恋愛についての小咄
老若男女問わず、思い通りにならないことがこの恋愛。
散々苦杯を舐めてきた人もいれば、いい思いしか残っていないという人もいるだろう。それほどに私に言わせれば「不公平」に感じられるのが恋愛と言える。
まぁ、こればかりは仕方のないことだろう。自分一人では恋愛はできないわけで、必ず恋愛には恋愛の「対象者」がいる。その「対象者」が振り向いてくれたとき、恋愛は成就するものであり、振り向いてくれなければその恋愛は成就しない。
至ってシンプルな構造なのだが、なかなか奥深いものがある。
上で「恋愛には対象者がいる」と書いたが、対象者が自分の中に存在感を持った時点から恋愛が始まるわけだ。誰しもが恋愛の成就を求めているのは当たり前だが、成就するかしないかはともかくとして、一方的に「対象者」に思いを寄せる行為もまた恋愛なのだ。俗に言う片想いというやつがそれだ。
もっとややこしくなれば、友だちと同じ人を好きになっちゃった、など枚挙に暇がない話だが、これもまた恋愛のひとつの形と言える。その後、どんなもめごとが起きるかは定かではないが、そういうのもまた恋愛の醍醐味と言っていいのかも知れない。
人はどうしてこんなにも恋愛に興味を持ち、エネルギーを注ごうとするのか。
生物学的に言えば、自己保存の本能というか欲求がある。恋愛を成就させ、結婚し、子供が生まれれば少なくともその子供の中には自分の遺伝子が1/2は入っているわけだ。自分がこの世からいなくなっても遺伝子は残り、上手く行けばさらにその子供が、その孫が、そのひ孫が……という具合に濃度は薄くなっても遺伝子は確実に残り続ける。
これは自己保存とも言えるし、マクロな視点から見れば種の保存として大変重要なことだと言えるだろう。
と、考えると結婚して子供を作ろうとしないと「なんで作らないんだ」と親戚中からやんややんや言われるのは感情論ではなく、種の保存の本能が言わせているという見方もできる。
好きな人と一緒にいたい、というのも本能だろう。これは自分の目にかなった異性と自分の遺伝子を残したいという選択の果てにあるものだと言える。無論、そんなことをいちいち考えて恋愛を捉える人はまずいないわけで、いたとしたら良家の子女など古風な「血」を重視するようなところだろうか。
ただ、人間には「感情」というとても厄介なものがある。
最初は好きだったのに、3カ月で気持ちが萎えたなどよくある話だが、これは感情が動いた結果と言えるだろう。
また、「理性」なんてものもある。
感情と理性が働くと、あるいは離婚や別離といったバッドエンドになる可能性がある。
まさに思い通りにならないわけだ。
逆に考えてみよう。
もし、恋愛が自分の思うままに成就したとしたらどうなるか。
まず、恋愛に対してエネルギーを向けなくなるだろう。自分が思えば勝手に恋愛が成就してしまうのだから、エネルギーを向ける必要がない。その時の気分で、あるいはそろそろ結婚考えなくっちゃなど、自分の都合で恋愛ができるわけだ。
占い師や結婚相談所などは商売あがったりだろう。恋愛で食っている人にとっては、勝手に恋愛が成就する世の中は不都合極まりないわけで、特に結婚相談所あたりは存在自体がなくなるかも知れない。
一見、良さそうにも見えるが、たぶんつまらない人生になる可能性が高い。
矛盾しているが、恋愛は成就して欲しい一方で、成就しなくてもそれもまた良し、という見方もある。
誰もに当てはまるわけではないが、苦労してこそ得られる充足感というか達成感みたいなものがある。それは恋愛にも言えることだろう。事がトントン拍子に進んで欲しいと思うのは、現実がそうじゃないからであって、現実がそうなってしまうと不足感を覚えるわけだ。
人間とはかくも欲深く、身勝手にできている。その典型が恋愛ではないだろうか。
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