「街に於いて」 セルフライナーノーツ
1.街に於いて
描いた憧憬は 期待を外れて
嵩んだ倦怠も
変わってない 変わってないな
築いた関係は 時代を錯誤して
嗤った連中も
分かってない 分かってないな
通りを揺らぐ風
世界から消えてしまいそうでも
通りを暮らす影
世界から溢れそうなほどに
願いは“本当”は 光であるべきで
患った郷愁も
変わってない 変わってないな
通りを別つ壁
未来から奪ってしまいそうでも
通りを響く鐘
未来から届きそうなほどの
どこまでやれそう?
広告の艶
追いかけた言葉を見失わないように
どこで終われそう?
盲目の賭け
追いかけた言葉の結びを探しにいこう
通りを揺らぐ風
世界から消えてしまいそうでも
通りを暮らす影
世界から溢れそうなほどの
ハードだったり変拍子な曲が多い我々にしては珍しく、ミドルテンポでストレートな歌の立ったギターロック。お客さんにもいい曲だねと言ってもらえることが多く、無事リリースできて嬉しい限りです。
曲自体はかなり古くからあります。試しに遡ってみたら、3年前のデモが見つかりました。ライブでもほぼ毎回演奏しており、僕自身としては、新曲という印象はあまりないです。
ただ、実際のリリースに向けてライブ版から様々なアレンジを施しました。特にリードギターは、4人時代に演奏していたものとはほぼ異なっていると思います。具体的には単音や二音などでフレーズを弾くセクションを増やし、より動きのあるものにしています。また、この曲の要となっているリフやアウトロのギター二本の絡みも見直し、よりグッとくる(と僕が思える)音を選び直しました。グッとくるギターの絡みを作るのはこのバンドにおいて最早定番の作業となっていますが、それが楽しくてやっているようなところもあるので、これからも追求していきたいテーマではあります。
詩も、相変わらず漢字が多く難解に見えるかもしれませんが、意味としてはストレートなものを込めたつもりです。俳優や映画スターなど華々しい道を往く人たちとは対極の、何気ない毎日をひたすら繰り返す大多数の日陰の人々。僕を含めたそんなありふれた人々の、街に於けるありふれた生活も、たしかな力強いエネルギーでもって営まれているんだ、というものです(もちろん映画スターにも日常生活はあるんだろうけど)。
曲自体はそれ以前から出来ていたのですが、タイトルは今泉力哉監督の『街の上で』という映画からインスパイアを受けて付けました。というのも、上に書いた「ありふれた生活」を動かす「力強いエネルギー」が、この映画に鮮明に描かれていると思ったからです。下北沢で古着屋を営む主人公が「街の上で」様々な人と関わり色々な経験をするのですが、そのわりに物語の始めと終わりでほとんど状況が変化がしないんですね。でも、気持ちは少しだけ前を向いているような。そんな生活のリアリティが、この曲で伝えたいことにぴったりだなぁ、と。ぜひ実際に観てみてください。
MVも、監督の宇大さんに曲の意図を汲み取っていただいて、街に普遍的に存在する僕たち(のような人々)を表現していただけました。とても気に入っているので、こちらもぜひ観てみてください。
MV↓
https://youtu.be/IHZXIq2LM6I?si=bKYjbKUe53UCnX3w
2.Fallin' down
大抵 空気読めないから
関係 壊れてしまうのさ
到底 前も見えないなら
もういいか もういいんだ
背景 言う気も出ないから
反省も あえてしないのさ
どうせ 差異伝わないから
もういいや もういいんだ
大抵 風紀沿えないから
範例 逃れてしまうのさ
想定内の卑下ばっかだ
もういいか もういいんだ
大勢 繰るにも威無いから
慣性 削がれてしまうのさ
高低差 得も言えないまま
日々を揺らして
気が付けば 君はまた
言葉を失くしかけて
失くせれば それでいいのに
歌ってしまうの?
Fallin’ down
Fallin’ down
Fallin’ down
Farewell to town
大抵 勇気持てないから
完成 延ばしてしまうのさ
正念場にも居得ないなら
もういいか もういいんだ
海底 空気触れないから
安寧 得られてしまうのさ
早逝さえも辞せない
ただ、日々を揺らせればいい
気が付けば 僕はまた
言葉を失くしかけて
失くせれば それでいいのに
歌ってしまうよ
Fallin’ down
Fallin’ down
Fallin’ down
Farewell to town
この曲もデモ自体は古くからありますが、ライブではほぼ演奏したことがなく、実質今回のレコーディングにあたって作ったものです。ライブでたくさん演奏してきた曲を満を持してレコーディングする、というのがこれまでの流れだったので、ほぼ初披露のこの曲が皆さんからどんなリアクションをもらえるか楽しみです。
曲の制作過程としては、リフの弦楽器の絡みが最初にでき、そこから続きを作り上げていったという感じです。「明るく、疾走感があり、かつメリハリのついた曲」というイメージは常にありました。また、リフもそうであるように、要所要所で弦楽器の絡みを出そうということも考えていたと思います。
それから、この曲ではリズミカルさを出すために、韻を踏むことにかなりこだわっています。リフのギターの休符やミュートを交えて進んでいく間奏やらとも雰囲気が合っていてお気に入りポイント。
詞の内容は、この曲も、奇しくも街について歌っています。しかし、街を人々が力強く暮らす場として比較的ポジティブに捉えている1曲目の「街に於いて」とは異なり、この曲では別れを告げる対象となっています。あるいは「街に於いて」では「場としての街」という俯瞰的な見方がメインだったのに対し、「街に住む僕」という、自分を出発点とした主観的な見方がテーマになっているのがこの曲と言ってもいいかもしれません。
僕は諸々の点で価値観が人とズレているという認識を持っていて、その点においてある種の生きづらさを感じています。“空気読めないから関係壊れてしま”ったり“範例逃れてしま”ったりするわけです。で、そもそも僕が人とズレるということは、前提として、ズレていない、中心に立っている多数派の「人」がいることになります。街がその多数派の「人」に占められているせいで、おのずと僕はズレていることになってしまうわけです。そうするとだんだん街が憎くなってきます。そして、別れを告げたくなってしまう。
けど、かといって山奥に籠って誰とも話さずにいるのも、それはそれでとても苦しい所業に思えてしまうのです。人と触れたくないけど人と繋がっていたいという、アンビバレントな欲望があるわけです。あるいは、なかなか人に自分のことを理解してもらえないからこそ、誰かに理解してもらえた時の喜びもひとしおなのかもしれない。この曲の詞には、そんなアンビバレントな欲望が詰め込まれています。
ただ、そういったなんだか息が詰まるような状況を、ただ悲観して絶望したいわけでもない。そんな状況の中でも力強く生きていきたいというのが、少なくとも今の心境です。だからこんなに暗い歌詞でも、明るい曲に乗せてみる。“Fallin’ down”と歌いつつコード進行は上昇している。これもまた、アンビバレントな欲望の表れなのかもしれません。
Gt,Vo 大野
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