見える世界
痴人の愛
や
鬼怒川
車輪の下
などは、無機質で救いようのない人間模様が描かれていて、10代、20代は何度も読み返した。
退廃的でアンハッピーな終わり方になぜか惹かれたものだ。
死をあっさりと書き上げる作家たちは、その物語が自分とは違うところで起きた事柄としていながらも、全くの他人として書いているわけではない。
ヘルマンヘッセの車輪の下などは、ヘッセの自伝的内容であるとも言われている。
感情は排除しない。
すいかの匂いの作品も同じ。
愛深い安らぎを求める心とは裏腹に、無機質な心がふいに遠くから世の中を見ている。
大きな一枚板のガラスから向こう側はとてもにぎやか。
こちら側は少し日差しが入るくらいの林のなかにいて、草花が優しく足首をくすぐる。
昨日の雨水が裸足を通してじかに伝わる。地面に体重をかけると、それがじわっと広がる。
雨がまた降り出す。
普通なら傘をさすか、走って帰るけど
私はそのまま雨をうけて座り込む。
この林自体多くの人に見つからない。
見つかって、傘を差し出されたとしても、それは見えない。
1人で雨を感じたい。
寒くても冷たくても
体全体を容赦なく、たくさんの雨が、私を濡らしても
ガラスの向こう側は叩きつける雨で見えなくなってしまった。
ちょうどいい。
何度も読み返した本にまた手を伸ばしたから。
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