あくまで量子力学と現実創造には関係性がないと言っているだけで、現実創造自体は起こり得る話です。

そういう意味において「いい気分でいること」や「良き波動を保つこと」が現実創造を起こすのに有意義である、必要不可欠である、という意見については「考え方としてあるんじゃない」とは言えます。ただ、それを科学的に証明することはできない、少なくとも量子論のような考え方で規定することはできないので、ひとつの方法として「ふわっとした」主張である、というだけです。主張する人は「自分はこれで成功した」ともよく言うことですが、それが事実だったとしても、科学的な証明にはならないですよね。あくまで一個人の成功例、突き放した言い方をすれば「たまたまそうなっただけじゃない?」とだって言えるわけです。

量子論で説明できないのであれば、古典的な物理学ではなお説明できるわけがありません。例えば、1kgの質量を持つ物体を1mの高さから落とした場合、地面が受ける衝撃度や落下時の加速度など全て物理現象として説明できるし、算出できます。これは1歳の赤ちゃんがやろうが、100歳のお年寄りがやろうが、宝くじで10億円当たった人がやろうが、1000万円騙し取られた人がやろうが常に一定です。結果が変わらないわけですね。これが古典物理学であり、いわゆる世の理なわけです。

なので、「こうやると現実が変わる」は1万人の人が試して1万人全てに同じ結果がついてくるのであれば、方法論として主張できますが、現実は圧倒的にそうならない人が多いわけです。なので、「自分はこれで成功した」は個人のサンプル例に過ぎないのです。その事例を信じてその方法を試すかどうかは別問題なので。

ならば現実創造なんてやっぱないんじゃん、お前信じてないだろう、と言われそうですが、現実創造はあります。現実創造というか「望む結果を得る」ことはできる、と言った方がいいですね。ただ、それに関して方法論なんてないです。個人的に言えば神頼みしても起こるし、何かに書き留めておいて気がついたら叶ってたみたいなこともあるし、法則性はないし即効性もありません。ただ、理屈抜きで「願う」と「叶う」もんです。純粋にその事象を希望していれば時間が掛かろうが叶う、というのは何度も経験してきました。別にめちゃめちゃ気分が悪い、落ち込んでいる、誰かに対して無性に腹が立つ、とかネガティブな感情、状況があろうが関係なく叶うときは叶います。

これは多分にスピリチュアルなお話になりますが、一方では極めて現実的な話でもあって、願うと人間って意識していなくても勝手に行動や思考が願う方向へ動くようにできてるんですよね。意識していないからあたかも奇跡のように感じることもありますが、願う方向に動いていれば作用を促しているんだからそりゃ叶うっていう至ってシンプルな話です。もちろん、奇跡としか言えないようなことも起こります。それは本当にスピリチュアルなお話で、強いて説明するなら神様だか守護霊だか目に見えない「何か」が動いてくれている、としか思えないようなそんなこともあります。

ただ、いずれにせよ科学的に現実創造って説明できるものではないので、いかにも科学的な裏付けがあると主張した上で「願う現実叶えようぜ」って言っているのはエセだと思っていいでしょう。上にも書きましたが、それを信じて動くかどうかは別問題です。

と、ここまで量子力学は現実創造の裏付けにはならない、というお話をしてきましたが、ひとつだけあながち無関係とも言えない論理があります。

原子というのは波動関数で表される存在です。波動関数というのは実体を持たない概念と言えます。そして、この世に存在するありとあらゆる物体、事象、現象はすべて原子から構成されています。ということは、この世は波動関数によって表される概念でしかない、とも言えるわけです。波動関数によって表される概念で構成された世界とは仮想現実そのものの世界であり、実は現実だと思って生活している日常はすべて仮想現実だし、我々の存在自体もただの概念でしかないのではないか、その概念を定義しているのは、「存在」と言える何かじゃないか、と言えるわけです。こうなると、例えば集合意識みたいなものって説明がつきますよね。すべての世界は波動関数という方程式ひとつで定義されているので、生物も非生物も地球も宇宙も全部がひとつと言え、これを集合意識と言えば辻褄は合います。

ひどく哲学的な話ですが、突き詰めるとそんな話になってもおかしくない話ということです。


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