怪談好きの心模様
唐突だが、私は怪談が大好きだ。
しかも、創作された「ホラー」ではなく、実際に起きたことを体験者から聞いてお話にまとめた「実話怪談」と称されるもの限定で好きなのだ。
「怪談なんて、実話もへったくれもないだろう」と言う御仁も少なくないと思う。
確かに、体験者がいたとしても書き手は体験者ではなくて単なる書き手にしか過ぎない。だから、書き手は体験者の話を信じてお話としてまとめ上げているわけだ。
その体験者の話自体の真偽を確かめる術はない。
ただ、オカルトとは往々にしてそんなもんで、目に見えないから、体験すること自体がレアケースだから聞く者の不安を煽り、恐怖を感じさせるもの。
なんでもエビデンスがないと信じないという人は、とりあえずオカルト界隈の話に興味自体抱かないと思う。
ということで、改めて言うが怪談が大好物である。
自分はそうと思われる体験をしていないわけではないが、不思議な体験の中でもさらにレアケースというものがあるらしく、そういった大海の中のホンの1滴を掬いだしたものが、実話怪談として世に出て昇華されているらしい。
どのくらい怪談が好きかと言えば、最近怪談本に特に力を入れている竹書房の実話怪談シリーズの本を毎月購入して読む程度には好きだ。
この実話怪談というのは、怪談のジャンルとしては歴史がごく浅く、1990年に扶桑社から刊行された「新耳袋」という本がパイオニアと言ってもいい。実話怪談というジャンルで呼ばれるようになって、まだ30年程度しか経っていないというわけだ。
この扶桑社刊の「新耳袋」は100話の怪談を収録し、一晩で読み切ることで百物語を疑似体験できるという仕掛けがあった。
で、現実にそれが身の上に起こったという人が無視できない程度に現れ、売れ行きも良くなかったのか、この1冊で廃刊となっている。
それから8年後、メディアファクトリーから復刊された。内容は基本的に同じ。ただし、1話分を統合して99話にまとめている。
こちらも、読者の身の上に「何か起こった」という声が多く、本編にもいくつか収録されている。
この本が大ヒットし、それによって世に「実話怪談」というジャンルが認知されて今に至っているわけだ。
私はこの98年から始まる新版の方からどっぷり浸かり、2005年に10巻で完結するまで毎年買い続けていた。
これが今につながる「実話怪談好き」のルーツだ。
「怪談が好きなら、心霊スポットとか行くのか?」と思った人もいるだろう。
残念ながら私はそういうのはとうの昔に卒業している。
何のことはない、ただの怖がりなだけだ。
実際にその事態を体験したくはない、でも体験談は読みたいというどこか曲がった根性がそうさせているのだろう。
だから、実話怪談に関してだけは絶対に夜、自室では読まない。
簡単だ、怖いからだ。
もっとも、実話怪談で本当に起こったら恐怖や命の危険すら感じるような、祟りや呪いの類のお話は割と少ない。
どちらかと言うと、そこにいるはずのない人がいる、とかそこにあるはずのないものがある、とか不思議な話の方が多いように感じる。
それはそれで別の恐怖感はあるのだが、鳥肌が立つほど怖いとか失神するほど怖いというものではない。
知人にだいぶ前から実話怪談に携わっている作家さんがいる。
今はTwitterのタイムラインで見かけるだけで、すっかり縁が切れてしまった状態だが、彼が言うには、「実話怪談が好きな人は、他人の怖い話や不幸な話を読んで溜飲を下げている」ということらしい。
要は自分の身には起きてほしくないが、他人の恐怖や不幸な話は読んでいて「自分の身に起こらなくて良かった」と思い、暗い喜びに浸れるらしい。
何とも勝手な話ではあるが、一理あるような気がしないでもない。
これがホラーになると、計算ずくで「ほら怖いだろう」とあの手この手を繰り出してくるので、逆に興醒めしてしまうのだ。
真偽のほどは置いておいて、実話怪談は本当に起きた話である、という前提に立って話を読むから、想像も膨らむし、リアリティが増すわけだ。
例えて言うなら、芸能人の不祥事や不倫騒動などゴシップの数々と似ているかもしれない。
ゴシップが報じられると、あちこちのメディアがいろいろと書き立てる。
書き立てられたその報道を元に、読者はいろいろ創造を膨らませるわけだ。
こう書くと、自分がゴシップ記事を読んで喜んでいるのと同じ、ということになるが、そんなに下衆な人間だったのか、と少しウンザリしたりもする。
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